第8話『筋トレメニュー表(霊)』

「せ、生還っ……! 私、生きてるっ……!」


 犬鳴村での死闘と激走を乗り越え、私は自宅に戻って来た。誰もいない玄関でも、一歩踏み込むとドッと安心感が込み上げて力が抜ける。


「奈鈴、お疲れ様。正直、かなり負担を強いてしまって反省してるぞ」


 剛じいが謝罪しながら後に続くが、私にはもう怒って言い返す余裕もない。靴を脱いでフラフラと自室へ向かう。そして、


「お、お邪魔します。ここが奈鈴さんの御自宅ですか……」


 その後に続いて、ユウちゃんが家に入って来た。


 結局、一緒に犬鳴村から脱出したものの、行く当てがなく成仏する方法も分からないため、ウチで引き取ることになった。剛じい曰く放置するとまた怨霊になる危険もあるため、側で見張っていた方が良いとのこと。


「まあ、狭いとこだがゆっくりしていくといいぞ」


「は、はい。ではお言葉に甘えて」


 そんなやりとりを背中で聞きながら、私は自室に入ってベッドに倒れ込んだ。体中が重い。走って叫んでの繰り返しで疲れた心身が、瞼にも重くのしかかる。


「お待ちを。せめて寝巻に着替えて、歯磨きをしてから寝るべきかと」


 そんな私に、部屋に入って来たユウちゃんが忠告する。久しぶりにお説教をされて、懐かしい気分になった。


「ユウちゃん、しっかしりてるね……何だかお母さんみたい……」


「なっ……い、いいですから、早く歯を磨いてきてください」


「はぁ~い……」


 意識がフワフワする中、私は言われた通りに洗面台へと向かう。その後ろで、


「お母さんと言えば、奈鈴さんのご両親はどちらに?」


「父親は稼ぐために忙しくて、今日も出張だ。母親はずっと昔に亡くなっているよ」


「そうですか……失礼しました」


「いいや、大丈夫。気にするな」


 そんな会話が聞こえた気がした。




翌朝


「というわけで、朝ごはんを作ってみました」


「どういうわけ!? いきなり何事!?」


 私が朝起きてリビングに向かうと、テーブルの上におにぎりが2つ、ホカホカと湯気を立てながら置かれていた。その隣で、ユウちゃんが胸を張ってフワフワと浮いている。


「いやぁ、昨晩ウチの家庭事情を話したらな、居候させてもらうお礼がしたいと言い出してな」


「いやそれはありがたいけど、どうやって作ったの!?」


 ユウちゃんは幽霊だ。だから物に触れることはできないはず。なのにどうやっておにぎりを作ったのか。


「昨日色々調べていたら、ユウちゃんは物に憑依して動かせる力があると分かってな。まあ結局、記憶については何も進展が無くて残念だったが」


「自分の現状を把握するのは大切ですからね。その中で、憑依する力に気付けました。憑依できる物は1度に1つまでですが」


 私が寝てる間にそんなことがあったのか……って、二人もちゃんと寝なきゃダメでしょ。


「俺達は幽霊だぞ? 睡眠なぞ必要ない」


 あ、そういえばそうだった。普通に話してるからたまに忘れるんだよね。


「それで、この力を使って家事でもすれば恩返しになるかと。計量カップと炊飯器に憑依すればお米が炊けますし、その後ラップに憑依すればお米を握ることもできます」


「べ、便利すぎる……」


「さあさあ、私のことはこれくらいにして、冷めないうちにどうぞ」


 ユウちゃんがそう言って姿を消すと、椅子が勝手に引かれる。これも憑依の力みたいだ。私は恐る恐る引かれた椅子に座り、おにぎりを手に取る。


「い、頂きます……」


 一口食べると、塩の味が口に広がる。味付けも完璧なようで、シンプルな塩むすびながら凄く美味しかった。


「美味しい……!」


「ふふふ、それは良かったです」


 いつの間にか目の前に戻って来たユウちゃんが、満面の笑顔を見せる。それを見てこっちも笑顔になった。


「料理、上手なんだね。普段からやってたのかもしれないね」


「その記憶は残念ながら無いですが、そうかもしれませんね。感覚で覚えている、というやつでしょうか」


 ユウちゃんは料理が得意、これは彼女に関する手がかりを探すうえでの貴重な情報になりそうだ。覚えておこう。


「……ふふふ、ありがとうユウちゃん」


「どういたしまして」


 お父さん以外の手料理を食べたのは久しぶりだったので、私は思わず笑った。ユウちゃんも剛じいも、それを見て笑ってくれた。


「はっはっは! 今日もいい日になりそうだな!」




 そしてその後、登校して教室に入った直後、


「…………チッ!」


「うっ」


 一番に飯島さんと目が合って舌打ちを貰った。朝の爽やかな気分が台無しだこれ!


