読めない心6

 死んだほうが楽だな。



 希死念慮。エニスや日本にいた頃にもあったが、ここまでは深くはなかった。ストレスからか味覚に障害が出て何を食べても味がしなくなり、暑さ寒さもぼんやりとしか感じない。自分の外側に薄い膜が張ってあって、感覚が遮断されているような気分が続いていた。


 それでも思考回路だけはしっかりと稼働していたのだから面白い。今、何をすべきで、この後どうなるか。自分の中にフローが組み込まれ、終点までおおよそどれくらいかかるのか計算ができていた。時間はかかったものの、ようやく見え始めた終わり。残された猶予を全て捧げ、計画を遂行していく。俺には、それだけだった。それだけで、一年が経過した。

 身体の変調は悪化していたものの支障はなく、手に入れたネストの整備は順調に完了していった。この整備は外部委託していて、多くがウィルズに支持された企業に発注していたのだが、中には俺が自ら選定した企業もあった。ネオラブルも、その内の一つである。




「アシモフさん。どうもありがとうございます。大変大きな仕事をいただきまして、助かりました」




 ネオラブルの代表であるユーリの言葉には媚と恐怖。そして軽蔑が隠れていた。ヤーネルの逮捕は大きく報道され、その裏では俺が暗躍したのではないかと根拠のない風説が流布されていた。ユーリにとってはかつての取引先に関する事柄である。彼が知らないはずがない。記事事態はゴシップレベルの内容だったが、人工惑星所有について記事が出されたくらいから俺のイメージはすこぶるダーティとなっていたから、この手の醜聞は事実として扱われていた。それまで築いてきた健全な印象はもはや過去の話となり、アシモフグループは若き実業家、ピエタ・アシモフの野望を叶えるための私設組織であるというのが一般的な見解となっていた。それでも利益は出して右肩上がりの成長を続けていたのは、政府公認企業であり市場価値が高かったからである。国家権力の威を借りた俺を止める者は皆無で、金を払えば誰もが思い通りに動いてくれた。俺とアシモフグループは、優良な寄生先として認識されていたのだ。こうしてただでさえ苦手な人付き合いが更に嫌いになっていく。一人で晴耕雨読の生活ができたら幸せだろうなと、ベッドに入ってよく夢想していた。




 たが、唯一俺の真意を知る人間。ポール・シュバルツだけは別で、彼と話す事が支えとなっていた。




「世間はどうあれ、僕は貴方を支持しますよ」




 ネストから密入した彼にとって俺は同族解放に奔走する英雄に見えていただろう。というより、そう見えていてほしかった。そう見えるように、振る舞っていた。

 本意を隠し悪名を被ったまま生きる辛さ、苦しみは想像以上であり、理解者の不在が幾度となく孤独を感じさせた。だから、紛らわす何かが欲しくて、ネストを解放する救世主であるというアイデンティティに逃避した。何者かになれば、俺自身でなければ、苦境にも耐えられる。英雄の仮面が俺に生きる意味を与えてくれたのだ。その姿が仮初であると知りながらも縋るしかない。ネストの視察に行く際も決まってシュバルツを同行させていたのは、そうやって自身が特別であると思い込み、俺が俺である事を一と時でも忘れるためである。


 事態が動いたのは、そんな風にシュバルツとネストの視察を行った時の事である。




「ここは……」




 朽ち果てた港に入港した際、シュバルツが声を震わせた。




「どうかしたか?」


「……ここは、僕がいたネストです」


「君がいたネスト……強制連行される前に住んでいた場所という事か?」


「はい」




 国が接収したネストは定められた番号で呼ばれるうえ、宇宙空間に浮かぶ構造物は外から見ても特徴を掴めない。例えそこが生まれ故郷だとしても、入港してみなければ分からないのだ。

 意図しない帰還にシュバルツは「まさかこんな形で戻るとは思いませんでした」と薄い笑みを作って俺に見せていたが、無理をしているのは明白だった。奪われた自分の故郷が荒らされ、廃棄品として扱われているという事実。心動かない人間は少ない。俺だって、日本が占領されて町中が蹂躙されていたら、大きなショックを受けるだろう。





「……先に進みましょう」


「大丈夫か? 受領したネストはもう十分ある。無理にここを使わずとも問題ない。致命的な破損があったという事にして破棄しても……」


「いえ、お気になさらず。確かに動揺はしましたが、もう大丈夫です」


「……そうか、ならば、行こう」




 ここで無理やりにでも引き返していれば悲劇は起きなかったかもしれない。しかしそれは結果論であり、シュバルツが「大丈夫」と言い張るのであれば、もうそれ以上交わす言葉はなかった。俺達は持ち込んだモービルで、崩れた道を進んでいった。




「やはり、随分と荒れていますね……あ、でも中央施設は綺麗ですよ」


「中央施設?」


「はい。環境管理や外部監視。その他、制御システムが集約されている建物です。居住ブロックもあって、僕は家族と住んでいました。他にも、エンジニアの方が多数いらっしゃいましたね」


「なるほど。何かあれば即座に対応できるというわけか」


「その通りです。せっかくなので、少し見ていきませんか?」


「別にいいが……君はいいのか? 中は荒らされているかもしれないぞ? 自分の部屋なんかが好き放題されていたら、辛いだろう」


「何度も言いますが僕は大丈夫ですよ。もう何年経ってると思っているんですか。今更なんてことはないです」


「……そうか」



 シュバルツの言葉を信じ、俺達は中央施設の中へと入っていった。




 


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