Menu04.王者のピッツァ 中編
――良い店であれば、必ず受け入れられ、客が入るようになる。
……などというのは理想というもので、実際に店を成功させるためには、様々な工夫が必要となる。
特に、シュロスのような新規開店したばかりの店は、初期段階でどれだけ客を呼び込み、固定客に転じてもらうかが鍵であった。
その点において、店主であるアウレリアとそれを補佐するマルガレーテは、あまりに無策であったというのが、ヴァルターの下した結論である。
何しろ、この店は外観からして、飲み屋街に存在する他の店とは隔絶していた。
店名に恥じぬ、小規模な城とでも称すべき佇まい……。
それは要するに、一見すると料理屋のように見えないということでもある。
まして、他の店がそうしているように、店で働く者が外で呼び込みをしているわけではないのだから、尚更であった。
しかも、立地が悪い。
シュロスが存在するのは、飲み屋街の片隅であり、人通りというものが少ない。
そうなると、偶然通りがかり、好奇心のまま入店するという状況には、なかなかならないものであり……。
まあ、そのような状態に陥ったのには、理由もあった。
一つは、資金不足。
なるほど、アウレリアの生家であるハンベルク公爵家は、先代の活躍により、衰退著しい貴族界において、いまだ栄華を誇っている。
その息女であるアウレリアも、庶民からすれば途方もないとしか言いようがない小遣いを与えられて生活していたようだ。
が、所詮は十八の小娘に与えられる小遣い……。
外装や内装にまでこだわり抜くとなると、とてもではないが一等地の確保は望めなかったのである。
もう一つの理由は、そもそもが、王家に嫁ぐまで趣味で営業する予定だったことだ。
店を開くのも不定期のつもりであったし、嫁ぐまでの残された時間を、祖父との約束を果たすために使えれば、それで十分だったのである。
が、婚約者であるオスヴァルトに店を知られた結果、状況が変わってしまった。
公爵家との縁が切られたアウレリアは、もはや、この料理屋を切り盛りしてやっていく以外に道はなく……。
どうしても、経営を軌道に乗せる必要が出てきたのである。
幸いだったのは、ハイデルバッハ王家もハンベルク公爵家も、今のところはこの店を潰すために動いていないことだろう。
前者はともかく、後者に関してはいわば資産を横流しして開店したに等しいのだから、口を挟んでくるだけの理由がある。
それをしてきていないのは、自分という人間が後見に付いたことが、多少なりとも効いているのだと思えた。
余計な横槍が入らないのであれば……。
後は、手元にある札でやりくりするということになる。
札が十分でないことを嘆いたところで、致し方なし。
何事においても、十全というものはそうそう実現しないのだ。
ひとまず、ヴァルターが選んだのは、身近な人間を誘い来店するという道である。
そこは今をときめく東方貿易会社の社長であり、他の店に比べればかなり高額であるシュロスの料金を、問題としない知り合いは多い。
手始めとして、先日は冒険隊時代からの仲間であるゲルトにカレーを食わせ……。
さらに本日は、造船所の所長であるデニス・ギーツェンを伴い、来店していたのだ。
「なるほど……。
これは見事な料理。
そして、見事なもてなしだ」
ヴァルターと共に、テーブル席を囲んで看板メニュー――ハンバーグを平らげ……。
今は、マルガレーテからワインのおかわりをグラスに注がれながら、デニスはそう漏らした。
すでに、第一線を退いて久しいが……。
かつては船大工の筆頭として、自らノミやカンナを振るっていた四十男は、精悍の一言である。
赤黒く焼けた肌といい、しわまみれになって尚、威厳が感じられる顔つきといい、並の男が相対したならば、震え上がるのではないかという迫力があった。
それでいて、食事の所作が優雅であるのは、ひとえに、大工という仕事……。
とりわけ、船大工の仕事が重要視されており、それを預かるデニスに貴族並みの待遇がされているからであろう。
ヴァルターからすれば、腕一本でのし上がった同志……。
腹心であるゲルトに続いて、彼を誘ったのは、いわば必然であった。
「料理屋では、ある。
しかし、わしらが知るそれとは、大いに形態が異なるな。
まるで、ガレー船に対する帆船がごときだ」
造船所所長らしいものの例え……。
それはつまり、船舶の主流がガレー船から帆船へ移り変わったように、やがてはこの店のような料理屋が、広まっていくと予見したことを意味していた。
「では……?」
「いや、気に入ったよ。
わしの方でも、知り合いを誘ってまた来ることにしよう。
ここならば、他の店と違い、落ち着いた雰囲気で食事と語らいを楽しめそうだ」
「それはありがたい」
予想以上の好意的な感想に、笑みを浮かべて応える。
これこそが、ヴァルターの狙いだった。
誘ってきた人間が、また別の人間を誘っていく好循環……。
これが続いていけば、シュロスの将来は安泰であろう。
幸い、店の規模はそこまでではなく、また、提供する一皿自体が高額であるため、ある程度のところまで波及してくれれば、それで充分なのだ。
デニスもまた、自分と同様に顔は広い……。
頼もしい味方が得られたことへ乾杯する意味を込め、相手の好みに合わせたワインを一口舐めたその時であった。
「――邪魔するよ」
一人の男が、ドアを開けて入店してきたのである。
いや、正確には二人か……。
男は、若い衆を一人引き連れており、彼が開けたドアをくぐって入店していた。
「お前は、少しその辺で遊んでな」
「はっ……!
