仕事の依頼

「ピオニィと先生に相談があります」


 トマが改まった様子で、先生と私を中庭に連れ出した。トマの緊張が伝わってきて、わたしまで緊張してきた。


「あの、うちの店で少し困ったことが起こっていて、ピオニィ、さん、のお力をお借り出来ないかと思っています」


(ピオニィさん?)


 トマからそんな呼ばれ方されるのは初めてだ。


「どんなこと?」


 先生が促す。何だか面白がっているようだ。


「うちの店、外国とも取引をしていて売り上げの大きな柱なんです」


 トマはコリーナ商店という、国内だけでなく世界各国と取引を行うお店の跡取り息子だ。港の近くにある大きな建物が有名で、100人を超える従業員を抱える王都でも指折りの大店だ。外国の商品は王都だけでなく地方でも人気があり、売上の大半を占めているそうだ。


 その大事な外国取引のうち、ザルカディアとの窓口を担当していた従業員が急な病に倒れて働けなくなってしまった。平民が外国語を学ぶ機会はほとんどなく、ザルカディア語を扱える人材は引く手あまただ。代わりを探すのはそう簡単ではない。


「ピオニィ、さん、はザルカディア語にも文化にも通じているので、手伝って頂けないでしょうか。さっき斡旋所に頼んできたので、代わりが見つかるまででいいんです。早くて数日、長くてひと月⋯⋯。どうかお願いします!」

「トマ、とりあえず落ち着かないから、いつもの話し方にして」


 ピオニィさん、なんて呼ばれるとムズムズして落ち着かない。


 先生の方を窺うと先生もわたしをじっと見ていた。


「ピオニィは、どう思う?」


 ザルカディア語は読み書きも会話も出来る。マロウおじいさんの得意な言葉だったから、しっかり教わっている。最新の政状や文化も王宮時代に習った。でも、仕事として通用するのかどうか自信がない。


 正直にそういうと、トマが自信たっぷりに言った。


「大丈夫。俺のばあちゃんが教えてくれる。ばあちゃん、ザルカディア語は読めるんだけど書く方には自信がないって。俺はそういう手続きは担当していないから、具体的なことはあまり分からないんだけど、ばあちゃんが言うことを書き留めたり、ばあちゃんが読んだ内容に間違いがないかを確認するくらいだと思う」


 先生は、わたしが答えるのを待ってくれている。


 反対しないということは、わたしに決めていいと言っているのだ。トマが固唾をのんで、わたしの回答を待つ。


「やってみたいです」

「やった!」


 トマが嬉しそうだ。


「で、でも! エルダー様に何て言えば⋯⋯」

「言わなくていいよ」


 先生が即座に言い切る。


「え? でも⋯⋯」

「ピオニィは仕事をしてみたいし、困っているトマの事も助けたい。エルダー殿がダメって言ったら、どうする? 君の事だから従うだろうけど、やりたかった気持ちが残るでしょう」


(それは⋯⋯そうだけど)


「それに、わたしはエルダー殿から、ピオニィを図書館に連れ出す許可をもらっている。しかし、図書館で何をするかまでは決められていない。木登りとか危ないことをさせない、ってことは約束してるけど。――トマ」

「はい!」

「トマはピオニィを危ない目に合わせるつもり?」

「力の限り、ピオニィが危ない目に合わないよう気を付けます! 店までちゃんと送り迎えするし、店でもちゃんとばあちゃんに一緒にいてもらう。人の出入りは多いけど、ピオニィが仕事をするところは気心の知れた信用できる従業員しかいないから、危険も少ないです!」


 トマが先生に向かって、力強く宣言する。


「ほらね。だから、わたしはエルダー殿との約束を破ることにはならないよ。ピオニィも図書館の外に出るなって言われてないでしょう」


 それは、言われていない。


「じゃあ、決まりだね。トマ、次に私ががここに来れる日は⋯⋯」


 さっさと先生とトマが段取りを相談し始めてしまった。


 少しエルダー様に後ろめたい気持ちはあるけれど、初めて仕事が出来る楽しみの方が勝っている。いつか街で仕事をして暮らす時の練習にもなるはずだ。帰ったらザルカディア語のおさらいをしよう。



 翌日は先生に用事があったから、仕事始めはその次の日になった。


「持ってきた!」


 図書館では荷物を抱えてトマが待ち構えていた。荷物を受け取って教室がある方向に向かう。奥には着替えもできる、こじんまりした休憩室がある。


 わたしの服装で街を歩くと目立つので、平民の若い女性らしい服装をした方が良いということになり、トマが妹さんの服を借りてきてくれたのだ。


 包みを開けてドレスを取り出す。靴とリボンも入っている。シンプルな水色のドレス。普段来ているドレスよりも軽くて動きやすい。髪も後ろに束ねてくるんとまとめて同色のリボンで留める。靴のサイズもぴったりだ。


