Menu03.元冒険者に供すカレーライス 前編

 ――あきない、というもの。


 ――その本質は、運ぶことである。


 屈強な男たちの手によって、社の保有する船から荷降ろしされたタルの数々を眺めながら、ゲルトはそのようなことを考えた。

 彼自身、赤銅色に焼けた肌と、隆々に盛り上がった筋肉を誇る男であるが、大忙しで重労働に励む人足たちのそれに比べると、衰えが目立ち始めたのを認めざるを得ない。

 出世を重ね、東方貿易会社の香辛料部門部長にまで上り詰めた男の、これが宿命なのであろう。


 今、ゲルトに任されている仕事は、重い荷を運ぶことでも、嵐の中、命がけでマストに登ることでも、ろくな国交が存在しない異郷で虚勢を張りながら練り歩くことでもない。

 そのような危険を犯す者たちの上に立ち、これを管理し、利益を生み出すことなのだ。

 より具体的に述べるならば、眼前に運ばれてくる品々を適切に手配し、高値で売り抜くことなのである。


「いかがです? 今回の便は?」


「ん……そうだな」


 社に雇われた若者――海の向こうを知らぬ、この街生まれの青年に尋ねられ、適当なタルに内張り剥がしと呼ばれる工具を突き刺す。


「――むん」


 そして、それで固く封印されたタルの蓋をこじ開けた。

 第一線を退いたとはいえ、このくらいのことは造作もない。

 バリリという音と共にタルの蓋は剥がれ、内部に収められた品を露わにする。

 男たちが、命の危険を背負いながら運んできたもの……。

 東方世界よりもたらされし、香辛料を。


「……上物だな。

 香りが、きちんと残っている」


 タルの中にぎっしりと詰まっているのは、クミンと呼ばれている種子であった。

 細長いそれを一握り掴み、匂いを嗅いでみれば、刺激的な香りが喉を通り抜けていく。

 この香りを味わうと、思い出さざるを得ない。

 まだ何も背負っておらず、守るべき妻子もおらず、ただただ、明日への希望を胸に、ヴァルターが編成した冒険隊の一員として奮闘した日々を……。


「お前も、嗅いでみろ」


 そう言って、手にした種子を青年に手渡す。


「はは、緊張しますね……。

 これだけの量で、結構な値段がするもんな……」


 彼はそう言いながら、ゲルトがしたのと同じようにクミンの匂いを嗅ぎ……。


「うは、すごいや!」


 次の瞬間には、顔を輝かせた。


「遠い海の向こうで暮らす人たちは、毎日、こんなものを料理の味付けに使ってるんですね」


「ああ……。

 釜で焼いた鶏肉に使ったり、焼いた小麦の皮へ詰める具に使ったりな。

 それに、なんと言っても――」


 言いながら、思い出す。

 あの国で食べた、なんとも魅惑的な料理の名を……。


「――カレーだな」


「カレー、ですか?」


 ゲルトの言葉に、若者が首をかしげる。

 この国には存在しない単語であり、料理であるのだから、それはごく当然の反応であろう。


「向こうでは、確か……カリーと言っていたな。

 おれたちには、少しばかり発音が難しいが」


 苦心して現地人の発音を真似てみせながら、かの料理に思いを馳せた。


「要するに、煮込み料理であり、スープ料理だな。

 いくつもの香辛料や香草を混ぜ合わせ、それで具入りの汁を作る。

 その汁は、ナンという向こうのパンに付けたり、あるいは炊いた米にかけたりして食べるのさ」


 人間というのは不思議なもので、一つの物事を想起すると、関連する記憶が次々と思い起こされる。

 それは、情景や音だけではない。

 香りや味もまた……同じ。

 あの料理を思い出すと、どうしようもなく味蕾みらいが刺激され、唾液をこぼれさせてくるのだ。

 だが、あれを食べたことがない若者が考えたのは、別のことであった。


「いくつもの香辛料や香草を……!

