友達との再会
先生から出される課題が難しい。
エルダー様に図書館通いを許してもらってから、先生にまた勉強を教わっている。先生は各国の言語を研究しているけれど、それぞれの国の文化や経済にも詳しい。王宮でもお妃教育の一環で勉強は続けていたけど、実は経済が少し苦手だ。
先生から出された課題について調べるため、経済の書棚で本を探しているところで声をかけられた。
「ピオニィ?」
小声で話しかけてきた人は、何となく見おぼえがある人で⋯⋯
栗色の短髪、元気いっぱいの顔。記憶よりずいぶん背が高く、ガッチリとたくましくなったけど間違いない。
「トマ!」
「やっぱり! この辺りまできたらピオニィの香りがするから思わず探しちゃったよ!」
しっかり話したかった私たちは中庭に移動した。
「トマ、すっかりもう、大人みたいだね」
嫁ぐ前に会ったきりだから2年ぶりだ。懐かしい。最後に会った時には背もそれほど変わらなかったのに、今では見上げる程になっている。声も覚えているよりも低くなっていて大人のようだ。
「もう18だから完全に大人だよ。ピオニィも、何ていうか服装が奥さま、というか、前とはちょっと変わったよな」
「そうだねえ、これでも一応奥さまだしね」
トマはわたしと一緒にマロウおじいさんに勉強を教わっていた。トマは大きな商家の跡取り息子なので算術や経済を、わたしは語学や文化を、と少し内容は違ったけれど同じ机で勉強した仲間だ。
平民は10歳くらいまで学校に通った後は、家業を継ぐか花嫁修業をすることが多くて、図書館通いを卒業してしまう。ただし、トマのように希望して高等教育を受ける男の子や、貴族に嫁ぐ可能性がある女の子は教養を身に着けるために図書館に通ってマロウおじいさんのようなご隠居たちに教わることがある。
<香力>が強い女の子は、平民でも貴族に嫁ぐ道が開かれる。だから、わたしの図書館での遊び友達は<香力>の強い女の子たちと、トマのような男の子たちだった。
<香力>を使って木登りをしたり、かくれんぼをしたり。でも歳が上がるにつれ、女の子たちは婚約が決まって、ダンスや礼儀作法の習得を優先するようになり、少しずつ図書館に通わなくなってしまった。
その中で、トマは最後まで仲良くしてくれた友達だ。よく図書館の屋根より高い木に登って、街を眺めて色んな話をしていた。トマの家は裕福なので家庭教師を雇うことが出来たはずだけど、トマは図書館に来るのが好きなのだと言っていた。
王家への嫁入りが決まったとたん、父に何から何まで監視されるようになってしまい図書館には行けなくなった。だから、トマとはちゃんとお別れできなかったことが心残りだった。会えて嬉しい。
「ね、久しぶりに木に登らない?」
懐かしくなって誘ってみたけど、トマには当惑した顔で断られてしまった。
「お前、中身は変わらないな。もう、そんな恰好して木登りするのはダメだろう」
「トマ、本当に大人になっちゃったのね」
何かちょっとつまらない。
「トマは、まだここに来てるんだ」
「店の仕事があるから、前ほどじゃないけど。経済に詳しいご隠居がいて教えてもらってる。ピオニィは、また最近来るようになったの?」
「うん、先生⋯⋯覚えてる? バーノルド先生。また先生に連れてきてもらうようになったの」
トマが少し視線をさまよわせた。
「えっと⋯⋯結婚した、って聞いたんだけど。もしかして、それって、先生と結婚したってこと?」
「え? 先生と?」
「だって昔、先生と結婚する! って言ってたし」
確かに言っていた。よくそんなこと覚えていると感心してしまう。
「違うよ。旦那さまに許可を頂いて、先生に連れてきてもらってるってこと」
「ごめん、急に来なくなったのにまた来てるから、何か良く分からなくて」
トマは、わたしが貴族の娘だということは知っているけど、王家に嫁ぐほどの身分だとは思っていないはずだ。普通の上級貴族の娘は、図書館で勉強したりしないで家庭教師と家で勉強するものだ。
『元王妃』ということはトマには言いたくない。言って距離を置かれたら悲しい。だから言葉を選んで説明する。
「えっと1度、嫁いだんだけど離婚されてしまって、すぐまた違う人に嫁いだの」
トマは痛ましげな表情を浮かべたけど何も言わなかった。わたしが気に入られなくて離婚されたと思っているのか、<香力>が強いから取引で譲渡されたと思っているかは分からない。
