アンバニサル

「それと、シュバルツという人物についてなんですが……」




 シュバルツ。その名を聞き、俺は一瞬身を固くさせた。




「ログの更新時間がおかしいんですよね。彼に関する全てのデータが、ネストで貴方と会った時に更新されているんです。どこで生まれたかどのように死んだか、家族や親戚のデータも全て同一時間にまとめてです」


「ずっと隠蔽していたんだろ。薄々観測している人間がいると気が付いていたようだしな」


「そんな馬鹿な」


「ログを見たのなら、シュバルツが何者で、何を目的にしていたのか分かるだろう」


「そりゃあ、はい。しかし、顕現した世界の意思であり、救済のための滅亡をさせようとしているなんて、そんな事にわかには信じられませんよ」


「実際に起こっているし、奴が死ぬまでデータも秘匿されていたんだ。なら、信じるしかないんじゃないか?」


「それじゃあ、世界は誕生しない方が幸せだったと、そういう事になるんでしょうか」


「そんな事知るか。ただ、“幸せのためです”なんて言われながら実験材料として過ごすくらいだったら、死を選ぶかもしれないな」


「なるほど。もしそうなら、世界と対話する必要がありそうですね。ログに入力されている事が正しとすれば、他の世界にもシュバルツがいるはずだ。世界を救おうとしていればきっと貴方と接触する事になる。これまでの例を考えると恐らく回線は繋がらないでしょうから、その時、貴方の口から私達の目的について説明し、説得してくれませんか?」


「他の人間に頼め。俺はもうなにもしない」


「何を言っているんですか? 世界を救えるのは今、貴方だけなんですよ? 代わりなんてとんでもないです」


「だったら諦めて世界の滅亡を眺めているんだな」


「別の世界でも、ハルトナーのような友達ができるかもしれないんですよ?」


「貴様が軽々しくハルトナーの名前を口にするな!」



 

 怒りが込み上げてきた。コアの口からハルトナーの名が出る事に、吐き気に似た感情を抑えきれなかった。




「やはり反応するんですね。エニスでの経験が、貴方の人格形成に素晴らしい影響を与えているようだ」


「ふざけるな!」


「ふざけてなどいませんよ。前にもお伝えしていますが、私達は幸福について探求しています。過去に得られたデータとして、幸福というものは、友人や家族、恋人といった存在が大きな影響を及ぼす事が分かっている。貴方が今怒ったのは、貴方にとってエニスでの生活が幸福だったという証明です。誰にも触れられたくない幸福の欠片を大切にしているという事なんですよ」


「……」


「しかし、悲しい事にその幸福は永遠には続かない。友人も家族も恋人も、死んでしまえば悲しみに変わる。人との繋がりは永劫の幸福足り得ないんです。そして、死を取り除いたとしても幸福は続かなかった。昔、こんな実験をしました。仲のいい友人や恋人と共にずっと生きていけるようにしたらどうなるか……結果は悲惨なものでした。何度やっても仲違いが起き、みな不幸になるのです。他人依存の幸福は長く続かない。人は人として、社会性を持って生きていくよう進化してきたのにも関わらず、その繋がりの永遠性を拒絶するのです。他人と関係性を持つだけでは僅かな間しか幸せになれない。しかし、その一時の幸福もない人もいる。日本にいた貴方はそういった人間だった」


「……」


「エニスの経験は貴方に幸福と絶望を与えた。これまで刺激されなかった感性がようやく揺さぶられ、人間として一段ステージを上がれたのです。ようやく幸せがなんなのか理解した。大変、良かったじゃないですか」


「貴様の尺度で測るな! 俺はそんなものを望んでいたわけじゃない!」


「だったら、ハルトナーとの出会いは不要でしたか? 貴方は彼と出会わない方がよかったですか? そうじゃないですよね」


「……話をすり替えるな!」


「すり替えてなんていませんよ。貴方は、ハルトナーに出会えてよかった。彼と一緒にいたいと思った。しかし、その願望は一時的なもの。先ほども申し上げましたが、これまでの実験結果として友情も愛情も親愛も、永遠ではない事が分かっている。だから、次の世界で新しい出会いを見つければいい。そしてその友人と過ごした世界を守るために動いてくれればいいんです。別れる際は悲しみに暮れるでしょうが、私達の目的が達成した暁には、貴方にも未来永木続く幸福を差し上げます。どうでしょう? 至極簡単でまっとうな提案じゃありませんか?」


「そんな話しで俺が納得すると思うのか?」


「した方が気が楽ですよ。どうあっても次の転生はしていただくので」


「次転生したら、俺はその場で命を絶つ」


「自殺ですか。貴方にはできない」


「見くびるなよ。俺はついさっき、地獄の苦しみの中で死んだんだ。もう一度死ぬくらいわけはない」


「貴方が自ら命を断ったら、ハルトナーは何を思いますかね」


「貴様がその名を口にするなと言ったはずだ」


「申し訳ない。けれども、貴方に死んでもらっては困るんです。世界は自滅の選択をしているかもしれませんが、生きている人間は皆生きる中での幸福を求めている。それを見捨てないでいただきたい。意図して失礼な事を言いますが、ハルトナーだったら世界を救おうとする」


「人の生き死にをグロスで判断していた奴の言葉とは思えないな」


「物を見る際には定量、定性双方の判断軸が必要です。状況や対象によって変わりますよ」


「都合のいい講釈だ。反吐が出るよ」




 露骨に嫌悪を見せてもコアは薄ら笑いを浮かべたままで不気味さえ感じたが、奴が言った次の言葉を聞くと、そんなものは吹き飛んだ。




「では、次は原始世界、ファンダムへ転生していただきます。野性はびこる獣の世界ですので、ご注意ください」


「おい、待て、なんて……」





 言い終わる前に意識が途絶えた。そして目覚めると薄暗い岩と、焚火に照らされた猿に似た人間のような顔つきをした者共が目に入った。




「んvddjABVDおうjsBVd!」


「hどうヴぉあうぼあすいぁ!」


「だいvhぢぴきいhさぢvはぢpvはいpv! ほあうdhヴぁおうvはぷd!」




 周りにいる動物だか人類だかの口から奇妙な鳴き声が発せられた。それはまさしく、獣のそれだった。




 こんなところで生きていけるのか、俺は……




 ついさっき自死するといっておきながら、俺は今後の生死について悩んだ。つくづく、浅ましい人間だ。


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