第16回 父と娘

「……は?」


 薄暗い部屋。

 窓から差し込む月光が、シーナさんの冷たい眼差しを照らす。


「なに……言ってるんですか……」


「お前の能力は暗殺向きだ」


「……」


「そうか、アオコはまだ人を殺したことがなかったな。難しいか?」


 意味がわからない。


「本気で……言ってるんですか? トキュウスさんは、父親ですよね!?」


 シーナさんは無表情のまま、動かない。

 冗談じゃ、ないってことか? 元老院の言いなりだから? トキュウスさんのせいで執政官を降ろされたから?


「だからって父親を殺す!? あんた頭イカれてるんですか!? 法務官から退いてもらうなら、地方で隠居してもらうなり、やり方はいくらでもある!! それを、殺す? どこまでクズなんですか、あんたは!!」


「無理だな。逃げようとしたところであの人はとことん元老院の操り人形だ。なまじ政界でも顔が広く、人徳があり市民からも好かれているが故、元老院は手放さない。そして父上も、根負けして引き受けてしまうだろう」


「本当に父親だと思っているんですか!?」


「お前がやれないのなら……アンリ」


 見知らぬ少女が現れた。

 赤い髪の、私と近い年頃の子だった。

 いまのシーナさんのように、感情の読めない表情をしている。


「紹介する。私が拾った優秀な兵士だ」


 アンリなる少女が会釈をする。


「話は聞いていたな? アンリ」


 コクリと頷き、部屋を出ようとする。

 このままトキュウスさんを殺しにいくつもりか。

 させるわけないだろ!!


「スロー!!」


 時間を減速させる。

 優秀な兵士だろうが、いまは私の時間。気絶させて止めてやる!!


 だが、


「私には効かん」


 スキル無効の力を持つシーナさんが、私を取り押さえた。

 頭部を床に押し付けられ、身動きが取れない。


「離せ!! このクズ!! お前は狂ってる!! ユーナちゃんをクロロスルに渡したときもそうだ。家族は、あんたの道具じゃない!! 自分の欲望のために、父親を殺すなんて」


 シーナの目が見開いた。


「この無礼者が!! 私が、自分の私欲のために、父を殺す? バカにするな!!」


 私を押さえる力が強まった。


「私の父だぞ? 赤ん坊の頃から私を育て、教え、想ってくれた、父親を、私欲で殺すわけがないだろ!!」


 真っ赤に充血した瞳から、涙がこぼれる。

 彼女から離れたしずくは、私の力の影響を受けて、ゆっくりと私のもとへと落ちていく。

 二年間、何度か力を使う内に、能力の持続時間は伸びていた。


「なにも知らない痴れ者が、図に乗るな!! 娘だから、引導を渡すのだ。私と、元老院の間で板挟みになり、努力しようとするも上手くいかない、そんな屈辱と敗北感に苦しむ父の姿など、これ以上見ていられない。……終わらせて、やりたいのだ」


「そんなの、勝手な……。トキュウスさんは、シーナさんやみんなのために、あんなに頑張っているのに……」


「それが実とならないのなら……」


「人は植物とは違う!! 娘なら、助ける方法を考えたらどうですか!!」


「私が何かをすれば元老院たちに利用され余計に苦しむだけだ!! 今回のようにな。父上を縛り付ける鎖は、私ですら断ち切れないのだ」


「そんなことない!!」


「どのみち、逃したところでその地域にいる、元老院の息がかかった貴族に捕まる。国の外に出れば、盗賊に殺されるか、同盟国の王族貴族に捕らえられ、強制送還される。最悪、カローの国家機密を喋るまで拷問されるのだ。父上に逃げ場などない!! スキルを解け、アオコ!!」


「ダメです、ダメです!!」


「それとも野垂れ死ぬか魔獣に食われろとでも言うのか!!」


「違う!!」


 いっそシーナを殺してやろうか。

 でも、そんなことしたら、元老院はもっと調子に乗る。

 それこそ、クロロスルかポルシウスに国を乗っ取られる。


「お前が邪魔をするのなら、ここで気絶させる」


「本気なんですか」


「父上は……殺す。父上と、国のために」


 また、国の平和のためにか。

 本当に国のためなのかよ。

 けど、私ではシーナを止めることはできない。

 シーナを、屈服させることはできない。


 シーナは、私にとって唯一の『天敵』だ。


「娘として、娘だからこそ、ここで楽にしてやりたい。この生地獄を抜け出すには、それしかない!!」


「そんな……」


 姉上さまをお願いします。

 そうライナは最後に告げた。

 彼女のために、私は、シーナに従い続けるしかないのか。


 教えてくれライナ。

 ライナ、ライナ、ライナ、ライナ。


 昨晩に見た、トキュウスさんの顔を思い出す。

 己の無力さを嘆いた、悲しい感情の吐露。


 私だって、あんなトキュウスさんは、もう見たくない。


 納得できない。けど、このままじゃ!!


