北の森の住民7

 シュバルツが死んで恐らく百年と経っていないだろう。そんな浅い歴史の中でこれだけの影響力を残せるのはやはり各世界に生きるシュバルツの叡智が集まった結果である。古今東西多様な世界の知識知見が集中すればどこでも一角の人間にはなれるというもの。原始世界であればそれこそ神域と呼ぶに相応しい英雄となれる。そんな人間の名を、俺は口にしてしまったのだ。




 軽率だったな。




 血の臭いの中で俺は後悔をした。昔から軽はずみな言動をしがちで治らない。大変な悪癖である。

 だが、反省している場合ではなかった。この異様な空間からどうやって逃げ出すのか。優先順位はそれが一番。この狂乱に乗じ気配を消して抜け出せないかと思案したが、遮蔽物がほぼない平地で実行できる気がしなかった。精神変容を起こしている連中相手に下手を打てば俺が供物として捧げられる可能性だってあるわけだから迂闊に動けない。また、言語でのコミュニケーションも絶望的だと諦める。狂っているのだから話など通じるはずがない。打つ手なし、完全に運に任せるしかない状況。コントロールの及ばないリスクに直面する機会が本当に多いように感じる。しかし、そのリスクを乗り越えてきたからこそ俺は今こうして述懐などできている。コントロールできない事象は同じような蓋然性によって処理されていくのだ。




「お前、シュバルツとは話せるのか?」




 血を浴びたハルマの男がそう問う。




「……あぁ、話せる」


「ならば本人に伝えろ。伝承通り、あの岩場まできたら街を滅ぼすから、その時に迎えに行くと」


「……分かった」




 返事をすると、ハルマの連中は狂いながら死体を担いで森の方向へと帰っていった。助かったのだ。




 運がよかった、本当に……!




 血の海を避けてヨロヨロと歩き、倒れるようにして大地に背中を預けると柔らかい土の感触に安心感を覚えた。まだまだ雨季。湿っていて決して心地のいいものではなかったが、生きながらえたという安心感はどんな布団よりも優しかった。けれども、それでも。頭の中は、すぐに新たに生じた事象についていっぱいとなる。



 

 あの岩場というのは、奴らが見張っているところの事だろう。やはり意味があったのだ。村の拡張計画については一度検討し直さなければならない。それに奴らがどうしてこちら側の指導者について情報を知りたがっていたのかも不明だ。知ってるどうするそんな事。滅ぼすのであれば必要ないじゃないか。



 考えなければならない事、考えても仕方がない事で脳のキャパシティが悲鳴をあげ、体中の力が抜けていく。重力が強い。俺はすっかりと溶けて、大地にへばりついてしまった。



 

 寝ていたところで、何が解決するわけでもないのだが……




 晴れ間のない曇天を見ながらジメとした空気に混ざっていく。思考がまとまらない。身体が動かない。尿意便意があったら構わずその場で粗相してしまいそうな虚無が俺を包む。どうしたらいいのだろう、なにから手を付けよう。グルグルと同じような表題ばかりが巡り回る。具体的な内容は何一つとして浮かばない。ただ課題だけが強調されていく。それは会社の定例会議で詰められた後に感じる重荷に似ていた。あれをやれこれをやれ。何が足りてないできていない。未達だノルマだと延々好き放題言ってくる上司は解決案を提示しない。理由は明々。そんな方法があったらとっくに実行指示を出しているからだ。右も左も分からない暗闇の中で最良の選択を明確にしろと命じる恥知らず。しかし奴らも立場があって、「いいよ気楽にやろうよ」とは言えない。結果として双方にとって益のないやり取りをしなければならないという地獄の時間である。あの時の屈辱と怒りとやるせなさと上司に対する哀れみの念は複雑に混ざり合って筆舌に尽くし難い感情を生んでいた。違う点をあげるのであれば、最終的な責任の所在であろう。仕事については怒られるだけ、最悪解雇になるだけで終わる。将来の事、金の事などについて頭を悩ませなければならなかったが人命よりははるかに軽い問題。仮に俺が精神を病み自死したとしてもそれは俺だけの命、俺だけの死で完成するわけだから、気楽なものだ。だが、なんども述べるがファンダムではそうもいかない。俺の選択に多くの人命にかかわっている。俺が、俺如きの判断が運命を決するのである。あの糞のような上司でも最終的な責任は取らざるを得なかったろうし、負債の凄惨は企業や役員が持つわけであるからその点はよかったか。いや、よかったかよくなかったかでいえば勿論最悪だったわけだがそこはまぁいい。論点は、ファンダムにおける俺の立場だ。ディペロッパーの真似事で開発を進め、生活を豊かにする事により貢献はできていたと思う。それでよかった。原始世界での生活レベルを引き上げゆっくりと気ままに生きていければそれで満足だったのだ。俺はその、理想との乖離についてずっと縛り付けられていた。




 いかん、堂々巡りだ。こうなると毎回後悔やたらればばかりになる。




 戻しようのない時間。答えのない問答。大地に身体を預けたままに自責、自己嫌悪。一度動かなければと決めたのにこうしてまた躓くところは、実に俺らしいものだ。


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