(はぁ……ドアの一番近くに飯島さんの席があるから仕方ないんだけどね……)


 遠回りしてもう一つのドアから入ればいいじゃんと思うかもしれないけど、そうすると余計に意識してるように受け取られて絡まれそうだし、我慢するしかなかった。


「クソッ……クソクソクソクソクソッ!」


 それにしても、今日の飯島さんはいつにも増して機嫌が悪そうだ。彼女は顔に出るタイプだから分かりやすい。


「何~? メッチャ切れてんじゃん。どしたの?」


 彼女の友人、佐野山黒江(さのじま くろえ)さんが朱色のメッシュを揺らしながら声を掛ける。友人とはいえ、あの状態の飯島さんに話しかけられるのは素直に凄いと思う。


「うちのクソババアが、分けわかんないこと言い出してウゼェんだよ」


「いつものことじゃね?」


「いつも以上にだよ! クソがっ!」


「まあ落ち着きなよ。なんだったらまた私ん家泊まりに来ていいから」


「……うん、サンキュー」


 どうやらまた母親と喧嘩したらしい。飯島さんの家は家族仲が凄く悪いって噂で聞いたことがある。彼女は彼女で悩みを抱えているみたいだ。


(ともあれ、触らぬ神に祟りなしっと……)


 私はなるべく関わらないよう、静かに自分の席へ着く。

 もっとも、昨晩本物の神様に狙われた私が言う台詞じゃないけどね。


「奈鈴、おはよう」


 先に登校していた陽介が話しかけてきた。昨日の激闘の直後だから、陽介の顔を見ると日常に戻って来たんだと安心する。


「おはよう。昨日はゴメンね、わざわざ連絡してくれたのに」


「ああ、いや。それはいいんだ……」


 陽介の歯切れが若干悪い。もしかして気にしてる?


「えっと、買い物は楽しかったか?」


 あ、多分これ買い物の途中で電話して迷惑かけたと思ってるな。優しいんだからもう。


「うん、楽しかったよ。気遣ってくれてありがとうね」


 ホントは買い物じゃなくて幽霊退治に出かけてたなんて言えないから、私は精一杯の作り笑顔で返した。


「お、おう……」


 あれ、なんか反応悪い。私の笑顔、そんなに変だったかな……。


「チッ!」


 遠くで飯島さんの舌打ちが聞こえる。まだ母親とのことでイラついているみたいだけど、正直それを周りにまき散らさないで欲しい。


「あー……えっと、昼休みにちょっと時間貸してくれないか?」


「えっ? あ、うん」


 気を逸らしていたところで陽介に言われ、私は反射的に返事をした。改まってなんだろう?


「じゃあ、屋上で待ってるから」


 そう言い残し、陽介は自分の席に戻った。

 一体、何の用があるんだろう?


「…………クソが。なんでアイツばっかり」




 で、昼休みの時間。


「屋上に呼び出し、男女二人っきり……これは脈ありと見ました」


「つ、ついに奈鈴と倉間君が結ばれる日が……!?」


「そこうるさい! そんなんじゃないっての!」


 私は約束通り屋上前の階段まで来たのだが、剛じいとユウちゃんも付いてきていた。


「何で2人とも一緒に来てるの……」


「俺は守護霊だから、常に一緒にいるのは当然だろ?」


「私は、新たなカップル誕生の瞬間をこの目で見たいと思いまして」


「だから陽介とはそんなんじゃないってば!」


 私は溜め息を付くが、そんなことを言われると嫌でも意識してしまう。


(……ほ、ホントにそんな話だったらどうしよう)


 少しドキドキしながらも、私は階段を上がって屋上へ続くドアを開ける。


「あ、奈鈴。待ってたぞ」


 その先で、陽介は床に座りながら昼食のパンを頬張っていた。


(あ、これ告白とかの空気じゃないや)


 私は心が急速に冷えていくのを感じた。両隣にいる剛じいとユウちゃんもそれを察し、露骨に残念がっている。だから最初から違うって言ったじゃん!


 私はハッと息を吐いた後、陽介の隣に座る。


「で、急にどうしたの? こんなところに呼び出して」


「ああ。大勢の前で話をするのもどうかと思って」


 陽介はパンを完食すると、私の目を見て話し始めた。


「昨日、心霊スポットの写真を撮りに行くってお前言っただろ?」


「え、ああ……うん」


 昨日私が付いた嘘のことだ。飯島さんの代わりと言ったけど、本当は剛じいと戦う相手を探すために行くってやつ。


「有澤トンネル以外にも、どこか行く予定はあるか?」


「え?」


 予想外の質問に素っ頓狂な声を上げてしまう。正直、私自身はもう死んでも行きたくない。でも、


「当たり前だ。まだまた力をつける必要があるからな!」


 隣にいる剛じいが、行く予定があると伝えろと訴えてくる。私は心の中で泣きながら首を縦に振った。


「まあ、写真のサンプルは多いほうが良いし……」


「そうか……じゃあ、これやるよ」


 そう言って陽介がポケットからメモ用紙を取り出した。チラッと見た感じ、箇条書きで何かが書かれている。


「話題になってる心霊スポットを調べて、行けそうな範囲内でリスト化しておいた。活動の役に立つと思って」


 え、マジ!? 頼んでないのにそんなことまでしてくれたの!?


