第15話『助けを呼ぶ声と、応える人』

「答えるな! 逃げろ!」


「黙っテろクソ虫ィ!」


 坂の上で、剛一郎さんと誰かの叫びが聞こえた。

 マズい、奈鈴ちゃんが霊に襲われている。


 私はすぐに駆け付けようとしたけれど、下るときとは違って急斜面を登るのは簡単じゃない。足止めをされているうちに、足音や声が遠ざかって消えてしまった。


「無事だといいけど、大丈夫かしら」


「ただの霊なら、剛一郎様が倒してくれると思うけど……」


 いや、そんな簡単な相手ならわざわざ逃げる必要がない。その状況になっている時点でピンチなのは明白だ。


「すぐに合流しないと。ユウちゃん、場所は分かる?」


「えっと……」


 目を閉じて気配を探すユウちゃんだったが、あれ、そんな、と声を出す。そして肩を落としながら目を開いた。


「あ、あれ? 何でか気配を探れない。おかしい……!」


「普段はそんなことないの?」


「前は怨霊の気配や人間の生気、いろんなものを感じられたけど、今は……」


 原因があるとすれば、さっき男の霊に首根っこをつかまれた時だ。少し霊力を吸われたと言っていたし、その影響かもしれない。


「我ながら不覚……夢中になって索敵を疎かにするなんて」


「常に意識してないとその能力って使えないのね…‥」


 その意識を逸らした原因、ユウちゃんが調べようとした『何か』に目を向ける。


 そこに散らばっていたのは……。






「はぁ……はぁ……あ、あいつは!?」


「もう見えないな。だいぶ痛めつけたし、今頃泣いて後悔してるだろ」


 憑かれた男性から死に物狂いで逃げ切ったのは良いものの、私達は夜の林の中で迷子になっていた。来た道を戻っているつもりだったが、暗すぎて現在地がさっぱり分からない。


「どうしよう、鏡花さんやユウちゃんとはぐれちゃったし……」


「あの2人なら大丈夫だと思うがな。巫女さん強いし」


 強いのは認めるけど、やっぱり心配だから早く合流した方がいいと思う。この林は何が起こるか分からない。


「何か目印になるものは……」


 あたりを懐中電灯で照らすが、それらしいものは見当たらなかった。なのでとりあえず移動してみることにする。


「おいおい、迷子になったらその場を動かないのが鉄則だぞ?」


「……ここでジッとしてるのは、流石に嫌」


 こんな状態で立ち往生してたら頭がおかしくなりそうだったので、制止を振り切って足を進める。もうなりふり構っていられない。


「せめて、道路に出られればなぁ……」


 そう考えながらしばらく歩いていると、遠くの方で何かが見えた。オレンジ色の四角い光。窓から漏れる照明の輝きだった。


「家があるよ! 助かった!」


「こんなところに? 人食い魔女が住んでなきゃいいが」


 私は光に向かって一直線に走り、その全貌が次第に見えてくる。小さな山小屋のような木造の一軒家で、庭には車も停まっている。確実に誰かが住んでいた。


「ご、ごめんくださーい!」


「どちら様……?」


 ドアをノックしてしばらくすると、中から白髪のお婆さんが首を傾げながら出て来た。眼鏡の奥に見える目は明らかに困惑している。当然だけど。


 初対面の人と話すのは苦手だが、私は勇気を振り絞って言葉をつなぐ。


「す、すみません夜分遅く……あ、私は江宮って言いまして……」


「待て待て、初対面の人に名前を明かすのはどうなんだ?」


 剛じい、黙ってて! 今は少しでも相手に信用してもらわないとなんだから!