よろしいので?」
「思っていた以上に雰囲気がある店だ。
おれはともかく、お前の格好じゃ調和を壊しちまうよ」
「そういうことでしたら……」
そして、そのような会話の後に金貨を一枚握らせ、連れて来た若者を追い出したのである。
彼がそのような判断をしたのも、致し方があるまい。
若い衆の格好は、それなりに整えられているが、どうにも威嚇的というか、他者を威圧する色合いが強く……。
このシュロスという店にふさわしいかといえば、それは否であった。
対して、今、若者に小遣いを与えた初老の男は、ぴしりとした……ヴァルターやデニスのそれに負けない立派な身なりをしていたのである。
ただし、着ている当の本人から漂う威圧感は、尋常なものではない。
一つ一つの所作に、隙というものがまるでなく……。
頭を剃り上げているのも、清潔感より怖さを際立たせていた。
この男を、ヴァルターもデニスも知っている。
――ロンデン。
言ってしまえば、裏社会の顔役だ。
己の才覚で成り上がったという意味では、ヴァルターやデニスと同じであるが、その方向性は大いに異なっていた。
それだけならば、良い。
自分たちと同じように食事を楽しんでくれれば、結構である。
だが、この男は飲み屋街を支配する長と呼ぶべき存在であり……。
それが、こうして足を運んできたということは……。
「いらっしゃいませ。
お一人様でしたら、カウンター席でいかがでしょうか?」
「ああ、それで構わない」
誰を相手にしようと、マルガレーテの接客は変わらない。
王侯貴族へ対するような所作と共に、ロンデンをカウンター席に案内し、水と温かく絞られた布を供する。
だが、ロンデンはそれに手を付けず、椅子を動かしてこちらを見やったのだ。
「……なるほど。
情報通り、あんたが後見人となったわけだ」
「……まあ、そのようなことをさせて頂いています」
ヴァルターもデニスも付き合いは広く、ロンデンとも会話したのはこれが初めてではない。
とはいえ、仲が良いというほどの間柄でもないので、緊張と共に会釈した。
「なら、店主さんよりもあんたに言った方がいいかもしれねえなあ……」
ロンデンが、軽くあごをかきながらそう告げる。
それから続いた言葉は、ヴァルターが想像した通りの……恐れていた言葉だったのだ。
「おれとしちゃあ、王家やハンベルク公爵家に睨まれた店が縄張りにあっちゃあ、困っちまうんだ。
だから、穏便に立ち退いてもらいたいんだがね? どうかな?」
「それは……」
資産にしろ権威にしろ、ロンデンに劣るヴァルターではない。
だが、ここは場所が悪い。
何しろ、飲み屋街は彼自身が口にした通り、ロンデンの支配する縄張りなのだ。
どう切り返したものかと、悩んでいたが……。
「そいつは、少し筋が通らないんじゃないかな?」
助け舟を出してくれたのは、デニスであった。
「あんたのことだ。
開店する前の時点で、店主が公爵家の息女であることは掴んでいただろう?
それが、今さらになってそんなことを言い出したのは、何か思惑が外れたんだろうが……。
一度は許可したものを一方的に立ち退かせようとするのは、筋が通らねえよ。
それは、あんたの世界じゃ忌み嫌われることじゃないかい?」
「ふん……言うねえ」
造船所の所長は、裏社会の顔役に対しても一歩も引くことがない。
それを受けて、ロンデンはじろりとした視線をヴァルターに向けてきた。
「なら、あんたはどうしたらいいと思う?
あんたの意見を汲んだ上で判断すれば、筋も通るだろうさ」
「ならば、まずは料理を召し上がって頂きたい」
デニスに心中で感謝しながら、堂々とそう言い切る。
「あなたに生じた不都合……。
それを踏まえて、尚、この店は残す価値があると、それで証明されるだろう」
「ふ……。
たかが食事が、どうやら勝負事みたいになってきたじゃねえか」
受けて立ったということだろう……。
ロンデンが、品書きの書かれた羊皮紙を手に取った。
そして、一目見ると、書かれた文字列の一つを指差しながら、マルガレーテに告げたのだ。
「この、王者のピッツァってやつをくれ。
名前負けしてないことを、祈るとしよう」
「はい、かしこまりました」
カウンター越しのアウレリアと共に、はらはらとしながら事を見守っていたマルガレーテは、丁寧な一礼と共にそう答えたのである。
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