 ……いや、気持ちは嬉しいけど、これで私は心霊スポットに行く運命から更に逃げられなくなった。嬉しさと嫌な気持ちで感情がグチャグチャなんですけど!?


「いるか? いらないなら、すぐ捨てるけど」


「え、えーっと……」


 横目で剛じいをチラリとみるとサムズアップしていた。くっそ良い笑顔で喜んでるんじゃないよ!!


「う、うん。ありがとう! とっても助かる——」


 笑顔を作りながら私はメモに手を伸ばす。でも受け取る直前で、陽介がメモを上に掲げてそれを遮った。


「え?」


「あげる代わりに、2つ条件がある」


 真剣な顔で私を見つめる陽介。え、何? 私に何をさせたいわけ?


「1つ目。親父さんや俺、友達でもいいから、絶対に誰か誘え。1人で行かないこと」


「え……う、うん。それはもちろん」


「2つ目。向かう直前に、必ず俺に連絡すること。万が一の時に、どこに行ったか分かる奴が別にもう1人いた方がいい。場所が遠いやつもあるしな」


 なるほど、私を心配してくれてるからこそのルールってわけね。やっぱり陽介は優しい。


「わ、分かった。必ず連絡するね」


 誰かと一緒に行くのは無理だから1つ目のルールは破ることになるけど、2つ目に関しては私としても安心だ。保険をかけておくに越したことはない。


「ん……それを守れるなら、はいこれ」


 そう言って陽介は改めてメモを差し出す。受け取ってその中身を読むと、心霊スポットの場所とその内容が簡潔にまとめられていた。



①隣県の廃病院 宙に浮く顔が目撃される。

②隣県の廃校 かつでの生徒の霊が現れる。

③A県の湖 幽霊が住んでいて、近づくと引きずり込まれる。

④B県の山奥にある電話ボックス 電話をかけると悪霊と繋がって呪われる。

⑤C県の遊園地 お化け屋敷で本当にお化けが出る。

⑥D県の廃美術館 夜になると人影が見える。

⑦T都の御堂跡地 石灯籠の近くで、女性の霊が現れ呪われる。



「全部で7つ、かぁ……」


「……有澤トンネルも含めると8つだけど、足りなかったか?」


「ううん、むしろお腹いっぱい。ありがとう」


 うん、ホントお腹いっぱい。これ全部回るの? 本音ではすっごい嫌。


「ふむむむ……生前であればくだらないとバカにしていた内容ですが、いざ自分が幽霊になってみると無下にできませんね」


「うむ! 全部行ってみる価値はあるな! これでまた強くなれそうだ!」


 心の中で号泣する私をよそに、剛じいとユウちゃんはキャッキャしていた。くっそう、人の気もしらないで!


「うう……」


「なっ……泣くほど嬉しかったのか?」


「え?」


 頬を触ると、確かに涙が流れていた。号泣してたのは心の中だけじゃなくなったらしい。


「お前、そんなに心霊スポットとか、オカルトが好きなやつだったっけ……?」


「あっ! ここ、これは違うの!」


 誤魔化さなきゃいけないという焦りと、泣いてしまったことの恥ずかしさが混じってヤケクソになった私は、ゴシゴシと目を擦って言葉を並べる。


「なんていうかさ……昨日のおすそ分けもそうだけど、こうやって陽介が気にかけてくれて、色々してくれるのが嬉しくてさ」


 自分で言っていて、最低だと思った。言葉自体は紛れもない本心だけど、それを言い訳に使ってしまった自分に嫌気が刺す。


「陽介……いつもありがとう」


 だからせめて、最後の御礼は心からのものを口にした。


「あ……お、おう。どういたしまして」


 目を逸らして照れている。ちゃんと伝えられたみたいだ。


でもゴメンね……約束破るために、こんなこと……私ってヤダなぁ。


「……それじゃあ私、そろそろ行くね。メモ、ありがとう」


「あ、ああ。午後も授業頑張ろうな」


 バツが悪くなった私は、立ち上がって屋上を後にした。


 でも、このお返しはいつかちゃんとしよう、そのためにも早く霊視を治して、普通の日常を取り戻そう。私はそう決意した。






「……行く前には、絶対に連絡してくれよ」


 奈鈴が去った後、陽介は俯きながら呟く。


「連絡さえしてくれれば、俺は……」


 そう言って、自分のスマートフォンをしばらく見つめていた。


「……チッ」


 そして、その一部始終を出入口の裏側で聞いていた紀里華が、聞こえないように小さく舌打ちした。

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