北の森の住民8

 ひとまず予定通り拡張計画は中止にし万が一の備えとして防衛線を張ろう。



 一通り沈みに沈み憂鬱に身を任せた後、ようやく思考回路が正常に繋がった俺は次にやるべき事を決めて起き上がった。背中に付いた泥が非常に不快だったが落とさずに村へと戻る。




どうせ道中汚れるのだ。帰ってから行水した方がいい。




 高い湿気の中、ぬかるむ土を踏んで進むと爪の間に泥が入った。改めて酷い衛生環境だ。早急に靴の開発に取り掛かりたいなと呑気な事を考える。少しばかり、緊張感が和らいでいた。




「あ、ムシク。どこへ行っていたんだ」




 村の入り口に差し掛かると、見張り役の男がまたも声を掛けて近付いてきた。




「ちょっとな。それより、異変はないか?」


「今の所問題はない。ただ、さっきから妙な気配を感じるというか、様子がおかしい気がするなぁ。落ち着きがないというか、目がおかしいというか」


「そうか。引き続き見張りを頼む」


「あぁ」





 生贄の儀式を敢行した事はハルマの集落でも伝わったのだろう。それで何がどう変わるのかは知らないが、奴らの言い分を信じるとすれば、こちらのエリアが岩場に触れるまでは侵略はしないとの事であった。どこまで理知が働き未知への恐怖が持続するか見込みを立てようもないが、急激に展開するような事態にはならないと踏む。これは半分以上希望的観測が含まれている不健全な目算であった。迎撃準備はできているが相手方の戦力と戦術への情報が乏しく計略を立てようもない。目前に迫る危機においてもっと万全に対策を取るべきであったかもしれないと猛省する。




 マンモスの化物なんて狩ってる場合じゃなかった。




 覆水盆に返らず。いつ爆発するかもしれない火薬庫が近くにあるような恐怖を一刻も早く御すべく男連中を呼び出す。もう何度目かの今後についての会議である。




「というわけで、道路整備は一旦中断。村の防衛機能を高めていきたいと思う。異論のある者は挙手」




 一人の男の手が上がる。




「異論というか提案なんだが、こっちから攻めていってもいいんじゃないか? なにも後手後手に回る必要もないだろう」




 男の発言に「その通り」「確かに」「一理ある」と賛同の声。それはそうだろう。未来の事、将来の事、先にある人種的な問題などを考慮するなどある意味では狂気。彼らにとっては目先にある危険因子をさっさと片づけたいという想いが強いに決まっている。




「まぁ待ってほしい。確かに攻勢に打って出たい気持ちは分かる。しかし現状で被害はないんだ。争いになれば必然死傷者も出るだろうが、攻めるよりも守りの方が犠牲は少ない。事を構えるよりもまずは備えの方をしていきたい」


「そう言うがなムシク。守りに徹するって事は村への接近を許すって事だぞ? 火でもつけられたら一気に全滅だし、仮に侵入を許してしまったら女子供が犠牲になるかもしれない。迅速に最大火力で処理していった方がいいだろう。今の俺達なら、それができる」


「なるほど。しかしだな、仮にこちらから攻めたとして、もし敗走する事となったらどうする。戦力が消費したまま、勢いのままに攻めてくるハルマの連中を迎撃できるか? 難しいだろう」


「それでいったら連中だって手負いになるはずだろ。いや、むしろわざと退いてやって向こうを誘導。隊列が伸びきったところで反転攻勢に出れば優位に立てるんじゃないか?」


「……」




 知性と見識の発展を感じる非常に感慨深い意見だった。むしろ、戦術的な観点でいえば俺よりも狩りを生業としてきた猟師達の方が数段上の発想力を持っている。議論で勝てるか、雲行きが怪しくなる。




「……考えてくれ。相手の拠点は森の中のどこにあるかも分からないんだぞ? もしかしたら道中罠が仕掛けられているかもしれない。相手の懐に飛び込んで全滅なんて場合も考えられるんだ。お前がさっき言った撤退するふりをする作戦もある程度打撃を与えなくては向こうが乗ってこないだろう。あまりに危険が大きすぎる」


「危険でいったら防衛にだってあるだろう。例え一度相手を退けてもまたいつ攻めてくるかも分からない。常に怯えながら、襲われる準備をしなくちゃいけなくなる。それじゃもたないぞ。守り続けて相手が諦めるまで待つつもりか?」


「……膠着状態となったら和睦を申し入れる」


「おいおい、幾らなんでも希望的観測が過ぎるだろう。話しが通じるかどうか分からない相手に“仲良くしましょう”なんて言えるのか? 難癖付けて他の集落潰して回っているような連中だぞ」


「しかし……」




 反論の言葉が出なかった。完全に俺の負けである。理知と野生の合間で揺れ動くこの時の状況は正直にいって綺麗事で解決できるようなものではなかった。取るか取られるか、即発の危機。確かに守勢に回ったところで根本の解決にならない。そんな事は分かってはいた。しかしそれでも何とか平和的に解決できないかと考えていたのだ。


 そんな考慮が一気に消し飛ぶ事態が次の瞬間に起きる。




「ムシク!」




 答えに窮していたところに乱入者。女である。




「なんだ、どうした」


「カレイツ(見張り役の男の名である)が、ハルマの連中に……!」




 場がどよめき、俺は血の気が引いた。恐れていた事態が起こったのだ。


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