 部屋の外に出ると、こちらを向いたトマがみるみる顔を赤くした。


「似合うよ! 何だこれ、可愛すぎる!」

「えへへ、ほんと?」


 トマが素直に褒めてくれるなんて。お世辞でも嬉しい。


 先生は図書館に残るという。夕方には戻ることを約束して、トマとわたしは図書館の外に出た。


 トマのお店、コリーナ商店までは歩いて15分ほどかかる。お店の事を色々教えてもらいながら二人で並んで歩く。


 港の近くにあるコリーナ商店の建物は想像以上に大きくて、大勢の人が忙しく出入りしていた。新しい荷馬車が次々とやってきては荷物を降ろし、また別の荷物を積んで出ていく。お店の裏の方は船着き場につながっているのだろうか、潮の香りが漂ってくる。果物の香り、スパイスの香り、香水の香り、初めて経験する魅惑的な香り。


 従業員たちが軽口をたたきながら、手早く荷物を仕分けてどこかに運んでいく。活気にあふれいて、こちらまで気分が浮き立ってくる。


 トマとわたしは建物に入り、忙しく立ち働く人の間を抜けていく。坊ちゃん、坊ちゃん、と何度もトマが呼び止められる。


「坊ちゃん、そちらは恋人ですかい?」


 なんて軽口にも、顔を赤くしながら軽く応じて進んでいく。仕事の指示を出す姿は立派な商人だった。


「トマはもう一人前なんだね」


 トマは少し照れたような顔をして、こう言った。


「まだまだだよ。父ちゃんには、叱られてばっかりだ。しばらく商談で戻らないけれど、帰って来たときに立派に留守を務めたって認めてもらえるように頑張りたいんだ」


 目を輝かせて語るトマが少しまぶしくて、わたしを頼ったことを後悔させたくない、と強く思った。


 建物の階段を何度も上って進み、大きなドアの前で立ち止まった。中では性別も年齢も様々な数十人の人たちが仕事をしていた。机に向かって書類に取り組んだり、書類を持って部屋を飛び出していったり。


 そのまま中を通り過ぎ、一番奥のドアの前に立つ。


「トマです。お連れしました」


 トントン、とノックして中に声をかける。


「どうぞ」


 招かれて部屋に入ると、小柄な女性が机に向かって座っていた。商人という響きから想像していたよりも、ずっと上品で穏やかそうな老婦人だ。書類を置いて、眼鏡をはずして、ゆっくり立ち上がる。


「ばあちゃん、こちらピオニィです。ザルカディア語の手伝いをしてくれます。」

「初めまして、ピオニィと申します」


 平民風のお辞儀をする。


「まあ! ずいぶん可愛らしいお嬢さんなのね。トマのお友達だというから、てっきり男の子だとばかり思っていたわ」


 ご婦人は優しそうなほほ笑みを浮かべて、わたしに手を差し出した。


「はじめまして、フィオナと申します。よろしくね、ピオニィさん」


 手を取ると、柔らかい手でそっと握ってくれる。


 慣れるまでは、フィオナ様の隣に席を作ってもらい、お仕事を教えてもらうことになった。道具や書類の種類と使い道、仕事の内容などを聞いたところで今日は時間切れ。


 短時間でお暇することを詫び、トマと慌てて図書館に戻る。控室で急いで着替えて、脱いだ服を包む。


 トマに声をかけたところで、はたと気づいた。


(この服、どうしよう)


 トマは当然のようにに服を受け取ろうとしたけど、使用人でもない彼に来ていた服を渡すのは抵抗がある。⋯⋯かといって、持って帰ってエマに渡すわけにはいかない。


「ピオニィ?」


 トマは一瞬けげんな顔をしたが、すぐに私が気にしている事が分かったらしい。


「貸して、明日はもっと似合う服を持ってくるから」

「ありがとう」


 トマの言葉に甘えて、荷物を手渡す。


 先生のところに戻ると「おつかれさま」とにっこり笑って迎えてくれた。


「はじめてのお仕事、どうだった?」

「トマのおばあ様のフィオナ様が、色々教えてくれました。わたしにも出来そうな気がします」

「そう、それは楽しみだね」


 先生は、わたしが難しい問題を解いた時のように嬉しそうな顔をしてくれた。


 トマに別れを告げて先生と屋敷に戻った。


 少し緊張したけれど、バードもエマも、いつもと同じように迎えてくれて何かに気づいた様子はない。


 先生の顔には『ほら、大丈夫でしょう?』と書いてある。続けられそうな気がして安心した。

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