出会い
(もう、帰りたい)
王宮の図書室はとてもとても広い。所狭しと並ぶ書棚は、長い歴史の中で書籍があふれる度に苦心して詰め込まれてきたのだろう。学者なりの秩序があるのだろうが、僕には薄暗い迷宮にしか思えない。目の前の書棚に並ぶのは武術の歴史。目当ての樹木の本はこの辺りには無い気がする。
面倒がらずに、入り口で学者の案内を受けるべきだった。
後悔するが、もはや入り口の方向さえ分からない。閉所恐怖症でなくても、明るい広い空間を求めたくなる。闇雲に明るい方向を目指して迷宮をすすむと
(――痛っ!)
まぶしかった。薄暗がりに慣れた目に日差しが刺さる。
書棚の果てには、壁と書棚に挟まれた狭い空間があった。椅子が1脚だけポツンと置かれていて、大きな窓の向こうに王宮の庭と神殿が見える。
まぶしく感じたのは急に明るい窓辺に出たからだけでない。少し開いた窓枠に若い女性が腰かけていた。
長くゆるやかな巻き毛は差し込む日差しを反射して、黄金のように輝いている。風が髪を揺らしてきらきらと光を放つ。光を集めて人の形にしたら、こんな風になるのだろうか。神々しささえ感じ息をするのも忘れてじっと見とれる。
日差しに溶けてしまいそうな白い肌。彼女は淡いグリーンのドレスの膝に広げた大きな本を熱心にのぞき込んでいる。細い腕がついと動きページをめくる。
僕の気配を感じたのか、彼女は顔を上げて少し驚いた顔をした後、恥ずかしそうに微笑んだ。
「せっかくの良いお天気ですから⋯⋯」
お行儀悪いですね、と本を閉じて窓枠からふわりと床に降りる。
吸い込まれそうな琥珀色の瞳に見つめられ何も言えないでいるうちに、彼女は軽く会釈をして僕の横を通り過ぎようとする。風とともに、華やかな花の香りがほのかに漂う。
「あの」
とっさに声が出たが、続かない。
彼女が足を止めてこちらを振り返る。何を言えばいいのか。ただ、彼女に行ってほしくなかった。
「本を、探していて」
やっとのことで声を絞り出す。
「お邪魔するつもりはなかったんです」
彼女はふふ、と笑った。
「お手伝いいたしましょうか?」
彼女は驚くほど図書室の中にも本にも詳しかった。書棚の間を迷うことなくすいすい進んでいく。
来ているドレスは華美ではないが素材が良さそうで高価なものに見える。妃殿下や姫君方が主催するお茶会の招待を受けた貴族のご令嬢といったところか。
お茶会に飽きて、図書室で過ごしているのかもしれない。
今学んでいる外国語のこと、最近読んだ本のこと、行ってみたい街のこと、見てみたい景色のこと。僕が問うと、彼女は色々と話してくれた。『あなたは?』と可愛く返されて同じように好きな街、自身が育った領地について話す。
彼女の話をもっと聞きたい、彼女の事をもっと知りたい、僕の事を知って欲しい、そんな気持ちがあふれ出てきて困惑した。会ったばかりの見知らぬ令嬢に、なぜこんな気持ちになるのだろう。
僕が探していた樹木の本はほどなく見つかった。ざっとページを繰って目を通す。残念ながら収穫はなさそうだ。
とある領地で、近年災害が増えていた。学者たちが調査を行ったところ、ここ数年増えた雨のせいで土地が弱っていることが原因だという。この地方に多く植えられている樹木の種類を変えて、よく根を張る樹木を増やすことで安定するだろうという学者の進言をまとめて、領主に伝えたものの一向に解決の兆しが見えない。
どうせならと、育てやすく利益になりやすい果樹を提案し、植え替えの人手など困らぬような助けを申し出ているのに、領主も領民も植え替えるつもりはない、と。
学者はやみくもに反抗されていると受け取り、領主を『馬鹿な分からずや』扱いしてヘソを曲げてしまっている。代案は期待できない。
僕には領主や領民が従わない理由の見当がつかず、苦し紛れに樹木について調べてみるかと図書室に足を運んだのだ。
彼女に簡単にその話をすると、小首をかしげて「それは、ハイシリーン地方のお話では?」と尋ねてきた。具体的な領地は伝えていないので驚いていると
「わたくしの世間知らずな意見でお耳を汚すのは、はばかられますが⋯⋯」
ためらうように口ごもるので、続けるよう促す。
「もしかすると、みなさまその樹に対する想いがおありになるのではないかと」