「はぁ……それで、何か私に御用で?」


「あの、実は道に迷ってしまって。道路に出るにはどっちに向かえばいいでしょうか?」


 道路に出れば鏡花さんの車があるはず。あれ以上に目印になるものは今のところないので、そこまで行ければ良いだろうと判断した。


「ああ、そういうこと。それならそこの道沿いに進んで行けばいいよ」


 指さされた方を照らすと、タイヤ痕のある土がむき出しの道が伸びている。これなら迷う必要もなさそうだ。


「ありがとうございます。助かりました。それでは私はこれで……」


「待った」


 急に呼び止められてビクッとしながら振り向と、お婆さんが顔をしかめていた。


「こんな夜道を女1人で歩かせるわけないでしょう。送っていく」


 下駄箱の上に置いてあった車のキーを見せつけ、お婆さんが外に出て来る。顔は怖いけど優しい人みたいだ。


「あ、ありがとうございます。し、知り合いの車が停まってるはずなので、そこまでで大丈夫ですので……」


「分かった。ほら、乗りなさい」


 助手席のドアを開けてくれるお婆さん。私は素直に乗り込み、エンジンのかかった車は静かな林の中を音を立てながら進む。


「しっかし、こんな時間に何をしてたんだい?」


 しばらくしてから、お婆さんが口を開いた。少しびっくりしたけど、助けてもらってる身としては黙ってるわけにもいかず咄嗟に話を作る。


「えっと、今日は天気が良かったから、森林浴にでもと……」


「それは嘘。そんな軽装で来るわけない」


「う……」


 私は言葉に詰まってしまった。これでは嘘だと認めているようなものだ。でも、


「まあ、言いたくないならそれでいいよ。無理には聞かない」


「え、いいんですか?」


「あんたくらいの年の子は色々あるんでしょ。私も経験したわ」


 無理に詮索をしないお婆さん。でもその横顔は何だか寂しそうに見えた。


「昔、何かあったんですか? えっと……」


「指川(さしかわ)。私の名前。何かあったのは息子の方」


「息子さん……?」


「うん。あんたくらいの年に、隠し事や悪い事、たくさんしてたみたい。それを無理に問い詰めようとしたら、クソアマって言われて家出されたよ。それ以来会ってない」


 反抗期特有の親子喧嘩の末にってところかな。私にも当然反抗期はあったけど、今はお父さんと仲良くできている。そう思うと私の家庭はマシなのかもしれない。


「そうだったんですか……すみません、変なこと聞いて」


「何であんたが謝ってるの。私が勝手に話したことよ」


 ぶっきらぼうに言われるが、その横顔はより寂しそうに見えた。この顔を今息子さんが見たら何を思うのだろうか。


(私だったら……家族の悲しむ顔はやっぱり見たくないな)


