Menu04.王者のピッツァ 後編

 ――王者のピッツァね……。


 ――このお嬢さんは、ピッツァがどういう料理か、ちゃんと分かっているのかね。


 カウンター越しに、元公爵令嬢の働きぶりを眺めながら、ロンデンはそのようなことを考えていた。

 なるほど、貴族家のご令嬢とは思えぬほど、筋が良い。

 厨房内で立ち振る舞う姿は、実にさっそうとしたものであり……。

 一朝一夕でこのような境地に至れぬことは、門外漢のロンデンでも察せられた。

 だが……あらかじめ寝かせておいたのだろう、取り出した生地はといえば……。


 ――薄い。


 目にしたそれを見て、失望せざるを得ない。

 確か、名はアウレリアだったか……。

 彼女が自作したのだろう生地は、いかにも薄っぺらく、ともすれば、手にしただけで破けてしまいそうなほどなのである。


 生地の薄っぺらさは、そのままピッツァという料理に対する理解の薄さを意味していると思えた。

 あるいは、貧しい北部で働く人間への、関心の薄さか……。


 ――このお嬢さんには分かるまい。


 ――硬い岩盤につるはしを入れる大変さも、ガラを運び出す苦労も……。


 鉱夫だった若者時代を思い出しながら、胸中でそのようなことを独りごちる。

 そんな風に、調理風景を眺めていると、だ。

 ロンデンは、目を剥くこととなった。


 ――耳の部分に、チーズを仕込んだだと!?


 そう……。

 アウレリアはピッツァに必須の耳を成形する際、その内側へチーズを埋め込んだのである。


 ――こいつは、耳の部分まで食わせるつもりなのか!?


 ピッツァとは、常に手が汚れている鉱夫のために生み出された料理であり……。

 その耳は、掴んで捨てるためにこそあった。

 だが、目前で調理されているそれは、明らかにそこを可食部位として捉えているのだ。


 ――これは、違う。


 ――俺の知っている、ピッツァとは……。


 驚くロンデンをよそに、調理は素早く行われ……。

 やがて具材の乗せられた生地が、壁に埋め込まれたオーブンへと入れられる。

 薪が燃え盛る中で、焼き上げられるもの……。

 いつの間にか、ロンデンはそれへの好奇心に支配されつつあった。




--




「お待たせしました。

 ――王者のピッツァです」


 元は、ハンベルク公爵家に仕えていたのだろう侍女……。

 彼女が供したのは、丸皿に乗せられたピッツァだけではない。

 シルバーもまた、供されたのである。


「こいつは……?」


「こちらのピッツァは、ナイフとフォークで切り分けてお召し上がり下さい」


 丁寧なお辞儀と共に、侍女がそう告げた。


 ――なるほど。


 ――やはり、こいつは俺が知るピッツァとは別物ってわけだ。


 ピッツァの本場である北部出身者として難癖を付けることは簡単だが、そのようなつまらぬ真似はせず、眼前のピッツァに目をやる。

 熱々の湯気を立てるそれは、やはり、ロンデンが日々食べているそれとは、大きく装いのことなる品であった。


 まず、色が違う。

 具材とされているのは、主に――チーズ。

 だが、純白の部分もあれば、やや黄みがかっている部分もあるのである。

 さらに、一部にはきつね色の焼き目がついており……。

 色合いの違いが、見た目にも楽しい。


 ――こいつは、いくつものチーズを混ぜ合わせているのか。


 ある人間の気風を知りたければ、チーズを食べさせればいいということわざがあった。

 これは、それだけ各地で、様々な品種のチーズが作られているということであり……。

 その人物が好むチーズを知れれば、逆算的に、出身地やおおよその出自が知れるからである。

 そこへいくと、ロンデンが好むのは北部名物である水牛の乳で作ったチーズだ。


 どうやら、このピッツァにも、それはふんだんに使用されているようだが……。

 その他にも、四種か五種はチーズが配合されているように思える。

 なるほど、王国各地で生産されているチーズを配合し、一つに結集させたこのピッツァは、それだけで王者の名を冠するにふさわしい風格があるかもしれない。


 ――それにしても、だ。


 ところで、このピッツァ……。

 主体となって生地を埋めているのは、あくまでチーズであるが、その他にも具材として散らされているものがあった。


 ――この、黒い切れ端はなんだ?


