第5話 王妃の死
シンディは突然真夜中に起こされた。
「シンシア様。アーサー様がお越しになりました。起きてくださいませ」
この一年は影武者教育も佳境を迎え、髪を深緑に染めて、シンシア王妃の元でも働いていたという侍女のシリをつけてもらい、王妃さながらにシンシアと呼ばれて過ごしていた。
シリは黒髪赤目の非常に有能な侍女だった。
シンシア王妃の言葉のアクセントやグラハム訛りのようなものまで詳しく教えてくれた。
貴族女性のマナーのほとんどもシリに学んでいた。
そんなシリが、慌てた様子でシンディを起こしたのだ。
慌ててガウンを羽織り出迎えたシンディに、アーサーは信じられないことを告げた。
「王妃様が亡くなった。これからすぐに王宮に行く。準備をしてくれ」
「えっ? お亡くなりになったのですか? どうして?」
あまりに突然のことで驚いた。
病気だったという話は聞いていない。
少し前にアーサーの提案で、実物を見て王妃の振る舞いを
遠目だが、ゴージャスなドレスを着て宝石をふんだんに身につけ元気そうにしていた。
いや、元気どころか歌姫のドレスが自分のドレスと似ていることに腹を立て、最前列の特等席で「下手過ぎて聞いていられないわ!」と叫んで、一緒に来ていたルーカス王を置いて途中で退席してしまった。
歌姫は真っ青になり、舞台の上で土下座をしてルーカス王に謝っていた。
とても美しい歌声で何の非もない歌姫のことを、シンディは気の毒に感じた。
ルーカス王も同じ思いだったのか逆に歌姫に詫びて、このまま音楽会を続けるように言い残してシンシアを追いかけるように退席してしまった。
シンディと一緒に来ていたアーサーは、隣でため息をついて言った。
「いつものことだ。あれがシンシア王妃だ」
シンディはあの人の影武者などできるのだろうかと不安を深めたものだ。
侍女のシリから教育されたシンシア王妃の口癖なども凄かった。
「違います、シンディ様。王妃様はそのように他人を気遣うような話し方はなさいません」
「え……。でも……」
シリの王妃教育は厳しかった。妥協を許してくれない。
「さあ、もう一度、ルーカス陛下がプレゼントを贈った時はどう答えるのですか?」
シンディは仕方なく背筋を伸ばし、習った通りに告げる。
「ふん、なんて悪趣味なこと。野蛮なラムーザらしい品ですわね。いりませんわ」
自分で言っておきながら、こんな嫌な人がいるのかと呆れてしまう。
どっと落ち込むシンディに、シリは「お見事です」と褒めたたえてくれる。
王妃教育は自己嫌悪との闘いの日々だった。
それほど元気そうだったシンシア王妃が突然亡くなったとはどういうことなのだろう。
◇
アーサーとシリと三人で馬車に乗り込み、ようやく詳しい事情を聞いた。
「毒を飲んで自殺されたのだ。側に仕えていた侍女二人も道連れにしたようだ」
「毒を?」
「ああ。ラムーザの風習が肌に合わないと、いつもいらいらしておられた。そうかと思うと鬱々と泣きだして侍女以外誰も部屋に近付けない時もある。まったく難しい方だったからな。思い余って衝動的に侍女と共に毒を飲んだのだろう」
そんなことがあるのだろうかとシンディは思った。
あの強気でわがままそうな王妃が、自殺というのもしっくりこないが、主人のために一緒に毒を飲む侍女というのも村育ちのシンディには不思議だった。
王妃に仕える者の忠誠心とはそれほど強いものなのか。
庶民育ちのシンディには分からない世界なのかもしれない。
「ともかく今は熱病にかかられて隔離しながら医師が診ていることになっている。ルーカス陛下も王妃様が亡くなったことはご存じない」
「えっ? 王様もご存じないのですか?」
影武者とは、王も公認している存在なのだと思っていた。
「王妃様の影武者については、私とごく一部の側近が考えて秘密裡に行っていたことだ。陛下は何もご存じない。陛下は正直でお優しい方だから、心を痛め態度に出てしまわれるだろう。今後も知らせるつもりはない」
「で、では……王様も騙すのですか?」
そんな話は聞いていない。
「い、いくらなんでも無理ですわ! 王様にとっては、ご自分のお后様なのですよ? 別人になって気付かないはずがありませんわ」
「そのために熱病にかかってしばらく寝込んでもらう。目覚めた時には少し痩せて顔色が悪く変貌し、声も掠れ喉を傷め、記憶もあいまいで時々妙なことを言ったりする、という設定だ」
「無茶な……」
「王宮に着いたら、しばらく絶食してもらう。顔色も悪く見える化粧をする」
「そんなことで誤魔化せるわけが……」
「お互いを毛嫌いする仮面夫婦だった。陛下は気付かないだろう。それよりもシンシア王妃がグラハムから連れて来た侍女達の方が問題だ」
「侍女達?」
「一番間近で細かな世話をしていた二人は死んだが、他の侍女達は熱病で隔離していると言って会わせていない。中でも侍女
「ヒルミ……」
「もしもヒルミにばれたら、グラハム国に密告されるだろう。彼女はグラハム国王の愛人だと言われている。いわゆるグラハム国のスパイだ」
「スパイ……」
なんだか恐ろしいことに巻き込まれている気がする。
今さらながら、どうしてこんな厄介な仕事を引き受けてしまったのかと悔やんだ。
「む、無理です。やっぱり私には無理ですわ」
気弱になるシンディの手を握り、アーサーは真っ直ぐ見つめた。
「無理でもやってもらわねば困る。グラハムの国王が溺愛していたシンシア王女が死んだと知られたら、和平は間違いなく決裂するだろう。ラムーザから嫁いだサーシャ王女は殺され、再び戦争が始まる。君にラムーザ国の未来すべてがかかっているのだ」
「そんな……」
「私ができる限りサポートする。なにがなんでもやり遂げてくれ」
シンディは両手で顔を覆った。
その手は、思った以上の重責に震えている。
不安で恐ろしくてたまらない。
けれど、もうやるしかないのだ。
今さらあとには引けない。
シンディは深呼吸して震える両手をおろして顔を上げた。
「分かりました。弟カイルのため、トロイの村のため、ラムーザ国のために……この命を懸けてやり遂げてみせます」
決意を込めて言うシンディの前に、アーサーは片膝をついて頭を下げた。
「私も、この命に代えてもあなた様をお守り致します。王妃様」
すでにアーサーは王妃の忠臣となって拝礼していた。
そしてその隣で、侍女のシリもまたシンディに拝礼していた。
すでに王妃の影武者としての人生が始まっていた。
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