第16話 出逢って尻尾
――リコッタはナイフ
元々細い希望。帰る場所もない。
彼女は、このナイフ擬きを売ってきたチーターたちを追うことにした。
もうとっくに姿は見えない。
ただリコッタには、ひとつだけ心当たりがあった。
チーターたちが歩き去った方向には、巨大なドラゴンが棲息する場所があるという。危険すぎるので近づいたことはないが、もし、リコッタの元で道具を補充したチーターたちが、ドラゴン討伐に向かったのだとしたら。
「この先に、それらしい場所がきっとあるはず」
腰に下げた数本のナイフ擬きを触りながら、自分に言い聞かせる。
ここ数か月のリコッタは、常に虐げられ強制される立場だった。
それが今、自分の意志で先に進もうとしている。
最初の数分こそ意気に燃えていた彼女だったが、すぐに大きな不安に
本当にこれで正しかったのか?
いつになったら報われるのか?
目標と希望が遠いとき、意志を強く保ち続けるのはとても難しいのだとリコッタは思い知る。
目に映る世界は、とてつもなく広い。
一見すると
リコッタは無意識のうちに、自分を励ます言葉をつぶやき続けていた。
それによって余計に体力を浪費しながら、進む。歩く。
丘の頂にさしかかったときである。
彼女は眼下に、大きな洞窟が口を開けているのを見つけた。
左手方向には
山の頂上付近では、何かが飛び回っている影。あの特徴的なシルエット、おそらくドラゴンだ。一匹や二匹ではない。
リコッタは近くの岩に身を隠した。激しい鼓動を深呼吸で鎮める。
「ドラゴンが棲む山の近く。そこにある洞窟。ここまでの距離……大丈夫。きっとここだ」
足が震えた。あの中に本当にひとりで入るつもりかと、心の中の自分がつぶやく。
リコッタはナイフ擬きを握った。もはや彼女にとってお守りのような存在になっている。
少しだけ震えが治まる。これを作った人には感謝しなければ、とリコッタは思った。
「……!」
獣人少女の目が洞窟から出てくる人影を捉えた。――ふたつ。
彼女は視力が良い。
ひとりは、黒髪の男性。顔付きや装備品から、チーターではなさそう。けど、見慣れない格好だった。抱えているもの、あれはなんだろう。
もうひとりに注意を向けたとき、リコッタは身体を強ばらせた。
藍色の髪をした、たおやかな雰囲気の少女。光り輝く蝶を数匹、まとっている。
その特徴的な容姿から、リコッタはすぐに理解した。
――あれは、精霊だ。
しかも……たぶんだけど、上位精霊。
「精霊……精霊ッ……!」
リコッタは唇を噛んだ。獣耳が威嚇の角度を描き、尻尾が膨れ上がる。
彼女の中に激しい感情が湧き上がってきた。
――数か月前。
リコッタの故郷は、余所者に乗っ取られ、完全に支配された。
その支配者は、リコッタや妹、そして仲間たちを理不尽な仕打ちで追い出した。
その支配者は、チーターを操り、リコッタたちを監視させ、命を弄び、駒のように扱った。
その支配者こそ、他ならぬ精霊である。
ヒトの姿をした悪魔――!
ナイフ擬きを強く強く握りしめる。
早く。どこかに行ってしまえ。
そうじゃないと、わたしはこのナイフで――!
リコッタの耳が、不意にピンと立つ。
空に視線を向ける。
山の周りを飛んでいたドラゴンの何匹かが高度を下げ、一斉に精霊たちに襲いかかったのだ。
どうやら降りてきたのは小型のドラゴンばかりのようだ。
だけど、遠目でもわかる。
精霊がひどく慌てている。
「ははっ」
ざまをみろ。
わたしたちを虐げた報いだ。
口元に獰猛な笑みが浮かぶのが、自分でもわかった。
同時に、涙が目尻から溢れるのもわかった。
虚しくなったのだ。惨めになったのだ。すべてを失い、こんな遠くから憎き相手の醜態を眺めるだけなんて。
それに元々、リコッタという少女は演技ほど強気な性格じゃない。
リコッタから笑みが消える。
精霊が、同行者の青年を
リコッタは初めて、青年の方に注目した。
精霊に比べて、驚くほど動揺が見られない。かといって抵抗を諦めているようにも見えない。
ここから眺めていても、不思議な雰囲気を感じさせる青年だった。
リコッタの気持ちが決定的に変わったのは、次の瞬間。
青年が、抱えていた不格好な袋から、黄金色の『何か』を取り出したのだ。
リコッタは目を見開く。それはリコッタがお守り同然にしているナイフと、瓜二つだった。
小型ドラゴンが折り重なるように青年たちに殺到する。鋭い足爪を突き出す。
それに対して、まったく
手にしたナイフ擬きが眩く輝いた。リコッタが思わず目を細めたほどに。
突き出された刃から黄金色の光が伸びる。
ドラゴンを二体、まとめて貫く。
ドラゴンたちは、空中で衝突し絡まり合った。そのまま青年たちの後方に墜落する。
ぴくりとも動かなくなった。
あの一瞬で、あの一撃で、凶暴な敵を倒したのだ。
残ったドラゴンたちは警戒して高度を上げた。威嚇の叫びを上げているところを見ると、襲撃を諦めたわけではない。
精霊は相変わらず慌てている。退却を促しているように見えた。
青年はその場から動かない。
リコッタの視線が青年の表情へ釘付けになった。
彼は――不安も恐怖も微塵も見せず、ドラゴンを見上げていたのだ。ただ勇敢なだけじゃない。死ぬ可能性が高いとわかっていてもなお、敵との対峙を望んでいる。
あの青年はきっと、自分が息絶えるその瞬間まで同じ表情をしているだろう。
それを理解した瞬間、リコッタの全身を激しい痺れが駆け抜けた。耳の先から尻尾の先端まで、気を失いそうなほどの衝撃がほとばしる。
毛が逆立った。どうしようもなく
気がつけば、背負っていた荷物を降ろして駆け出していた。
ナイフ擬きを両手に一本ずつ持つ。
草原の丘を、一気に駆け下りた。ひゅおおおおっ、と風切る音が鼓膜を震わせる。
跳躍する。
空中で身体をねじる。
ドラゴンがリコッタに気づく。
その首元に、渾身のひと薙ぎを放った。右手で一撃、回転の勢いのまま、左手でも一撃。
着地。
両手のナイフ擬きが金属音を上げて粉微塵になるのと、首なしになったドラゴンの亡骸が2体分墜落するのとが、ほぼ同時だった。
残ったドラゴンが今度こそ逃走していくのを、リコッタは視界の端で捉える。
安堵の息がなかなか吐けない。武器を失った両手を意味もなく握ったり開いたりする。
後ろで、誰かが身じろぎする音がする。微かに声もする。そんなに遠くない。ほんの数歩先。
リコッタは、自分が緊張していることに気づいた。
――ゆっくりと振り返る。
真っ先に、青年の姿が目に入った。まるで最初から彼を探していたように。
青年は最初、何を考えているのかわからない平坦な表情をしていた。
それがほんの少しだけ――荒れた土地からわずかに顔を出した新芽のように、爽やかに和らいだ。
リコッタの尻尾が再び、ぶわっと膨らんだ。
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