第2話 異世界への入り口、大噴禍
足下に置いていたバックバックを背負い直した。改札を抜ける。
通勤だけならメッセンジャーバッグ程度で十分なのだが、刻哉は敢えて、少し大きめのカバンを愛用している。
細身で締まった身体付きと合わせると、まるで熟練の登山者のようだ。
バックパックの中身も、およそ資料館勤めの人間とは思えないモノばかり。
これは、刻哉の趣味――いや、
――外が騒がしい。ひっきりなしにサイレンが鳴っている。
刻哉が利用する駅の周辺は、いわゆる歓楽街だ。治安が悪い。
そそくさと歩いて行く人の波に乗って、駅を出る。
目の前の道をパトカーが走り去っていった。目線で追うと、ノーヘルバイクや無灯火チャリの一団が一目散に逃げていた。
見渡せば、他にも同じような光景が駅前で繰り広げられている。
隣を歩いていたサラリーマン二人組の会話が、刻哉の耳に入った。
――この辺りで『
――ふうん。じゃあこの騒ぎは異世界に行きたい奴らの大移動か。ガキは気楽でいいよなあ。
歩き去る背中を見つめる。
『いせスト』の影響で、異世界に行きたがる連中は後を絶たない。
特に、今の暮らしに絶望や不満を抱いている人間はその傾向が強い。
ところが、そのためには異世界へと通じる『穴』に入らなければならない、らしい。
何の前触れもなく、突如として現れる異世界への扉――誰が呼んだか、その現象を『大噴禍』という。
刻哉はいまだ、実際の大噴禍を見たことがない。そういう人の方が大多数だろう。
聞くところによると、大噴禍に遭遇すると特殊な力を得られるとか。それこそ、いせストで大人気のゆめKoのような。
例えば、絶対に外さない遠距離攻撃法を身につけたり。
例えば、周囲を一瞬で焦土に変える魔法を使えるようになったり。
例えば、かわいいオトモを連れ歩けるようになったり。
これまでゲームの世界でしかあり得なかった、リアルを超えたチートで特別な存在に、なれる。
それが大噴禍。それが異世界。
「……あ」
駅から自宅へと戻るため駐輪場に来た刻哉は、自分の中古自転車が盗まれていることに気づいた。
先ほどの無灯火チャリの一団を思い出す。
警察は彼らの捕捉でとても忙しそうだ。通報しても来てくれるのはいつになることか。
刻哉の表情は、ほとんど変わっていない。他人からすれば、何を考えているのかわからない平坦な表情。
あまりにもないがしろにされ続けた人生で、彼のコミュニケーション能力はほぼ死にかけていた。
コミュ障のバグ男――と刻哉はよく揶揄される。
駐輪場に背を向ける。
……歩くか。
刻哉にとっての自己防衛。それはひとりで黙々と身体を動かすことだった。
ウォーキングもそのひとつ。
極めつきは、養父母の家の裏手にある深い山、そこに籠もって過ごす。キャンプなんて洒落た活動ではなく、サバイバルや修行と言った方が似つかわしいような――そんな、現代ではまず誰も考えないことを、刻哉は数時間、時に何日にもわたってやる。
それが刻哉の自己防衛。すり切れそうになる精神を繋ぎ止める生き方だった。
阿呆らしいと考える感覚は、今の彼にない。
――夜の暗闇の中を、黙々と歩いていく。
町外れの交差点に差しかかる。人の姿も車も皆無。古びた信号機だけが健気に役割を果たしていた。
律儀に信号待ちする間、スマートフォンをチェックする。
[アークエンジェ]:異世界に行きてえええええ 誰か連れてってくれえええ(20:21)
[花火矢]:そこでトラックの登場だ パワフルかわいこちゃんだぜ?(20:21)
[アークエンジェ]:物理の塊はお呼びでないです(20:21)
信号が変わる。
歩き出す刻哉。
ヘッドライトの強烈な光が横から近づいてきた。
クラクションが
信号無視の暴走車。
刻哉の目は、鬼気迫る顔をした運転手を捉えた。
アスファルトとタイヤが擦過音を上げる。
時間が引き延ばされるような感覚を、刻哉は抱いた。
この感覚、知ってる。
――長く尾を引くクラクションが、止んだ。
刻哉は――無事だった。
大型トラックの運転手が上手く車体をコントロールできたためと、刻哉が冷静にその場から飛び退いたからだ。
接触すれば即死間違いなしの事故を、刻哉は回避した。普通の、刻哉ほど頭のネジが外れていない人間なら、その場に立ち尽くして命を落としていただろう。
大型トラックの運転手がパワーウインドウを開ける。
「おいコラァッ! このクソガキ!!」
明らかにガラの悪そうな強面の運転手が、窓から顔を出して叫ぶ。
「なにボサっとしてやがんだ!
――危ないだろうがと怒鳴るのなら、まだわかる。
だが……「乗れ」? 乗れとはどういうことだろう。
ヘッドライトとは違う灯りが、刻哉の視界の端にちらついた。
大型トラックが通ってきた道を振り返る。
薄い闇に染まった路上から、何かが吹き出している。
水道管が破裂したような勢い。だが、水ではない。
橙色をした粘性のある液体が、ごぽん、ごぽんと沸き立っている。
それは次第に大きく、広範囲になっている。
まるで、マグマ噴火のように。
再び運転手が「こら、そこのガキッ!!」と叫んだ。
「いいか、そいつは大噴禍だ。絶対に飲まれたらいけねえ。異世界に行けば最後、ゴミどもに笑われオモチャにされる。それだけじゃねえ。てめえがてめえでなくなるぞ!」
クラクションを何度も鳴らして、刻哉の注意を引く。
刻哉の耳には運転手の叫びは届いていた。けれど、視線は橙色の輝き――大噴禍から離れない。
自棄になったように、運転手が吠えた。
「アレに入ってクソッタレになった奴を知ってんだよ、俺は! いいからこっちに来い! 轢き殺されたいか!!」
刻哉は応えなかった。
やがて運転手は「ちくしょう! どいつもこいつも
歩行者信号が赤に変わる。
刻哉はじっと大噴禍の
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