 それはまた、すごく値の張りそうな料理ですね」


 その言葉に、苦笑を浮かべてしまう。


「確かに、この国の基準で考えれば、そうなるな。

 だが、あちらの国では、この香辛料がそれこそ麦と変わらない値段なのだから……」


「ははあ、うらやましい限りだ」


「その代わり、こちらではさほどの価値もない品が、向こうでは高値で取り引きできたりする。

 その狭間に、おれたちの商売があるわけだな」


 そう……。

 あきないの本質とは、運ぶことにあり。

 安く仕入れたものを、高値で売れる場所に運び、さばく。

 それこそが、商売というものであり……。

 その差配をするのが、今のゲルトに任された仕事なのだ。

 かつての冒険にどれだけ思いを馳せようと、これは変わらない現実なのである。




--




「ここだ」


「これは、まあ……。

 随分と変わった……いや、凝った外観の店ですなあ」


 かつては、冒険隊の隊長。

 現在は、東方貿易会社の社長としてゲルトの上に収まっているヴァルターに連れられてきたのは、極小規模の城とでも称すべき店であった。

 屋号は――シュロス。

 なるほど、この店にふさわしい店名である。


「凝っているのは、外観だけじゃないぞ。

 この店の本質は、接客ともてなし……。

 そして、提供される料理にこそある。

 店主と話をしたがな。

 きっと、お前も喜ぶ品が待っているぞ」


「そうだとすると、ガキ抱えた嫁に嫌味を言われてついてきた甲斐がありまさあ」


 ゲルトの言葉遣いは、とても社を預かる経営者に向けたものではなかったが……。

 長く伸ばした黒髪が特徴の上司は、そのことを特に咎めない。

 二人きりでいる時に限り、ヴァルターとゲルトはかつての冒険者へと立ち戻ることができるのだ。


「――失礼する」


 そう言って、先陣を切ったヴァルターがドアを開く。

 すると、その先で待ち構えていたのは、ゲルトが予想だにしていない光景であった。


「いらっしゃいませ」


 なんと、貴族家にでも仕えていそうな侍女が玄関口のすぐそばで待機し、こちらを迎えてくれたのである。


「君は……?」


 どうやら、驚いたのはヴァルターも同じであったらしく、わずかに目を剥きながら少女に尋ねた。


「今日から、この店で働くことになったマルガレーテでございます。

 以前は……いえ、今もアウレリア様に仕えております」


「ああ……」


 その言葉に、ヴァルターがうなずく。

 どうやら、二人の間ではそれで事情が伝わったらしい。


「ヴァルター様のことは、主人からうかがっております。

 ささ、どうぞこちらの席にお着き下さい」


 侍女にうながされ、二人並んでカウンターの席に着く。

 店内の、あまりに豪奢な装い……。

 そして、自分たちを席に誘った後は、さっそうとした仕草で水の入ったコップと温かく絞った布を給仕してくれる侍女……。

 シュロスという店名は、伊達じゃない。


 ハイデルバッハ王家は、平民に対し固く門を閉ざしており、冒険隊を率いていたヴァルターはともかく、ゲルトは王城に招かれたことがない。

 だが、店内のきらびやかさと、このもてなしは、王城のそれに劣らぬだろうと思えた。


「ようこそ、おいでくださいました」


 カウンター越しにお辞儀をする若き女性が、そんな店の主人だろうか……。

 端的に言ってしまえば、ゲルトのような人間とは、本来、縁がなさそうなお嬢さんである。

 顔立ちからわずかな所作に至るまで、教養と気品で溢れているのだ。

 着ている装束こそ、山から降りてきた田舎娘の伝統衣装であるが、見るからに高級そうな生地を使っているし、縫製も見事なものである。

 本人の魅力を引き立てこそすれ、さぞかし高貴だろう出自を隠す役には立っていなかった。


 だが、そんな娘が、まるで目上の人間へ対するかのようにこちらへ接している……。

 これは、ゲルトにとって全く未知の体験であった。

 ゲルトにとって、料理屋や酒場の娘というものは、勝ち気に怒鳴り上げ、客と対等に渡り合う存在なのである。

 壁際に控え、こちらの様子をうかがう侍女もそうだが……。


 ――なるほど。


 ――おれたちは今、されている。


 彼女らにとって、ゲルトたちは金を運んでくる対象でも、腹を満たしてやらねばならぬ欠食者でもない。

 真実、真心を込めて迎える客であるということが、実感できた。


 若く、美しき女店主が、こちらを見る。

 妻子持ちでありながら、これには年甲斐もなくドキリとしてしまう。

 そんな自分を笑うことなく、彼女はこう言ったのである。


「本日は、ヴァルター様からお出しする料理のご指定を頂いております。

 その料理は――カレーライス。

 どうか、今しばしお待ちくださいませ」


 ――カレー!?


 告げられた料理の名は、美しき女性の視線以上にゲルトを昂ぶらせるものであった

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