Menu04.王者のピッツァ 前編
光があれば、闇も生じるように……。
人間同士が集まり、集団を形成し、それが国と呼べる規模に達したならば、必ず生まれる暗部というものが存在する。
無論、いかなる国家においても、そういった部分を生み出さないよう最大限の努力はするし、そのために、形態こそ異なれど様々な法が生み出され、運用されているものだ。
しかしながら、それらはあくまで、それぞれの国における圧倒的多数派が安寧と生きるために制定されたものであり……。
どうしようもなく、そこからはじき出され、裏街道を歩まねばならない者が生まれてしまうのである。
当然ながら、それは、このハイデルバッハ王国が王都ナタシャにおいても同じ……。
ロンデンは、このナタシャにおいて、そういったはみ出し者たちを束ねる頭目と呼べる存在であった。
俗に言う、マフィアである。
率いるファミリーがしのぎとしているのは、賭博や組合の構成など、おおよそ道徳的と呼べる性質のものだ。
時に暴力をいとわないそれらに、道徳が宿っていると信じられるのならば、だが……。
ロンデンの下に集まったのは、これらしのぎに道徳が宿ると信じられる者たちである。
不思議なもので、そういった性質の者たちは、これら行為を肯定し支援する者に、絶対の忠誠を誓うものであり……。
今では、
そんなロンデンには、ある習慣が存在する。
平日の昼食時……必ず、ある料理を食べるのだ。
「親父……お持ちしました」
ナタシャの飲み屋街を、
いわば、この王都における第二の城と呼べる場所の執務室で、ロンデンは使いに走らせた若造を迎え入れた。
「おお……早かったな。
もしかしたら、走ってきたのか?」
執務机越しに語りかけるロンデンの顔は、彼の立場からすると、意外なくらいにおだやかで優しいものである。
これは、努めてそうしている内に、やがて彼の本質となった一面であった。
ただ暴力的で粗野なだけでは、一時的に人がついてくることはあっても、決して長続きしない……。
人を率いるにあたっては、彼らが信頼を寄せられるだけの品格を見せることこそが肝要なのである。
だが、いかに優しくしようと、ファミリーの長であるという現実が変わるわけでもなく……。
入り立ての若造にとっては、ロンデンの笑みですら恐怖と畏怖の対象であるらしい。
彼は、緊張した面持ちで手にした木箱を差し出した。
「熱い内に召し上がられた方がいいかと思い……。
もちろん、傾けるような真似はしていません」
「そうか……ありがとうな。
その気遣いが、俺には嬉しいよ。
だが、あんまりシャカシャカと動き回るもんじゃねえぜ。
お前の男が、下がっちまうからな」
片手では、差し出された木箱を受け取り……。
もう片方の手で、剃り上げた頭をつるりと撫でながら告げると、若者が恐縮しきりといった様子になる。
「は、はい……!
気をつけます……!」
そして、何か重大な失敗でもしたかのように頭を下げたのであった。
「ああ、いや……。
感謝こそすれ、叱っているわけじゃねえ。
せっかく、男前なんだから、もったいないって思っただけさ。
まあ、何事も焦らず、のんびりとやることだ」
「は、はい!
ありがとうございます……!
では、自分はこれで……!」
そうする必要はないのだが、ぺこぺこと何度も頭を下げた若造が、退出していく。
「上手くねえなあ……俺も」
机に置いた木箱を眺めながら、そう独りごちた。
ロンデンは、すでに四十の半ばに達しており……。
老境、といって差し支えのない年代である。
それだけ年を重ねても、ままならないものはあるということであった。
「こんなんだからよお……。
やはり、初心は忘れちゃいけねえな」
誰に言い聞かせるわけでもない……。
ただ、自分自身への忠告を口にしながら、木箱の蓋を開く。
底の浅い造りをしたこれは、蓋がするりと滑るように開く仕組みとなっており……。
その中へ収められているのは、ロンデンに初心を思い出させてくれる料理なのだ。
「へへ……やっぱり、昼飯はこいつじゃねえとな」
内部に収まっていたのは、円形に焼いた生地の上へ具材を乗せた料理――ピッツァであった。
具材は、チーズのみ。
さすがにチーズが泡立っているということはなかったが、蓋を開けた瞬間に湯気が噴き出してきたのは、あの若者が奮闘してくれたおかげであろう。
四つ切りにされたそれの耳を、手に取る。
そうすると、乗せられたチーズが泣き別れになるまいと抵抗し、伸び……最終的には屈して、糸を引きながらちぎれた。
「んっ……」
いまだ熱の残っているこれを頬張ると、思い起こされるのは何も持っていなかった若者時代の記憶である。
このピッツァという料理……。
発祥は、王国北部の鉱山地区であった。
過酷な労働に従事する鉱夫たちは、手軽に食べられ、かつ、素早く力が蓄えられる料理を欲し……。
それに現地の料理人が応え、生み出されたのがこの料理なのだ。
肝は、今、ロンデンが掴んでいる耳にある。
四十半ばという年齢もあり、最も小さな大きさで焼き上げてもらったピッツァの一片を、鉱夫であった当時と同じく素早く食す。
そして、最後に残された耳は――食べずに捨てた。
この耳は、食べるために存在するわけではない。
掴むために、存在する部位だ。
鉱夫というものの手は、ちょっとやそっと洗ったくらいでは消えないほどに黒く汚れているものであり……。
そんな彼らが直に触っても食べらるようにという工夫こそが、ピッツァに作られた耳の正体なのである。
掴むのが耳だけでも生地がへたれないのは、それだけ分厚く作っているからであり、それによって生み出される食べ応えは鉱夫たちに歓迎された。
まさに、鉱夫という貧者のために生み出された料理……。
それこそが、ピッツァなのであった。
だから、ロンデンはピッツァの耳を食べない。
すでに、彼の手はまっさらなものとなっているが……。
この料理を食べる時だけ、己の手に黒染みの数々を幻視するのである。
「ふう……」
食べ終わり、背もたれに体重を預けた。
食べ終えてしまえば、もはや彼は貧しい鉱夫ではない。
ファミリーを預かる父であり、考えねばならないことは山ほどあった。
現在、その筆頭となっているのは……。
「
上手く遊ばせておいてやれば、王家や公爵家に面白い働きかけもできたんだろうが、縁を切られちまったんじゃなあ……」
取り上げた羊皮紙に記されているのは、最近、飲み屋街に開店したある料理屋の名前……。
公爵家から追放された息女が経営するという、それである。
どうやら、本人は正体を隠したまま開業にこぎつけたと思っているようだが……。
それを許すほどファミリーの情報網は甘くなく、早期に正体を察し、その上で泳がせておいたのである。
結果は、目論見外れであったが……。
「ハイデルバッハ王家の平民嫌いは知ってたつもりだったが、婚約者がお忍びで遊ぶくらいでこうまで目くじらを立てるたあなあ。
ちょいと、見込み違いだった。
これで、大事なお嬢さんを俺たちが陰ながら守ってやってるという絵ではなくなった」
このような時、ロンデンは独り言をつぶやくことで思考を整理する癖があった。
整理し、素早く決断を下すのである。
「たかが一店舗とはいえ、俺の縄張りを、王家や公爵家が睨みつけてるっていう状況は上手くねえなあ」
問題の店に対し、成果として見込んでいた線は、失われた。
ならば、ロンデンがなすべきことは……。
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