第4話 影武者教育
シンシア・ブルー・グラハム王女。
今は嫁いできて、シンシア・ブルー・グラハム・ラムーザ王妃が正式名だ。
ブルー・グラハムを消してはいない。
つまり今もグラハム国に忠誠心を持っているのだろう。
歳は十五歳。シンディより二歳年上だ。
名前までよく似ていて、王妃は幼少時はシンディの愛称で呼ばれていたらしい。
グラハム国王の末っ子王女で、ずいぶん可愛がられて育ったようだ。
今年四十になるというグラハム王にとっては、目の中に入れても痛くないほど大切な末娘だったらしい。
代わりにラムーザから嫁いだのはルーカス王の妹姫サーシャで、十八歳だと聞いた。
四十のグラハム王にはすでに王妃も側室もたくさんいたが、今までの妃達をハーレムに下げて、サーシャがグラハムの王妃になったそうだ。
それに比べてルーカス王はまだ若く、二十二歳だった。
前王が若くして病で亡くなり、ルーカス王は十五で王位を継いだ。
若い王になった今が攻め時と、即位直後からグラハム国に攻められ、戦争に明け暮れた七年だったそうだ。
結婚などする暇もなく、いまだに独身だったルーカス王にとって初婚の王妃だ。
明らかにグラハムに有利な和平条件だった。
だが年若いルーカス王は、受け入れるしかなかったのだろう。
おまけにシンシア王女を溺愛していたグラハムの王は、ルーカスが側室を持つことを禁じた。
自分も今までの王妃や側室をハーレムに下げたのだから同じ条件だと言うが、グラハムの王にはすでに十人ほどの子がいて、跡継ぎの王子も決まっている。
ラムーザから嫁いだサーシャが子を生まなくても安泰だ。
しかしルーカス王はまだ跡継ぎもおらず、シンシア王妃が生む以外の跡継ぎは認められないことになってしまう。
つまりルーカスの次の直系王は、グラハムの血が混じった王子以外ないのだ。
純血を重んじるラムーザに、もしかしたら青い瞳の王子が生まれるかもしれない。
それは純血の貴族達の反感を買い、王家を揺るがす事態になりかねない。
あまりに不平等な和平だった。
「知らなかったわ……」
影武者教育を受け始めてすぐに、シンディは国の実情を知って驚愕した。
田舎に暮らす村民は何も知らず、王家が自分勝手な理由で戦争を起こしているのだと思っていた。
しかし現状は、年若いルーカス王が必死に戦争を食い止め、不利な条件をのんでグラハム国王の顔色を窺いながら国民を守ろうとしていたのだ。
けれど……。
「ラムーザ国は大丈夫なのですか? シンシア王妃が青い瞳の王子を生んだりしたら……」
ルーカス王の治世の間はいいとしても、青い瞳の王子に貴族達は従うのだろうか。
その時こそ、グラハム国はラムーザに攻め入る時だと見越してこの和平を結んだのではないのか。あるいは、シンシア王妃が王子と共に寝返るつもりだったなら……。
「その心配は今のところなさそうだ」
週に一度、シンディの様子を見に来るアーサーは答えた。
アーサーはルーカス王の側近で重臣の一人だった。普段は王宮に暮らしている。
主に王宮内の人事を担当し、シンシア王妃への対応を任されているらしい。
シンディが影武者教育を受けているのは、アーサーの持つ離宮の一つで、森の中に隠すように建てられた場所だった。
「心配がないとは?」
「夫婦仲がすこぶる悪いということだ。王子など生まれるはずもない」
アーサーは肩をすくめて答えた。
「仲が悪くても子どもが生まれる家はありますわ」
村の中には四六時中喧嘩ばかりしている夫婦もあったが、子だくさんだった。
「仲が悪いにもいろいろあるが……お互い顔も見たくないほどだ。夫婦喧嘩をするぐらいならまだましな方だ」
十三歳のシンディには分からないが、夫婦とはそういうものらしい。
「それよりも跡継ぎが生まれないことの方が問題だ」
このままではルーカス王の直系の血筋が途絶えてしまう。
「そうなると、ルーカス王にもしものことがあれば、王位は弟王子になるのですか?」
「そうなるが……。弟王子の後見となるご生母の家系は、どうも品位がなく貴族達からも好かれていない。反発する者も多いだろうな」
どれをとっても八方ふさがりだ。
明るい未来が見えてこない。
「どうすればいいのかしら……」
シンディは村長の孫として村の未来を考え続けてきただけに、つい考えてしまう。
村から国へと規模が大きくなっただけで、心構えは同じなのだと思っていた。
考え込むシンディに、アーサーはふと微笑んだ。
「君は……家庭教師の話では、政治、経済の理解が非常に早いらしいな。すでにシンシア王妃が現状身につけている知識は追い越したという話だ」
「え? もう追い越しているのですか?」
むしろその方が驚いた。
まだ習い始めたばかりで、少しも全体が見えていないのに。
この程度の知識で王妃が務まるのだろうかと思った。
「王妃様は政治、経済に興味のある方ではない。興味があるのは、ドレスの流行と宝石の大きさかな。それから贅沢な料理と、お気に入りの吟遊詩人とかだな」
「……」
なんだか不安になってきた。
どれもシンディがさほど興味のないものばかりだ。
「王妃様は……王様といつもどのようなお話をされているのでしょう?」
「さて……あまり話をしているところは見たことがないが、そうだな、先日は朝食に出るプディングの甘みがたりないと文句を言っていたようだ。甘ったるいお菓子が好きなようだな」
そんな会話しかしていないらしい。
「私は甘過ぎるものはあまり好きではありませんけど……」
「それは影武者になることがあれば、我慢して食べてもらうしかないな」
「……」
まあ……我慢すれば食べられなくはないけど……。
「あの……私が影武者として登場する日なんてあるのでしょうか? 王妃様が病気になったり死んだりしない限り、出る幕などないですよね? その場合はどうなるのですか?」
「その場合は、ずっとここで影武者教育をして生涯を終えるのだろうな」
「……」
アーサーにとっては、村娘のシンディの一生などどうでもいいのだろう。
「村であくせく働くよりもいいだろう? 綺麗なドレスを着て、豪華な料理を食べて本を読んで過ごせばいい。誰もがうらやむような生活だ」
確かに、シンディは今、アーサーが見繕ってきた豪華なドレスを着ている。
食事も貴族のマナーを習いながら、村では食べたことのないような豪勢な料理を食べさせてもらっている。
でも……。
ここで人目につかぬように隠れて暮らすだけの生涯なんて悲しい。
「もう……村には帰れないの? 弟のカイルにも会えないの?」
アーサーは落ち込むシンディを見つめた。
「まあ……少し情勢が落ち着けばこっそり会わせてやることもできる。そのためにも、今はいつでも完璧にシンシア王妃に成り代われるだけの教養と振舞いを身につけてくれ」
「身につけたら……カイルに会わせてくれるのね? マリッサ達の将来も約束してくれるわね?」
「ああ。約束しよう」
こうしてアーサーの離宮でひそかに影武者教育を受けながら、三年の月日が流れていた。
シンディは十六歳になり、シンシア王女は十八歳、ルーカス王は二十五歳になっていた。
このまま一生ここで暮らすのだろうかと思い始めていた時。
突然王妃が亡くなった。
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