たった2年で夫が変わっているのだし、気の毒だと思われたことは分かった。
「トマはお店の仕事をしているの?」
「うん、父ちゃんに教わりながらだけど。絶対に俺の代で店をもっと大きくするんだ。だからキツいけど勉強も続けてる」
「それ昔から言ってたね」
夢を叶えようと頑張っているトマは生き生きしていて、話を聞いているとわたしまでワクワクする。
友達たちの消息なども色々教えてくれる。そんなトマも、マロウおじいさんの消息だけは知らないようだった。
「遠くで静養しているって聞いてるけど、どこなんだろうな」
一緒に先生のところにも行った。先生もトマのことを覚えていて、懐かしい話は尽きなかった。
◇
図書館からの帰り道、隣を歩く先生を改めて眺めてみる。
(先生と結婚⋯⋯か)
トマが言っていた事が気になってしまった。
きれいなふわふわの金色の髪。眼鏡の奥の優しい青い瞳。顔だちも整っていると思う。先生はいつも身なりがきちんとしていて、研究しか頭にない学者には見えない。誰に対しても紳士的に振る舞う。年齢もまだ40歳くらいのはずだから、若い女性からも好かれそうに見える。
エマも先生の大ファンだ。
先生はエルダー様のお屋敷に来るとき、ちょっとした手土産を使用人たちに持って来ることがある。評判のお店の焼き菓子や、珍しい果物など、みなが喜びそうなものばかりだ。
エマによると、高価すぎず、毎回でもなく、かといって少なすぎもせず完璧な気配りなんだそうだ。
「あんなに素敵で優しくて気配りの出来るお方、未婚のご令嬢がたが放っておくわけないですよう!」
わたしが、あまりにじっと見るものだから、先生が苦笑した。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「先生はどうして結婚されないのかな、と思いまして」
「え? なんでまた、そんなことを」
先生が少し驚いたような顔をする。
「トマからわたしが昔、先生と結婚する! と言ってたことを持ち出されて。それで、そういえばどうしてかな、と思って」
「ははは、トマもよく覚えているもんだね!」
最初の嫁入りが決まった時『威圧的な夫と従う妻』という夫婦しか知らなかった私は不安のあまり『先生と結婚する』と泣きわめいて、先生を大変困らせた。
もちろん、父の前ではそんな事を言わない。先生がクビになってしまう。
幼い頃は『大きくなったらね』と言ってくれていた先生も、さすがに嫁入りの年頃になってまで言われて閉口したことだろう。思い出すと恥ずかしくなる。
先生は、考えあぐねるように視線をさまよわせた。
「あまり考えた事がなかったけど⋯⋯。そうだな、私にはもう大切なものがある、というのが理由かな。欲張ると、大切にできなくなって失ってしまうから」
大切なもの。
「研究⋯⋯ですか?」
「それもあるね、あとは家族とか――」
先生は足を止めた。そして、わたしを真っ直ぐ見る。
「わたしは、ピオニィも大切だよ」
心臓がどくん、と大きくはねた。
先生がわたしに、真剣に大切な事を教えるときの口調。先生。大好きな先生。わたしは家族の愛には恵まれなかったけど、代わりに先生から、たくさんの愛をもらった。先生がいなかったら、わたしの心は潰れていたかもしれない。
「ありがとうございます。先生、わたしも先生の事がとても大切です。本当に、とても、とても大切です。いつか、わたしも先生の役にたって恩返しが出来るようになりたい」
先生が優しく笑って、いつものように、ぽんと頭をなでてくれる。
「大切に想う気持ちに、見返りは必要ないんだよ。君が健やかに笑って過ごしているだけで、この気持ちは報われる。だから――私の結婚を心配してくれるなら、まずは、お転婆をやめて安心させてほしいね」
トマに久しぶりに木のぼりをしよう、と誘って断られた事かしら。それとも、もっと大きな虹を作ろうとして色々試していたことかしら。
心当たりがありすぎて、ぎくりとした事もきっと見抜かれている。
先生は『ほら、行くよ』と言って、またゆっくり歩き始めた。小さい頃のように先生の背中にぎゅうっとくっついて、先生の香りに包まれたいけれど、もう大人だから我慢する。
わたしは先生が大好きだ。
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