第70回 ユーナ

 ユーナが、ルルルンさんを刺殺していた。

 すでに事切れ、腹部からは、鮮血が吹き出していた。


 ユーナが。

 あのユーナが。

 家族を。


「ふはははははは!!!! どうだシーナ!! 思い知ったか!! ハハハハ!!!!」


「くっ!! 色褪せない想いプリームス・アモル!!」


 頼む、時間よ戻れ。

 戻ってくれ!!


 私の体が勝手に動き出す。

 まるで後ろ走りをしているように。

 周りも、すべても、なにもかもが逆行していく。


 再び時間が正常に進み始めたとき、私はシーナの家の前にいた。


「えぇ、ユーナ様がお戻りになられましたよ」


 門番が告げる。

 家に入る直前に聞いたセリフ。

 ここまでしか戻せなかったか。


 間に合ってくれ。


理想の世界へカエルム!!」


 時間を遅くして家に入る。

 ユーナが、就寝中のルルルンさんにナイフを向けていた。


「させない」


 ナイフを弾き、時間の流れを戻す。

 突如現れたように映った私の存在に、ユーナは驚愕した。


「ス、スキル……」


「お願いユーナちゃん、冷静になって!!」


 騒ぎでルルルンさんが目を覚ます。

 突然の緊迫した状況に、小さな悲鳴を上げるだけで逃げることができないでいた。


「冷静に? 冷静だよ。最初からこうするつもりだった。カローをぐちゃぐちゃにして、ナーサを壊して、ルルルン義姉さんを殺すつもりだった!!」


「ルルルンさんは何も悪くない」


「コロロだって何も悪くなかった!!」


「わかってるよ、でも……」


「コロロは守れなかったくせに」


「……」


 反論のしようがない。

 そうだ。私はコロロを守れなかった。

 救えなかった。


「だからこれ以上は!!」


「これ以上は? はははは、バカじゃないのアオコ。とっくのカローの治安は悪化して、ナーサは狂った。もうとっくに守れてないんだよ!! ははははは!!!!」


 私は、なにもできていない。

 シーナと共に作り上げ、シーナに託されたものを、こうも容易く失った。

 私のせいだ。


 ユーナがナイフを拾ってしまう。


「ルルルンさん逃げて」


「え」


「逃げて!!」


 衰弱した体を懸命に動かし、部屋の外へ逃げ去っていく。

 ユーナはその背を追うことはなかった。

 私がいるからか、それとも。


「ユーナちゃん、お願い、もうやめて」


 ぼそっと呟く。


「やめてどうするの」


「牢で罪をーー」


「償う? どう償うの? 私に残されたのは生地獄。コロロを失った私には、もうなにもない。生きてることすら馬鹿馬鹿しい!!」


「そんなことない。リューナちゃんがいる」


「リューナ……あぁ、シーナ派の」


 そんな言い方をしないでくれ。


「最後の姉妹でしょ」


「そっか、そうだった、姉妹……私もシーナの……大事なものだった」


 握られたナイフの刃が、ユーナ自身へと向けられた。


「ダメ!!」


 カエルムで時間を遅くして、またナイフを弾く。


「それだけは、絶対にダメだよユーナ!!」


 ユーナが私を睨む。

 憎悪と、許しと、絶望を孕んだ悲しい眼。

 あんなに明るくて、天真爛漫だった女の子は、もういない。


「ルルルン義姉さんは殺せなかったけど、もういい。やれるだけやった。だから楽にしてよ」


「死んでほしくない!!」


「生きたいって願う人間は見殺しにして、死にたいって願う人間は無理やり生かすんだ」


「……」


「生きている限り、私の復讐の火は消えることはない!! 何度でも何度でも、シーナの大事なものを壊してやる!! それでもいいの? 私のことが大切なら」


 これ以上、汚さないでくれ。


 ユーナだって嫌悪しているんだ。

 いまの自分に。


 マトモな人生を歩むつもりはない。けど、修羅の道を歩みたくもなかった。

 コロロを愛しているから、愛を忘れぬために復讐するしかなかった。


 私がライナのために、覇道に付き添っていたように。


 ユーナの頬を涙が伝う。


「殺してよ」


「……」


「コロロに会わせてよ」


「……」


「お願い、アオコ。私を助けてよ……救世主なんでしょ?」


 死にたいのは私の方だ。

 ライナを犠牲にこの世界に来て、誰も守れなくて、シーナと築いた平和すら亀裂が入ってしまった。

 私は無能だ。

 生きることが、苦痛でしかない。


 きっとシーナに失望されている。

 おそらくシーナなら、こうなる前に阻止できた。躊躇いなくユーナを殺せた。


 だってユーナは、自他共に認めるほどに、カローの驚異になりうる存在だから。


「そうか」


 かつてトキュウスさんを殺したときも、そうだった。

 元老院の言いなりで、人生の幕を下ろすのを望んでいた彼を、シーナは殺した。


 許せなかった。他に方法はあるはずだとずっと思っていた。


 けど、どうだ。

 私のやり方じゃ、なにもなし得ない。中途半端な姿勢で、事態をより悪化させるだけ。



 もっと早くユーナの復讐に気づくべきだった。

 もっと早くナーサの心の弱さと、クレイピアの企みに気づくべきだった。


 どっちもできなかった。

 クレイピアの言う通り、『きっとどうにかなる』なんて無責任に目を背けていたから。

 時間が解決するだなんて、人の負の感情を蔑ろにしていたから。


 そのしっぺ返しが、この状況を生んでしまった。


 私は、間違っていたのだ。

 なにが救世主だ。どこが救世主だ。


「アオコ」


 か弱い、涙声だった。


「こんなやつでごめんね」


「謝らないで。私にとっては、いまでも可愛い妹だよ」


 ここで見逃せば、いずれまた復讐を企てる。

 捕らえて、永遠に幽閉しても、生きるという苦痛を与え続けるだけ。


 時間はなにも解決しない。

 楽観視しても、どうにもならない。


「……コロロに会いたい」


 シーナは正しかった。


 決して揺るがぬ信念。

 肉親すらも犠牲にできる厳しさ。


 そのシーナはもういない。

 なら……。


「向こうで待ってて」


 短剣でユーナの心臓を突き刺す。

 シーナがトキュウスさんを苦しみから救ったように。

 私もユーナを、己の精神すらも燃やし尽くす、消えることのない復讐の焔から救う。


 カローの平和のために。

 ユーナのために。


「ごめんね」


 甘さは捨てる。

 優しさはいらない。


 私は、悪魔シーナになる。





ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


※あとがき


この章はこれで終わりです。


ユーナ、好きでした。

元気な子供だったので。


死んだことよりも、自暴自棄になってどんどん転がり落ちていったことがしんどいです。


次回の更新は9月11日の予定です。

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