 そう……。

 溶け出したチーズの上には、黒いカスのようなものが散らされていたのだ。

 最初は胡椒かと思ったが、それにしては、あまりに一片が大きい。

 ロンデンには、これなる食材に対する知識がなかった。


「なあ、お嬢さん……。

 この黒い欠片は、一体なんだね?」


 ゆえに、カウンターを挟んだアウレリア嬢へ直接に問いかけたのである。

 返ってきたのは、驚くべき単語だ。


「こちら、散りばめたのはトリュフになります」


「トリュフだと!?」


 ロンデンが瞠目したのは、無理もない。


 ――トリュフ。


 これなるきのこの希少性は、香辛料のそれに勝るとも劣らない。

 それだけならば、ロンデンほどの男ならば、食す機会もありそうなものであるが……。

 それがなかったのには、理由があった。

 王侯貴族による、独占である。


 確か、先々代の国王がそうしたのだったか……。

 その希少性とあまりの香り高さから、専門の業者を設け、決して平民にはこれを卸さぬよう厳命したらしい。

 よって、どれだけの財貨を積み上げようとも、平民の身でこれを味わう方法はない。

 そんなものが、まさか目の前に現れるとは……。

 それも、ピッツァという極めて庶民的な料理に用いられるとは……!


「……こいつを扱う業者は、王命で平民には降ろさないと聞いたんだがな。

 そこは、元とはいえ侯爵家ご令嬢の伝手かい?」


「それもあります」


 ロンデンの問いかけへ、アウレリアは素直にうなずいた。


「加えると、ヴァルター様にご後援頂いているのも大きな理由です。

 王家から姓を授かったヴァルター様は、王国法において貴族と同等の扱いとなっていますから……。

 それに……」


 そこまで言うと、つい先日まで侯爵家息女だった娘は、苦笑いを浮かべる。


「……今は、どこの貴族家も台所事情が厳しいので、業者としては卸すべき相手が見つからず困っているのです。

 あちらにとっても、渡りに船だったわけですね」


「なるほどなあ……」


 今の王国は、平民の台頭がめざましく……。

 逆に、王侯貴族の財政事情は、日増しに悪化していた。

 当然ながら、トリュフなどという高級食材にはそうそう手を出せないわけで、扱う業者はさぞかし困っていたことだろう。

 実際に貴族社会を生きていた娘から聞かされて、ロンデンはより深く貴族家の実情を実感できたのである。


「と、いっても、こちらのトリュフは乾燥させたものですので、香味はそこまででもありませんが……」


「ふ……それでも、俺にとって未知の味であることに変わりはない。

 このピッツァも含めて、な……。

 では、質問もこの辺りにして頂くか。

 こいつで、あんたらに対する態度を決めることにした以上、熱々の内に頂かなきゃな」


 言いながら、ナイフとフォークを手に取った。

 そして、肉料理へそうするような感覚におかしさを覚えながら、ピッツァへとこれを突き立てる。

 瞬間……。

 ぐじゅりとシルバーにまとわりついたのは、肉汁ならぬ溶け出したチーズだ。


 ――普段食べてるような、チーズをケチったピッツァじゃこうはいかねえな……。


 そのような思いを抱きつつ、切り分けていく……。

 やはり、注目すべきは耳の部分だろう。

 ナイフを入れた瞬間……。

 切れ目が入った耳から溢れたのは、やはりどろりとしたチーズである。


 ――ここはひとまず、温存するか。


 直感的にそう決断し、ひとまずはピッツァの中央部を切り取り、食す。

 瞬間、口の中に溢れたもの……。

 それは、甘みであり、酸味であり、わずかな塩気であり……。

 いくつものチーズを配合することによってしか生み出せない、酪味らくみの洪水であった。

 乳を出した牛の品種も、発酵過程での処理も、それぞれ異なる……。

 このハイデルバッハ王国における乾酪かんらくの真髄が、ここにあると思える。


