第30回 ペヌル川を超える

 遠方の統治を任された人間が、軍を率いて渡ってはいけない川がある。


 ペヌル川。

 カローを横断するこの川を超えてしまえば、首都までの道を妨げるものは一切ない。

 現在、シーナは命令違反者。そのうえペヌル川を渡れば、いよいよ反逆者だ。


 シーナも、軍に属する兵たちも、負ければ死刑となる。


 川にかけられた大橋の手前で、シーナが止まる。

 橋の警備兵が槍を構えた。


「シ、シーナ様!! いますぐ引き返してください!! あなたは英雄だ。いつかきっと帰れますから」


 どうやら橋を渡らせるなと命令されているようだ。

 警備兵数人で止めきれるわけがないが、一国民としてシーナを説得するなり、逃げてポルシウスに報告するくらいはできる。


 シーナは警備兵を無視し、自軍の兵士たちの方を振り返った。


「この先、我々はもはやカロー人ではなくなる」


 どう弁明しても、元の生活には戻れなくなるだろう。


「されどベキリアに戻ってどうする。親や婚約者、子どもとも会えず。故郷の土や風に黄昏れることも、広大なカロー海の水面に反射した陽の光に、目を細めることもない。……それが、国のために戦い、友を失いながらも勝利した我々の末路か」


 みな、顔を伏せる。

 到底納得できやしない。

 私たちは、なにも悪いことはしていないのだ。


「約束しよう、我が覇道の先にある栄光を。与えよう、私と共に戦い、勝利をもたらしたという名誉を。……はっきり告げる」


 全員の眼差しがシーナを包む。

 彼女の拳が、天を突いた。


「私について来い!!」


 兵たちが叫ぶ。

 私も思わず、高ぶる感情を吐き出してしまいそうになった。

 ベキリア人であるノレミュでさえ、空気に飲まれ瞳を見開き息を呑んでいた。


 警備兵たちが槍を下げる。


 取り戻そう。私たちのカローを。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 さらに日を跨いで進行していると、伝令係の男性が犬の姿で走ってきた。

 彼は犬の肉体になれるだけでなく、本物の犬と意思疎通もできるらしい。

 その能力を駆使し、首都の野良犬と連絡を取り合ってきたのだ。


「シーナ様」


「どうした」


「いません」


「は?」


「ポルシウスや元老院たちが、どこにもいないんです!!」


 街にいない。

 シーナたちの進路に陣を構えているわけでもない。

 本当に、消えたのだ。私兵団もろとも。


 シーナは少し考えたあと、


「ノレミュ、地図を出せ!!」


 荷物持ち係のノレミュに指示をだした。

 嫌いな女に命令されて不機嫌なノレミュだが、ただならぬ事態だと察し迅速に行動する。


 シーナは地図を睨みつけると、伝令係を見やった。


「ムコ峠に行け。たぶんいる」


「え? ム、ムコ峠?」


 ここからかなり離れた、国境沿いの峠だ。


「昔から、いまの腐った元老院共と大の仲良しな国がある」


「ウィッカ」


「そう。おそらく、兵の数と質で劣ると判断し、拠点を移したな。そこでさらに兵や武器を増強するのだろう。……私たちを避けてウィッカに行くには、ムコ峠を越える必要がある」


 じゃあ、シーナの読み通りなら、私たちはウィッカに向けて進路を変更しなくちゃいけないのか。

 ウィッカで万全の体制を整えて一気に攻め込む。

 小賢しい真似を。


「やつらがウィッカに入ってしまうと勝機は薄くなる。先回りするしかない。……アンリ」


「はい、シーナ様」


「兵を連れカローへ向かってくれ。意味はわかるな」


「……はい」


 どうしてアンリだけカローに?

 敵はいないのに。


「シーナさん、戦力を分散させてどうするんです?」


「アオコ、よく考えてみろ。いま、カローにはいないんだ、ポルシウスと有力な元老院たちが」


「はい」


「じゃあ、誰がカローを治める」


 執政官たるポルシウスも、政に参加する元老院もいない。

 残った若手の元老院だけでは力不足。

 街はきっと大混乱だ。権力者の消えた街は、もはや無法地帯。


 しかし、シーナがカローに戻れば、ポルシウスたちはウィッカに到着してしまう。

 大軍を率いて攻め込んでくる。


 そのうえ湖の国まで協力してしまったら、いくら私のスキルがあっても負けるかもしれない。


 国を想うシーナなら、絶対に戦力を分散させてまでカローを守ろうとするだろう。

 まさかポルシウスのやつ、そこまで考えて……。


 まだ残っていた伝令係が、苦々しそうに語る。


「た、確かに、街はいま暴力が支配しています。弱い者から奪い、死体が転がっていても誰も気にしない。飢えを凌ぐことで精一杯なようで」


 リューナちゃんたちは無事でいるのかな。

 心配だ、気になってしょうがない。

 

 ポルシウス、どこまでもどこまでも、卑劣で醜悪な男。

 こんなやつに絶対に負けてなるものか。


「時間がない。アンリ」


「し、しかし私に務まるでしょうか」


「お前が一番私に近い。お前ならやれる。急げ!!」


「は、はい!!」


 アンリは嬉しそうに自分の部隊に号令を下し、首都へ急いだ。

 

「シーナさん」


「なんだ、アオコ」


「必ず殺してやりましょう、ポルシウス!!」

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