第18話 リコッタの揺れる思い


 マナの欠乏によって苦痛にあえぐ刻哉。

 彼の背中を撫で、大丈夫かとしきりに声をかけるリコッタ。

 彼女は刻哉の言葉がわからない。

 だが、リコッタは刻哉から目が離せなかった。


 ――この人は、どうしてこんなに強い目をしているのだろう。今にも死にそうなほど苦しんでいるのに。


 まるで焚き火を求める放浪者のように、リコッタは強く強く刻哉に惹かれていた。


 彼女の視界の端に、光の蝶――精霊フィステラの姿が入ってくる。

 その瞬間、リコッタは冷水をかけられたように我に返った。刻哉の背中から手を離し、一歩、二歩と距離を取った。

 精霊が彼に何を話しているのか、リコッタにはわからない。「トキヤサン」という単語がこの青年の名前ではないかと、おぼろげながら推測ができる程度だ。


 リコッタは面白くなかった。

 強く興味を持った相手が、憎むべき精霊から懇意こんいにされている。その光景を見ること自体が不快だった。


「その人から離れて」


 我知らず、リコッタは剣呑な声で告げてしまう。

 精霊フィステラは、ハッと顔を上げた。

 獣人少女は彼女を睨む。


 精霊少女はしばらく、何事かを考え込む様子を見せた。それからまなじりを決し、リコッタに言う。


「私は精霊フィステラ。そしてこの方はのトキヤさん。私はこの人の連れで、味方です」

「外界人……」

「あなたは世界の方ですね? お願いがあります。トキヤさんを救うため力を貸して欲しいんです。あなたの」


 フィステラはリコッタにも通じる言葉で話す。精霊の周囲に舞う蝶が、赤く強く光ったり、青く頼りなげに瞬いたりしていた。

 リコッタは、腰に吊り下げていた最後のナイフもどき一本を取りだした。逆手に構え、身をかがめる。獲物を一撃で仕留めようとする獰猛どうもうな姿勢だった。


 外界人。

 こちら側。

 チーターを生み出す奴らと、同じ言い方だ。


 獣人少女は低い声で言う。


「お前、その人をチーターにするつもりか」

「違う!!」


 予想外に大きな叫びが返ってきた。

 リコッタの獣耳が一瞬、叱られた子犬のようにぺたりと折れる。


 彼女の中で、嫌な記憶が蘇る。

 故郷。反逆の罪で放逐されるとき。支配者の精霊から吐き捨てられた非情な言葉。威圧。

 ざわついた。どうしようもなくざわついた。手にしたナイフ擬きがカタカタと震える。

 嫌だ、とリコッタは思った。大切な妹も、仲間も喪った。いや殺された。それなのに、その元凶たる精霊に対して、いまだに恐怖している自分が嫌だった。

 精霊の言葉なんて聞きたくない。信用したくない。顔も見たくない。


「お願いします」


 精霊フィステラが言った。今度はとても弱々しい声だった。


「私にはトキヤさんを救う手立てがない。でも、この人はこのまま息絶えてよい人ではないのです」

「……」

「救いたいのです。私は、この人を。でなければ、私はまた、同じ過ちを……!」


 げほっ、げほっと派手に咳き込む音。外界人――刻哉だった。

 彼はうずくまった姿勢のまま、隣にいるフィステラの膝を軽く叩く。そして何かをつぶやいた。

 リコッタにその内容はわからない。

 だがフィステラは青年の言葉に大きく目を見開き、それから泣きそうな顔をしながら苦笑した。


 リコッタはその様子を見て、「悔しい」と思った。なぜここまで悔しがってしまうのか、自分でもよくわからなかった。


「ひとつ、教えて」


 リコッタは精霊にたずねた。


「今、わたしが持っている武器。ドラゴンを一撃で倒すことができたもの。……その人が使った武器も、きっと同じもの」


 フィステラがみたび目を見開く。リコッタは呼吸を整える。


「この武器について、あなたたちは何を知ってるの?」

「……それをお伝えすれば、協力してくれますか?」

「精霊の言うことなんて信じられない」


 フィステラの蝶が動揺したようにまたたく。


 自分でも筋が通らない話をしているのはわかる。

 それでも。


「この武器はわたしを助けてくれた。救ってくれた。わたしはこの武器を創ったひとに会いたい。教えてくれたら、協力する」

「そう、なんですね」


 フィステラの言葉に違和感を覚え、リコッタは眉をひそめる。

 精霊は刻哉に何事かささやいた。青年がうなずいたのを確認し、フィステラは口を開く。


「その武器は、ここにいるトキヤさんが創ったものです」

「え?」

「本当です。先の龍よりももっと巨大で凶悪な個体すら、一撃でほふる刃を打つ……それがこの方のスキル。世界でただひとつの力です」


 フィステラがナイフ擬きを指差す。


「チーターたちによって奪われたとばかり思っていました。ですが、その武器があなたを助け、そして私たちをも助けたのは、運命めいたものを感じます」

「運命……」

「はい。私はこの方……トキヤという青年が、この武器で、この力で、世界を救ってくれるものと信じているのです」


 今、改めて確信しました――と精霊フィステラは言った。


 リコッタはいっとき、言葉を失った。

 精霊の言葉は信じない。信じたくない。

 だけど、今のこの状況は――。


 尻尾がまたぶわりと膨れ上がる。今度は威嚇ではなく、興奮のためだった。


 まさかこれほど早く、ナイフ擬きの製作者に出逢えるなんて。

 しかもその人物が、世界でただひとつの力の持ち主だったなんて。

 獣人少女は追放されてから初めて、神のご加護がまだ残っていたことに感謝した。


 ――この人がいれば、もう自分のような境遇の者を作らずに済むかもしれない。


 リコッタはナイフ擬きを降ろした。


「わかった。協力する」

「ああ……! ありがとうございます!」


 涙を浮かべながら礼を言うフィステラ。精霊少女は刻哉の背中を撫で、また何かを語りかけていた。

 リコッタの尻尾が、いつもの見た目に戻る。

 急にきびすを返した彼女に、フィステラが慌てて声をかける。


「あの、どこへ」

「……わたし、行商人。荷物、向こうに置いたまま」


 言葉少なに答える。


「持ってくるから。そこで待ってて」

「は、はい。あの」

「今度はなに?」

「その。あなたのお名前は?」


 振り返る。

 蝶をまとう美しい精霊少女が、ホッと安堵の表情を浮かべている。それが無性に腹立たしくて、獣人少女はぞんざいに言った。


「リコッタ。精霊に何もかも奪われた、ただのリコッタだよ。


 言葉の刺々しさに衝撃を受けるフィステラ。その顔を見て、リコッタは少しだけ胸がスッとした。

 そんな自分に嫌気が差して、彼女は足早に荷物を置いた場所まで走っていった。

 

 

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