 しかも、複雑に配合されたチーズは、味のみならず、食感にも様々な違いを与えていた。

 そのまま、飲むことすらできそうな食感のものもあれば……。

 しっかりと弾力が残っており、歯を押し返そうとするかのようなものもある……。

 しかも、これに焼き目までが付与されているのだから、たまらない。

 また、焼き上げたチーズの特性として、噛む度に歯へとまとわりついてくるのだから、何度も何度もこれを楽しむことができるのである。


 宿命として、チーズにばかり意識をやってしまったが……。

 土台となる生地もまた、あなどれない。

 食べる前は、こんな薄さで食べ応えがあるのかと思えた。

 また、チーズに味で押し負けるようにも思えた。

 だが、実際は――違う。

 薄く焼き上げた生地は、文字通りチーズの土台として形をまとめつつ……。

 小麦本来の風味と食感でもって、華を添えてくれるのである。


 ――もし、分厚い生地にしちまったなら、台無しだったな。


 ――生地を噛むことにばかり必死になって、チーズの食感も味もおろそかになっちまう。


 ロンデンは、ここへきてようやく、極薄の生地を使った意図について察し始めていた。

 どこまでも、チーズを美味く食わせることに特化したピッツァ……。

 シルバーを使わねばならないほどの薄さは、必然だったのである。


 チーズを美味く食わせるための工夫といえば、散らされたトリュフを忘れてはならない。

 なるほど、アウレリア嬢が言ったように、その風味は……弱い。

 だが、確かにそこへ存在した。

 燻製を作る時に用いるチップのような香りが、かすかに感じられるのだ。


 わずかであれど、その効能は大きい。

 チーズと小麦だけでは、決して生み出せない香りのまとまり……。

 それが、このトリュフによって生み出され、味の合一にまで繋がっているのである。


 ――さて、と。


 このシュロスという店をどうするか……。

 半ば結論を下しつつ、後回しにしていた部位――ピッツァの耳へと目を向けた。

 これを切り分け――食す。


 ――こいつは。


 ――ピッツァの中に生み出された、別の料理だ。


 このチーズを小麦の皮で包み込むと、こうなるのか……。

 今度は、先ほどまで味わっていた部分とは立場が逆転する。

 この耳においてまず感じられるのは、当然ながら焼けた小麦の風味と食感だ。

 とろりと溶けたチーズは内から乳味を溢れさせ、これを彩るのである。


「ああ……美味い」


 我知らず、言葉を紡ぐ。


「北部の貧乏人には、生み出せない発想のピッツァだ」


 それは、二重の意味で敗北宣言であった。

 ピッツァという、貧者の生み出した料理……。

 それは、カウンター越しにほほ笑んだお嬢さんの手によって、王者の名を冠するにふさわしい料理へと昇華されたのである。


 悔しいやら、嬉しいやら……。

 いや、素直に喜ぶべきだろう。

 かつての貧乏人は、半生をかけて成り上がることによって、この味を食せる立場になったのだから。


「いかがですか?

 あなたの、答えは?」


 背後からかけられた声に、振り向く。

 そこでは、若き貿易会社の社長と、造船所の所長とが、ワインを楽しみながらこちらを見ていたのである。

 浮かべている笑みをみれば、この味に感動する自分を肴にしていたのは明白だった。


「そうだな……」


 少しばかりのくやしさを感じながら、考え込む。

 そして、ロンデンは、ひらめいた言葉を口にしたのである。


「そいつを決めるには、ワインが必要だ。

 そう思わないかね? お嬢さん方?」


「はい……!」


「かしこまりました!」


 女店主と侍女は、笑顔でうなずいた。

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