「想い?」
彼女は、ハイシリーン地方に伝わる物語について書かれている本の所に連れて行ってくれた。
「この地方ではリリルの樹にまつわる言い伝えや物語が数多くあります。子供が産まれるとその子のための樹を植えて成長を願い、結婚式では生涯の愛を花に誓い、この世を旅立つ時には死者に一枝持たせて見送るそうです。領民のみなさまそれぞれ、リリルにまつわる大切な想いがおありになるのではないかと」
「樹に対する想い⋯⋯」
結果としては、彼女が正解だった。
学者に彼女の推測を伝え、リリルの樹を出来る限り残せる策を改めて作ってもらった。領民の想いを尊重する姿勢を示したことで、頑なだった領主もこちらの意見に耳を傾けるようになり、1年も経たないうちに効果が表れ始めた。河川の氾濫が減り家や畑、大切なリリルの樹への被害が減ることで、領民たちも積極的に協力してくれるようになったと聞く。
お礼を伝えようと、何度も図書室に足を運んだが、彼女を見つける事は出来なかった。名前を聞きそびれてしまった事を深く後悔するが、時すでに遅し。彼女と出会ったあの窓にすら、たどり着くことが出来ない。
図書室に出入りしている学者たちに尋ねても、ここに若いご令嬢など来ないという答えしか得られなかった。
彼女にどうしても会いたい。頭から彼女が離れてくれない。
今までは避けていた、ご令嬢が多く出席しそうな夜会にも顔をだすようにしたが見かけることはなかった。夢でも見ていたか。
ほとんど諦めかけた頃、陛下から褒章を賜ることになった。ハイシリーン地方に対する働きが認められてのことだった。
褒賞の内容は――王妃。
誉れであり喜ぶべきことだが、正直なところ全く嬉しくなかった。もちろん、臣下の身で褒章にあれこれ文句を述べることなどできない。
未だに一人も妻がいないことをご心配頂いたという、有難迷惑なお志には怒りさえ覚えるが、ただひたすら恐縮したそぶりで謝意を述べるしかない。
その王妃は8番目に迎えられ、まだ年若いという。宰相であるユーフォルビア侯爵の数十人いる娘のうちの一人で<香力>が大変強いという。侯爵令嬢だった時にも、王妃になった後も、社交の場にはほとんど出て来ないので誰も顔をはっきりと知らないらしい。
由緒正しい家柄と強い<香力>のために王妃として迎えられたという事だけで、人となりについては全く情報がなかった。取り立てて悪い噂も聞かないので、国王陛下が手に余る悪妃を押し付けた、ということでもないと思う。本当に、独り身の僕への配慮なのかもしれない。
伯爵家の跡取りとして、いつか結婚しなくてはならない身だ。どうせ、図書室の彼女と出会えないなら、誰と結婚しても変わらない。彼女と出会ったことで上げた成果が、彼女への想いに止めを刺すとは。いっそ出会わなければ⋯⋯とすら考える。
半ば投げやりな気持ちで話を進め、王妃とは会う事もないまま、婚姻の儀式の日を迎えた。
儀式の前、最後に⋯⋯と未練がましく図書室に向かった。中には入らない。庭から建物を眺めて、想い出の中の彼女に別れをつげた。儀式に向かおう、と神殿の方に目をやると、図書室のある建物のもっと奥にある建物、まさに神殿の高い窓から黒いものが覗いた。
(――人か?)
あんな高いところで身を乗り出したら危ない、思っている間に、黒いものは窓からふわっと飛び出した。長い髪に日差しが輝いている。女性だ。
ここから駆けたところで、受け止めるには間に合わない。
焦る僕の予想に反して女性の落下速度はゆるやかで、王宮を囲う塀の方に向かって降下していった。
(<香力>で風を操っているのか?)
だとしたら、何と強い<香力>か。一般的に強いと言われる力でも、せいぜい花瓶を吹き飛ばす程度だ。体を持ち上げるほどの風を吹き上げる力は並大抵のものではない。
急に女性が方向を変えて僕のいる図書室の方向に向かってくる。
目いっぱい手をひろげ、体全体で風を受けてまるで空を飛んでいるように。
黄金のように輝く長い巻き毛。日差しに溶けてしまいそうな白い肌。強く輝く琥珀色の瞳。
図書室の彼女だった。
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