第19話 険悪なふたり
――刻哉たちとリコッタが出逢ってから、丸二日が経過した。
「……
刻哉は川のせせらぎに両手を入れ、すくった水で顔を洗う。心地よい冷感が肌を引き締める。
顔に付いた水滴は午前中の陽気で飛ぶに任せ、彼は辺りを見回した。
凹凸のある平原を流れる川のほとりである。
適度な広さと、風よけ雨よけにちょうど良い岩の出っ張りの下に、彼らが夜を明かしたテントが設置されていた。
テントはリコッタが売り物として持っていた道具類のひとつである。
――二日前。ドラゴンエアリアルを退けた刻哉たちは、まず洞窟の入り口で一夜を過ごした。体調の悪化した刻哉を休ませるためだ。
ここでリコッタの商売道具が役に立った。野営をするのに必要な道具一式が揃っていたのである。食料も、わずかながら蓄えがあった。
もちろん、ドラゴンの生息地で長居するのは危険極まりない。
丸一日かけ、なんとか動けるだけの体力を刻哉が取り戻した後、より安全な場所に移動する。
それがここ、川原の野営地であった。
「トキヤ!」
名前を呼ばれ、振り返る。
猫耳少女リコッタが、尻尾を立てながらこちらに駆けてきた。手には乾いたばかりのタオルがある。
「――! ――」
満面の笑顔でリコッタがタオルを差し出す。何かをしきりに話しかけてくるが、刻哉には内容がまったく理解できなかった。
元々コミュニケーション能力が機能不全を起こしていた刻哉である。
互いの名前以外、会話不能なことをあまり気にかけた様子もなく、「ありがとう」とタオルを受け取る。
顔を拭き、ついでに水に濡らして腕や首筋の汗と汚れを取る刻哉の様子を、リコッタは機嫌良さそうに見つめていた。
いせストでも人気の高いNPC。ファンの間では『ネコッタちゃん』の愛称で呼ばれている少女は、今、このコミュ障バグ男に懐いていた。
それはもう、
言葉が通じなくてもお構いなしである。
刻哉は懐かれる理由が分からない。だが悪い気はしていなかった。
可愛い子に好かれて満たされているから――では、ない。
リコッタは行商人として働いていたせいか、野外でのサバイバルについて知識と技術、そして必要な道具を持っていた。
天候や地形の読み、テントの設営、野営の準備、薄い寝具硬い地面で眠ることへの抵抗感のなさ――これらで刻哉とぴったり息が合ったのだ。
リコッタもリコッタで、刻哉の接し方――馴れ馴れしくしないが突き放しもしないのが心地良いようである。
彼女の腰には、昨日から新たに革ベルトが巻かれている。そこに、刻哉が新しく打ったナイフ擬きが差し込まれていた。
リコッタの商売道具には、残念ながら鍛冶に使えそうなものはなかった。だから武器の出来は刻哉の理想からほど遠い。
それでもリコッタは嬉しそうに受け取ってくれた。
刻哉も簡単ながら武装している。もっともこちらは、リコッタの売り物から譲り受けた本物のナイフや小物類だ。手袋ひとつ身につけるだけでも、野外での道具の扱いやすさはまったく違ってくる。
刻哉とリコッタは出逢ってからさほど時間をかけず、お互い良好な関係を築けていた。
その一方で――。
「フィステラさん。無理しなくていい」
テント前まで戻った刻哉は、岩陰に隠れるようにして作業をしている精霊少女に声をかけた。
彼女は回収したドラゴンエアリアルの一部を、
昨日から、そればかり行っている。
刻哉としては、いつでもどこでも鍛冶に没頭できるのはありがたい。声かけは純粋な気遣いからだった。
だが、リコッタはそうではなかった。
「――、――!」
「――っ、――……」
獣人少女と精霊少女が何事か言い合いを始める。
現地人の言語なのだろう。単語すらも聞き取れない。物語やゲームにありがちな異世界語翻訳能力は、刻哉にはなかった。
本来、翻訳は日本語と異世界語の両方を理解するフィステラが適任。
しかし、とても悠長に翻訳を依頼する雰囲気ではない。
刻哉の目から見てもこの二人は良好な関係とは言えなかった。
特にリコッタの方が、精霊少女を目の
フィステラはその剣幕に押され、終始、言葉を濁しているように見える。
雲行きが怪しいふたり。
だが、そこは
「ふたりはどうしてそんなに仲が悪いんだ」
ズバとフィステラにたずねた。
精霊少女はしばらく視線を彷徨わせた。彼女の周りを舞う蝶が目まぐるしく色を変える。
現状に悩んでいるようにも、リコッタに敵視されて落ち込んでいるようにも、刻哉に気にしてもらえて喜んでいるようにも見える色だった。
フィステラは言う。
「私が、精霊だからです」
「……?」
「チーターを生み出す力が私たちに備わっていることは、以前にお話ししたと思います。彼女は、リコッタさんは、精霊によって故郷を追い出され、チーターによって理不尽な目に遭ってきた……そうです」
ぐい、と刻哉の裾を引かれた。リコッタだった。
耳と尻尾を不機嫌そうに動かしている。
「――!」
可愛らしい小さな口が、何かを訴える。さしずめ――『こんな奴は放っておこう』というところか。
刻哉はふたりの少女の顔を順に見た。
身近な人間が――彼女らは精霊に獣人ではあるけれど――互いに気まずい空気になったときの対処法を、刻哉は知らない。
興味もなかったし、自分には無縁とさえ思っていた。
稀代刻哉はコミュ障である。コミュ障な上にバグっている男である。
彼は何を思ったか、ふたりの間に座ると、たった今フィステラが作った地粘材で新しい武器を打ち始めた。
さすがに予想外だったようで、精霊少女も獣人少女も目を丸くする。
「あの、トキヤさん? なにを」
「いいよ。文句言って。俺に」
「はい?」
「こういうとき、話を聞こうとしない男にはイラッとするらしい。職場でよく言われたんだ。リコッタに苛立ちをぶつけられないなら、俺にぶつければいい」
視線を地粘材に落としたまま、刻哉はあっけらかんと言う。
「虐げられるのには慣れてる」
「そんな」
「ほら。リコッタにも同じように伝えてくれ。怒るなら俺を怒れって。それで気晴らしにしろって。俺はこの世界の言葉が理解できない」
「いや、ですが」
「俺とリコッタを言葉で繋げられるのは、君だけだ。フィステラさん」
なぜか。
刻哉の言葉を聞いた途端、フィステラは泣きそうになった。
危うく目尻から涙がこぼれそうになるのを急いで拭い、それからおずおずと、二言三言、リコッタに話しかける。
何を話したのか、刻哉には想像もつかない。
ただ、怒り顔だったリコッタが眉間に皺を寄せた困り顔に変わった。刻哉の両肩をつかみ、まるで子どもが父親に駄々をこねるように、グラグラと揺すってきた。
「なに?」
「――!」
おそらく文句を言ったのだろう。
頬を膨らませたリコッタは、そのまま踵を返してテントに潜り込んでしまった。
フィステラを見る。
いくぶん緊張の解けた彼女は、少しだけ恨めしそうに言った。
「好かれていますね、トキヤさん」
「リコッタはなんて?」
「……教えてあげたいけど、教えてあげません」
理不尽だな、と刻哉は思いながら、鍛冶の作業に戻った。
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