「……こんな女にやらせません」


「アオコ?」


「従ってやりますよ。私はライナに従っているから。……だから、他人なんかにやらせない。私が、けじめをつけてやる。やりゃあいいんでしょ!!」


 国のため、ライナとの約束のため。

 私はまた、手を汚してやる。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 トキュウスさんは夜に帰る。

 彼の帰り道で待ち伏せし、前に出る。


「……」


 私のただならぬ雰囲気と、手に持った短剣を目にして、トキュウスさんは察したように微笑んだ。


「すまなかった、こんなことをさせてしまって。つくづく、不甲斐ない男だ」


「……それでいいんですか」


「え?」


「娘が、実の娘があなたを!!」


「いいんだ。わかってる。それでもシーナは、私を想ってくれている。それにあの子は、いずれこの国の、真の頂点に君臨する逸材。父として、務めを果たす。あの子の邪魔になる者は、消す」


 だから自分の死を受け入れるのか。

 それもこれも、全部元老院やポルシウスのせいだ。

 あいつらが、あいつらがこの人を利用しなければ。


「シーナにも伝えておいてくれ。……愛していると。お前を信じていると。ライナと共に、見守っている」


「死ぬんですよ!? ぜんぶ終わっちゃうんですよ!? ここで、こんなところで!!」


「逃げ出したって、そこで誰かに迷惑をかけるか、人の悪意にまた飲み込まれるかだろう。自分のことは、自分がよくわかっている」


「じゃあ戦いましょうよ!! どうせ殺すなら、あなたより、元老院やポルシウスを」


「そんなことできないことは、君自身が一番良く理解しているはずだ」


 奴らの誰かを殺せば、私やシーナは罪人だ。

 湖の国も黙っていないだろうし、市民たちからの信用と尊敬も今度こそ失う。

 そもそも、簡単に殺せる保証はない。警戒されている。


 暴力で解決するという切り札は、二年前に使い切ってしまったのだ。


「楽に、してくれ」


「くっ……」


 時間を遅くする。

 剣を構える。

 私はいまから、この人を殺す。

 時間を終わらせる。


「……」


 力が入らない。

 一歩も前に進めない。

 だって納得できていないから。勇気も経験もない。

 けど、私がやるしかない。名も知らぬやつに殺させてたまるか。


 ……本当にトキュウスさんには逃げ場はないの?

 身分と名前を偽り、少々荒っぽいが顔を傷つければ、他人に成り代われるはずだ。


 そもそも、そこまでする必要があるのか。ただひたすら、耐えてもらって、いつかこの国の政界を変えたら……。


 そうだ!! やはり殺すなんて間違ってる。

 この人は不器用なりに頑張ってきたんだ。その結末がこんな終わりなんて、悲しすぎる。

 終わらせてたまるか!!


 剣を鞘にしまう。

 私の覚悟が失せていく。

 スキルも解除しようとしたとき、


「父上」


 シーナが舞い降りた。


「なっ……」


 遅くなった時間の中で、実の父を見つめる。


「私は、もうひとりの父より。あなたの方が好きでした」


 緩やかに、剣を構えた。


「あなたのような人が報われる国にしたくて、これまで」


「やめろ!! シーナ!!」


 私の声など気にも留めず、シーナはトキュウスさんの胸部を突き刺した。


「お疲れさまでした、父上」


 自愛と悔しさに満ちた口調だった。

 剣を抜き、すすり泣きながら父親を抱きしめる。


「こんな娘で、申し訳ございません」


 最初から信じていなかったのか、私を。

 胸部が徐々に赤く染まっていく。

 ゆっくりと、トキュウスさんが終わっていく。


「スキルを解いて早く楽にしてやってくれ、アオコ」


「……」


「頼む」


「くっ、う……うおおおおおおおおおおお!!!!」


 次の瞬間、気づけばトキュウスさんは地に伏していた。

 なにがあったのか、シーナすら理解できていない。


「この私ですら認識できないとは」


 とにかくと、シーナがトキュウスさんの顔に触れる。

 息はしていない。死んでいる。


「時間を飛ばしたか」


「え?」


「……きっと痛みも感じなかったのだろう」


 本来なら痛みに苦しみ、息絶えるまでの時間が消えたのか。

 時間操作の、次の能力。


 どういう理屈かはわからないが、シーナにすら通用する力。


 そんなことよりも。


「丁重に葬る時間は、ないな」


「シーナさん……」


「遅くとも昼には出る。準備を怠るなよ」


「……」


「ベキリアから帰ってきたあと、元老院は潰す。ポルシウスもな」


 トキュウスさんの亡骸から目を背ける。

 見ていられない。現実を受け止めたくない。

 どうして、私の大事な人がまた死んでしまう。


「シーナさん」


「なんだ」


「あなたは化け物だ」


「そうか。……父上を慕ってくれてありがとう」


 それからシーナは、適当な無法者をトキュウスさん殺害の犯人に仕立て上げ、殺した。


 葬儀は家族だけで簡素に行われ、この時ばかりは、ユーナちゃんの参加が認められた。


 今後、いくらお手伝いさんがいるとはいえ、トキュウスさんのいない家にリューナちゃんをおいてはおけない。

 リューナちゃんはシーナの家で預かることになり、私たちは予定より遅めに出発した。

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