原始生活4

 ファンダムでの生活環境には抵抗感を払拭できなかったが社会性は気楽なものだった。腹の探り合いや言葉の裏を読む必要性があまりないし、力関係も群れへの貢献度で決まる。根回しや腹芸に気を回さなくてもいいというのは精神衛生上非常に良好。文明を捨てられる人間であれば存外生きやすい世界かも知れない。




「エーラはどんな感じだった」


「どんな感じといわれても、普通だったよ。いつもと同じさ」


「子作りはしてないのか?」




 ムシュリタのこの率直な質問。見栄も虚勢もない素直な言葉である。こうはっきり聞いてくれると気持ちがいい。




「してない」


「そうか、ならいい」


「ムシュリタはエーラと子供を作りたいんだろ? 本人に頼めば承諾してくれるんじゃないか?」


「頼んださ。でも駄目だと言うんだ」


「それはおかしな話だね。君程の男はそうはいないだろうに」


「そうなんだよ。エーラは何かおかしいんだ。どこか俺達とは違う考え方をしている」


「例えば?」


「そうだな、この前ヤパの時に、妙な事を言っていたんだ。“動物の骨を細工して、それで肉や香草と交換できるようにしよう”なんてな」


「……本当かそれ?」


「どうした? 顔色が変わったぞ」


「……いや」




 貨幣経済である。

エーラはこの時代に、経済活動の構想を持っていたのだ。




「その話を聞いて、ムシュリタはどう思った?」


「みんな笑っていたけど、確かに、それなら狩りに行けない人間も食えるようになるし、食料の分配もしやすいなと思ったよ」


「そうか……」


「ただ、その話を聞いたカオ様が怒ってな。それで終わりだ」



 

 カオ様とは群れにいる長寿の女である。長寿といっても四十過ぎではあるが、この世界の平均寿命が三十代であると考えれば十分長生きといっていい。群れの中ではその豊富な経験と知識をもって生き字引となっている。何かあれば「カオ様」「カオ様」とお伺いを立てなければいけない存在で、要はご意見番だ。




「どうしてカオ様が怒ったんだ?」


「知らんよ。ただ、かなりの剣幕だったからな。余程何かあるんだろうさ」


「……」




 貨幣経済が始まる事は悪い事ではない。無論、様々な弊害はあるが発展の中で克服できるだろう。しかしその過程で、起こり得る弊害の中で確実に犠牲者は出る。人間の奴隷化や報酬に関する諍いなどが最たる例であり、現代社会でも完全に是正できていない。問題が山積みだ。




 カオ様はそれを懸念しているのだろうか。だとしたら大した晴眼の持ち主だな。




 社畜時代、金のために嫌というほど屈辱を受け辛酸を舐めてきた俺としてはカオ様と同様に貨幣の発行については反対であった。しかし同時に、この時代の生活環境改善は図りたいとも思っていた。そのためには物々交換の社会のままではいけない。腹が満たされないもの、身を守るもの以外にも価値を付けるためには、貨幣は必須である。




「なんだか興味が湧いたから、後でカオ様に話を聞いてみるよ」


「やめておいた方がいい。怒られるだけだ」


「話を聞くだけだよ。カオ様だって何か理由があって反対なさっているだろう。それを知りたい」


「ムシク。エーラも変わっているが、お前も大分変だ」


「そうかな」


「そうさ。狩りの練習もしないで変な物を作るし、たまに姿が見えなくなる事があるしな。よく分からんよ」




 姿を消しているのは用便を足しているからだ。一応、糞尿を行う場所は定められているのだが、共用であり隠すものもない。衛生的にもそうだが、それよりも羞恥心の増幅に耐えられなかった。人前での排泄は尊厳の破壊に近いものがある。慣れてしまえばいいのだろうが、慣れてしまったら終わりのような気がして、俺はいつも催した際には別の場所で糞尿を処理していたのだった。




「悠長にしてるが、こんな調子でどうする気なんだ? 骨が一周したらお前も大人だ。狩りができなきゃ餌になるしかないぞ」




 骨とはハイエナの骨の事である。ファンダムではハイエナの大腿骨に印を付けて年数を測っていた。円形に並べた十二の骨の表側が前半十五日、裏側が後半十五日。全ての骨の表と裏、合計三十ずつ印が付いたら一周となり一年が経過したという事となる。太陽暦という概念がまだ生まれていないためずれはあるが大方の目安にはなる。




「なんとかするさ。最悪、女連中に混じって木の実や香草でも採ってくるよ」


「それは許されないだろう。男は狩りをすると決まっているんだ。それが仕事だ」


「群れに対して役立てばいいんだろう? なんでもいいじゃないか」


「駄目だね。お前も今から狩りのやり方を覚えろ。兎でも鳥でもなんでもいい。とにかく早く……」


「考えておくよ。それより急ごう。日が暮れそうだ」




 俺はムシュリタの言葉を遮って足を速めた。当然、俺の歩幅に合わせる事はムシュリタにとって容易でありすぐに追いつかれたが、彼はそれ以上言及してこなかった。「死にたいなら勝手にしろ」と、無言で訴えていたのだろう。この、無駄な話をしないというのは人間的な行動なのか動物的な行動なのか判断しかねるが、俺にとっては都合が良かったからどちらでも構わなかった。


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