第4話 蝶をまとう少女


 深い藍色の長髪、それが水中でたゆたうようにひとりでにゆっくりと、揺れている。

 日本人ではあり得ない、金色の瞳。人間離れした美貌。

 身につけている衣服が見えた。蝶をデザインした羽織袴姿。扇情的だった。脇腹や鎖骨が大胆に見えている。

 年の頃は十六、七くらいの――現実離れした美少女。


 なのに、刻哉の右目に血が入っているため、少女の半身はどろりとした赤で染まって見える。

 逆にそれが強烈な現実感を刻哉に与えた。


 少女の質問には答えず、刻哉は散乱した荷物からスマートフォンを探した。画面にヒビが入り、完全に機能停止している。右腕が自由に使えない中、苦労してポケットに入れた。

 その後も彼は、負傷した身体と不自由な視界のまま荷物を整理し始める。コンパス、携行食、ペットボトル。フォールティング折りたたみナイフはベルトに差しておく。


 ――たまらなくなって、少女が言った。


「あの!」

「……なに?」

「あなたは何をしているのですか? 怪我をしているのです。そんな小物類を拾い集めるより先に、一刻も早くここを抜けて治療を行うべきです」


 刻哉は辺りを見回した。

 彼らが放り出された場所は、それなりの広さがある洞窟の中だった。

 不思議な灯りに包まれている。どうやら至る所に光る苔か、あるいは光る石があるらしい。


 ここが日本じゃないことは確かだなと刻哉は思った。

 散らかった物を拾い集めるにはちょうどよい環境である。


「また拾う! ですからあなたは!」

「君はナビゲーションピクシーか何か?」

「何を考えて――って、え? なび……? ぴく……?」


 わかりやすく困った顔をする。意外に表情豊かな子だなと刻哉は思った。


 ナビゲーションピクシーという単語が通じない。

 日本人じゃない。人間ですらないかもしれない。

 けれど問題なく日本語で意思疎通ができる。

 刻哉は荷物整理の手を止めると、じっと正面から少女の目を見た。


 ――稀代刻哉は、元々名家の御曹司である。両親はどこに出ても恥ずかしくない容貌をしていた。

 ロボットのような無表情を改め、真剣な目つきになれば、十分に魅力的な顔立ちと言える。


 パッと視線を外した少女に、刻哉はたずねた。


「教えて欲しい。ここは、異世界ストリームの中なのか?」

「あなたが何を言っているのかわかりません」


 少女は横目で刻哉を見た。


「けれど……あなたのように外の世界から大勢の人間が送ら――やってきているのは知っています」

「……いつから?」

「三ヶ月ほど前から」


 いせストだ。やはりここはいせストの世界なのか。

 少女が再び、刻哉の顔を正面から見る。


「あなたでも、そのような顔をするのですね。少し、楽しそうな表情です」

「楽しそう? 俺が? そう……そうかもな。ここに、この世界に俺は来たかった。ずっと」

「残念ですが、その感情は今すぐ捨ててください。ここは楽しい世界ではありません」


 蝶をまとう少女は、刻哉の折れた右腕をそっと撫でた。


「特に――あなたたちにとっては。私は、結局何も出来なかった。今も、私は怖くて……あなたを理由にして、引き返してしまった」


 刻哉は一瞬、言葉を失った。

 少女の話した内容にショックを受けたから――では、ない。

 少女の表情が、あまりにも見覚えがあるものだったからだ。


 絶望。

 そして、罪悪感。

 自分の居場所に強い疑問を抱き続けた者特有の、暗い色。

 刻哉が毎日のように、鏡で見てきた顔だ。刻哉自身が、ずっとそんな表情をしてきたのだ。


「俺は刻哉。稀代刻哉」


 少女が顔を上げる。


「さっきは無視してすまなかった。君の名前を教えて欲しい」

「私……私は――」


 蝶をまとう少女が口を開きかけたとき。

 轟音とともに、風圧と砂埃が刻哉たちに襲いかかった。

 何が起こったのかを確認しようにも、視界が極端に悪くなって状況がわからない。


「トキヤさん!」


 蝶をまとう少女の声がした。


「そのまま、まっすぐ五歩進んでください。岩陰があります」


 刻哉は従った。ちょうど指示通りの場所に身を隠せるところがあった。

 すぐ隣に少女の姿。やはり人間離れした横顔である。刻哉はたずねた。


「すごい感覚だ。君は、精霊なのか?」

「トキヤさん。あなたは、空気が読めない人間だと言われませんか?」


 また心底呆れた声で少女は言った。

 そして、ちらりと刻哉の右腕を見る。


「負傷した右腕、痛みますか?」

「思ったほどじゃないよ。不思議なものだね」

「……私はあなたがわからない。――」


 刻哉は蝶の少女を見た。言う。


「君にとって俺は、可哀想な被害者に見えるのかい? 被害者は被害者らしく、もっと騒いで、自分を頼れと?」

「え……。あ」


 辛辣とも言える刻哉の台詞に、少女は言葉を詰まらせた。


「……ごめんなさい。今のは忘れてください」


 砂埃が舞う突然の非常事態の中、蝶の少女はもどかしげな表情を浮かべていた。


 轟音。

 今度は鼓膜が割れるかと思うほどの激しさだ。

 まるで、恐竜の吠え声を大音量で流したような。


 砂埃が落ち着く。

 刻哉は少女とともに、岩陰から様子をうかがった。


 光る石に下から照らされて、侵入者の姿が浮かび上がる。


「あれは……アダマントドラゴン」


 ――数日前にいせスト動画で見た。

 魔法金属の皮膚を持つ、超凶悪で強力なドラゴン。ビジュアルが格好良いと、各実況スレで話題になった。

 アダマントドラゴンは、とある中堅パーティを返り討ちにしている。


 装備も。

 レベルも。

 戦術的な連携も。

 それなりに揃えたパーティを、このモンスターはしていた。

 刻哉の手には、装備も、レベルも、戦術的な連携もない。


 メタリックに輝く巨大ドラゴンが再び咆哮を上げた。


 そのとき――。

 大穴が空いた洞窟から、人影がひとつ、

 

 


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