 私がこういう感性を持てるのも、育ててくれたお父さんのおかげだろう。仕事で留守にしがちだけど、今度帰ってきたら精一杯労ってあげなきゃ。


そう思っていると、道がデコボコになっていたのか車が少し跳ねた。その衝撃で助手席のグローブボックスが少し開き、中から紙がひらりと落ちた。


「あ、何か……」


「ああそれ、息子の写真。戻しておいて」


「あ、はい」


 家出されても写真を持ち歩いているあたり、やっぱり心配なんだなと私は心の中で笑う。ついでだから戻す前にその息子さんがどんな感じなのか見てみようと写真を覗くと、


「え……えっ!?」


 襲ってきた男の分霊たち。その姿、その顔とそっくりだった。


「ん、どうした?」


 私が声を上げたから、指川さんが速度を落としてこっちを見た。その次の瞬間、


「ニガサァァァァァン!!」


 さっきの取り憑かれた男が車の前に飛び出してきた。


「うわああっ!?」


 咄嗟にブレーキがかかり急停車する。交通事故は辛うじて免れたが、車が止まった好きに男がバンパーの上に飛び乗って来た。


「アアアァァァァァ!」


「きゃああああああ!」


「な、何だこいつ!?」


 フロントガラスをバンバンと叩かれる。私も指川さんもパニックになってその場を動けなかった。クラクションを何度も鳴らしても怯む様子は無い。


「イレロォォォォォ!」


「入れるわけねぇだろボケ!!」


 剛じいの横なぎ裏拳がフロントガラスを突き抜け、男の横顔に当たり右へ吹き飛ばす。車から転げ落ちたのを見計らって叫んだ。


「さ、指川さん! 今のうち!」


 指川さんが我に返ってアクセルを踏み込もうとしたが、その前に男が立ち上がって運転席のドアに張り付いた。


「ニゲンナァァァァァァァ!!」


「ひいいいいい!」


 振りほどこうと、ハンドルを切りながらアクセルを吹かす指川さん。しかし急発進と無理な曲がり方をした結果、


「うあああっ!?」


 道脇にできていた溝にタイヤがハマり、ドスンと大きな音と共に軽く衝撃が走る。そしていくらアクセルを踏んでも土を掘り起こすだけで、車は動かなくなってしまった。


「奈鈴! 大丈夫かっ!?」


「う、うん。怪我は無いみたい……」


 溝にハマる直前に、剛じいが私を抱きかかえるように体を覆っていた。そのおかげか衝撃はあったものの痛みは全く無かった。


「そんなこともできるだ……守護霊って凄いね」


「これくらい、奈鈴のためならわけないさ」


 優しい口調の剛じいにホッとするのも束の間、運転席の窓をバンバンと叩く音が聞こえ始める。


「アアアァァアアァァ!!」


「うわああああああ!?」


 指川さんの悲鳴が響く。でも身動きが取れない私達は男が窓を叩く姿を見ることしかできない。


「止めろっつってんだろ!!」


「アガァァァ!?」


 剛じいが車の外へと飛び出し、男を殴り飛ばして遠ざける。それでも男はすぐに立ち上がり、今度は剛じいへ殴りかかって行った。


「よくも奈鈴を危ない目に合わせたな! 覚悟できてんのかテメェ!」


「アガッ! グハッ! ウグゥ!?」


 肉弾戦では実力差がありすぎて一方的に殴られる男。でも取り憑かれて霊と一体化している時は剛じい曰く攻撃が通りにくいらしい。そのため長期戦になっていった。


「な、なんなんだよ……何してるんだい……!?」


 指川さんが震えた声で呟く。霊が見えない人にとっては、狂った男の人が何もない場所へ攻撃しては吹き飛ばされるという異様な光景にしかならない。


「さ、指川さんはお体大丈夫ですか?」


「あ? ああ……な、なんとか……うっ!」


 直後、指川さんがみぞおち部分を手で押さえてうつむいた。丁度シートベルトが巻かれていた部分で、溝にハマった衝撃で痛めたらしい。


(どうしよう……早く病院で診てもらわないと……!)


 年齢的に無理はさせられない。骨でも折れていたら大変なため何とかしたいが、今外に出るのは危険だった。


「くそっ! これ以上やったら本人の体もイカれちまう!」


「アアアァァ!」


 剛じいも攻撃しきることができない。どうすることもできない状態が続き、私は頭がこんがらかった末に力強く叫んだ。


「誰でもいいから助けてっ!!」


「奈鈴っ……!」


 車内を飛び越えて私の声が林に響いた。こんなことしても意味がないとすぐに思ったけど、


「助けに来たわよそいやぁぁぁぁぁー!」


 それに応えるように、鏡花さんが跳び蹴りを放ちながら現れた。突き出た足が男の背中を直撃し、苦痛の表情を浮かべながらその場に転がる。


「鏡花さん!? どうしてここが!?」


「クラクションと車を叩く音! あれだけうるさければ気づくわよ!」


 鏡花さんの言葉と同時に、ユウちゃんが車内に飛び込んで来た。


「奈鈴さん! 無事!?」


「ユウちゃん! 私は大丈夫! そっちも無事で良かった!」


「アガッ……アアァァ……!」


 私達が再会を喜んでいる間、男は痛みを露わにしながらも立ち上がろうとしていた。でもその隙に鏡花さんは素早く距離を詰め、


「はっ!」


「アグッ……!」


 懐からお札を取り出して男の額に張り付けた。その瞬間男は意識を失って鏡花さんの腕の中に倒れ込む。


「ふぅ……感謝するぞ巫女さん。助かった」


「どういたしまして。お礼なら今度、神社の賽銭箱にお願い」


 笑顔を見せる2人を見て、私も肩の力が抜ける。しかしすぐ横の指川さんを見て我に返り、


「大丈夫ですか!?」


「ううう、胸がちょっと苦しい……」


 指川さんのシートベルトを外し、座席を倒して横にする。その様子を見ていた鏡花さんも駆け寄って来たので、私は鍵を開けて事情を説明した。


「そう、大変だったわね。すぐ救急車を……って、連絡つかないんだった」


 この林はなぜかネットも電話も繋がらない。霊が邪魔していると鏡花さんは言っていたが、それが本当ならそいつを何とかしないと指川さんが危なかった。


「とにかく、まずはこいつを何とかしてみるのが先だな」


「同感ね。連絡が取れるようになればそれで良し」


 鏡花さんは男を地面に仰向けに寝かせると御祓い棒を掲げる。


「祓え給え、清め給え、心境の光にて、守り給え……」


 そして意味は分からないが何かを唱えた途端、


「あァあああアあああアアアアア!」


 男は気を失ったまま、奇声を上げ始めた。

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