エルダーの密かな悩み

 僕には誰にも言えない悩みがある。


 ピオニィがエマと仲良くなっている。


 肩を寄せ合って厨房で何やら作業をして、楽しそうに笑っている。エマの夫で料理長のハントも一緒だ。彼女の笑顔は今日もかわいい。


 バードとも仲良くなっている。


 この前、バードが本の虫干しをする手伝いをしながら、何やら楽しそうに話しているのを見た。その笑顔もかわいかった。


 驚いたことに、庭師のブッテとも仲良くなっている。


 あのブッテが花壇の世話を誰かに手伝わせるなんて驚いた。ブッテのあんな笑顔も初めて見た。手伝いを一生懸命する彼女はずっと見ていたくなるくらいかわいい。


 彼女がいると思うと、毎日家に帰るのが嬉しくて仕方ない。


 でもいつの間にか使用人たちの方が僕よりも彼女と仲良くなっている。僕はまだ、それほど彼女に打ち解けられていないと思う。


 何より嫌なのはピオニィのセンセイへの態度だ。


 センセイが来ると飛びつきそうな勢いで向かっていく。満面の笑みで、センセイに話しかけている。最高にかわいい。しかもセンセイは、頻繁に彼女に触る。すごくすごく嫌だ。



 そう、分かっている。嫉妬だ。器の小さい男で恥ずかしいけど、嫌なものは嫌だ。


 5歳から面倒を見ているセンセイに負けるのは諦めがつく。でも、使用人たちには絶対負けたくない!


 ピオニィは僕が話しかけると少しかしこまる。どうしてだろう。僕の話し方だろうか。最初に『嫌い』と言われたけど、焼き菓子のおかげで『嫌い』は返上出来たはずだ。


(⋯⋯改めて嫌われていたらどうしよう)


 嫌な考えを頭から追い払う。


 知らずのうちに、僕の方も力が入ってしまっているのかもしれない。彼女がくつろいでいるときに、さりげなく話しかければいいのかもしれない。


 そう思って、夕食後の読書時間を狙うことにした。


 彼女は夕食後、図書室でしばらく過ごすのが日課だ。邪魔するのが悪いような気がして、僕は一度も部屋をのぞきに行っていない。勇気を出して、僕も読書に参加してみようか。


 彼女が図書室に向かうところを、さりげなく並んで歩いてみる。彼女は少し驚いたように僕を見たけれど、特に何も言わなかった。


 彼女は図書室に入ると<香力>を使って部屋の数か所の明かりに火をともした。ふわっと甘い花の香りがたつ。


「誰かにやらせればいいのに」


 僕のことばに、彼女は笑って返す。


「自分が出来ることがあると嬉しいんです。今までは何もかも、やってはいけない事だらけだったから」

「王宮で虹を作る練習をすることは?」


 ちょっとからかってみる。


「ふふふ。あれは、やってはいけない事ですね」


 彼女は目当ての本のところまで迷わず行くと、手に取って窓辺の一人掛けの椅子に腰かけた。僕も適当な本を手に取って、部屋の中央の大きな机に向かった。祖父がこの大きな机に本や紙類を色々広げて、学者たちとあれこれ議論していたのを思い出す。


 少し話がしたいけど、読書の邪魔はしたくない。そう思うと、なかなかタイミングがつかめない。ちらちら見る僕の視線を感じたのか、ピオニィが本から目を上げた。


 小首をかしげて僕を見ている。


 何か言わなくてはと焦るほど何も出てこない。やがて、彼女は柔らかく微笑むと口を開いた。


「何を読んでいらっしゃるんですか?」

「これは、王都の歴史。たまには本を読んでみようと思って開いたけど、何だか集中できなくて。君は何の本を読んでいるの」

「これは、海の生き物についての本です。暮らしているところや、食べるもの、体の特徴なんかがまとめてあるんです」


 僕の態度から海の生き物に興味があると思ったのか、彼女が本を持ってこちらに歩いてきた。隣にやってくると、机の上に本を開く。


「姿絵もあって⋯⋯これはクジラって言うんですって。すごく大きいの。エルダー様は見た事ありますか?」

「学校の授業で聞いたことはあるけど、実際に見た事はないな。この辺りの海にもいるの?」

「えっと⋯⋯、この国の海では見るのが難しいみたいですね。ずっとずっと南の国の方では姿が見られるって書いてあります」


 ピオニィの甘い花の香りを強く感じて、鼓動が速くなってしまう。ほの暗い部屋の中に二人きりだということを急に意識してしまい、正直クジラどころではない。


 でも、話が出来るのが嬉しくて、本に書かれている生き物について色々と質問した。彼女は隣に腰かけてくれて、僕たちは一緒にページをめくって絵を眺め、書かれている生き物について二人で想像をめぐらせた。


 なんて幸せな時間なんだろう。彼女にこの家に来てもらえて僕は最高に幸運だ。彼女にも幸せだと思ってもらえるよう、僕は力を尽くす。まだ、彼女の一番にはなれないけど、少しでも一番に近づけたらいいと思う。


(陛下とは、どんな夫婦だったんだろう)


 センセイよりももっと心の距離が近かったんだろうか。夜会で陛下が彼女の頬に口づけをした姿を思い出す。陛下とのことは考えたくない。心の奥底にしっかりしまい込んで蓋をした。

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