自由のために21

「なぜこんな真似を……」



 そう聞いた俺の声は上ずっていた。背後からナイフを向けてきた相手を前にして平静を保てるほど修羅場はくぐっていない。命の危機に瀕すれば、相応の恐怖は湧き上がる。




「僕の事、忘れましたか?」


「いや、覚えているさ。ネストで会った」


「そうです。あの時、コンテナにある果物を盗もうとして貴方に会いました。やはり覚えていましたか……」


「質問に答えてくれ。どうして僕を殺そうとした」


「あなたが覚えていると思ったからですよ。どうも、僕は他人の記憶に残りやすいようですからね」



 

 俺は、彼を覚えていたのは彼の特質によるものだったのかと納得した。そうでなければ、あの暗闇で見た顔を覚えているはずがないからだ。もっとも、その特質というのがそもそも異常であり、おかしなわけであるが……




「僕が密告すると思ったのか?」


「可能性を排除したかっただけです。何がきっかけで僕の正体が漏れるか分からない。リスクは処理しなければなりませんから」


「そうか」


「しかし、結果として失敗。間抜けな最後となりました」


「逃げたり殺そうとしたりはしないのかい?  僕は今君を捕らえていない。倒れてこそいるが武器も手にしたままだ。やりようはあるだろう」


「駄目ですね。どうやら足を捻ったようです。これじゃあ貴方を殺す事も逃げる事もできない」


「それは災難だね」


「そうですね。なので。このあたりで僕の人生のケリをつけようと思います」


「……死ぬ気か?」


「はい。どうせこの後、死ぬよりもつらい目に遭いますからね……殺そうとして、すみませんでした」


「分かった。しかし、その前に少し話をしないか。死ぬかどうかは、その話が終わってから決めてほしい」


「聖書の内容でも聞かせてくれるんですか?」


「それで思い直すのであればそうするが、君は神なんて信じていないだろう。もっと現実的な話さ」


「……分かりました。聞きましょう」


「まず僕は今、ネストを解放するために動いている」


「またその嘘を吐くんですか?」


「嘘じゃないさ。あの時だってそのために忍び込んだんだ」


「信じませんよ。テロに怖がって逃げ回った結果ですよね?」


「なんだ、知っているのか」


「こっちに来てからテレビ番組で見ました。“あり得ない事件事故特集”みたいなタイトルだったと思います」


「そうとも。普通だったらあり得ないんだ。明確にネストへ行くという意思がなければ、あんな事件は起こらない」


「……」


「あの時僕はすぐに助けると言ってしまった。それは謝る。予定よりも随分と遅れてしまってもう十年以上経ってしまった。その間に何人も死んだだろうし、今も苦しんでいる人間がいる。誠に申し訳ない」


「……具体的に、どうやってネストを解放するつもりなんですか?」




 倒れていたシュバルツは座ってこちらを向いた。ナイフはまだ手にある。俺は間違いがあった際に跳びかかる準備をしながら、慎重に口を動かした。




「政界と経済界を手中に収めるのさ。そのためにやりたくもない社長業なんかや政治家への根回しをしている最中だよ。当初は五年で終わらせるつもりだったが、僕の力不足で実現できなかった」


「……」


「けれどようやく、ようやくその目途が見えてきた。今回結合カメラをネオラブルに頼んだのもネスト解放のためだよ。あそこで何が行われているか、囚われている人間がどういう扱いを受けているのか全国に発信し、人類全員認知させて当事者意識を持たせるんだ。人権意識の啓蒙やコンプライアンスの順守が世界中で叫ばれている昨今において、ネストの光景は劇薬になるだろう。世論に反応し早急な問題解決が図られるに違いない。いや、そうするように仕向ける。そのために、僕は動いているんだ」


「解放後のネストの人達はどうするんですか? 惑星に来たら、きっと差別されますよ? どれだけ綺麗事を言っても、所詮人間なんですから」


「そのために人工惑星の運営をするんだ。君ならニュースで見ているだろう」


「そこに、ネストの人達を住まわせるつもりですか?」


「そうとも。いずれは自治権を認めさせ立憲もさせる。最終的には建国し、生きる自由を奪還するんだ。ネストの人間全員が幸福を享受できる、そんな世界を目指す。だから僕は君を警察に突き出す気もないし、殺させたくもない。どうだい、この話を聞いてもまだ自死を選ぶかい?」


「僕を貶めるための嘘じゃないという証明がほしいところですね。上手く言いくるめて、僕を謀るつもりかもしれない。ネストからの脱走者を捕まえたと報道されれば大きなニュースになる。貴方や貴方の持っている会社の良い宣伝にもなるでしょう」


「証明……証明か。それは難しいね。数式やプログラムじゃないんだ。人の思考や心にどんな担保が適切なのか、僕には分からない」


「あなたの弱みを教えてください。知られれば確実に命がなくなるような、そんな弱みを。でないと信用できない」


「提示できなければ?」


「ここで死にます」




 自分を人質にし交渉を持ちかける様は滑稽でもあった。また、自分を殺そうとした人間の自殺を防ぐために手を焼いている俺自身も客観的に見たら異常だろう。だが俺は彼を死なせたくなかった。ネストの人間だからというのもあるが、何故か彼を失いたくなかったのだ。ネストで会った時に抱いた不思議な感覚が再現されたのだ。




「分かった。実は僕は政府に……外務省に命を狙われているんだ。ネストにあった資料を窃盗したという嫌疑がかかっているんだよ」


「なんの資料ですか?」


「これさ」




 俺は昔使っていたデバイスをシュバルツに見せた(盗まれないよういつも持ち歩いていた)。画面に映っているのは例の資料……敗戦国国民に関する条約である。




「この資料は恐らく外務省局長のアントン・ブリックがネストに派遣されていた際管理していたものだ。露見すれば失脚どころでは済まないだろう。だから血眼になってこの資料が入ったメモリと奪った人間を探しているのさ」


「ネストに侵入したから、貴方が疑われているという事ですか」


「そういう事だね。一人の人間を政治家が主導して殺すとなるとかなりの力を使わなきゃいけないしリスクも高い。だからこれまでなんとか生き残ってこれてはいたけれど、もう少しでも怪しまれたらきっと殺される。どうだろう。これで、信用してくれるかな」


「……」




 シュバルツはじっとしていたが、少し経つとおもむろに起き上がって手を伸ばしてきたので、俺はそれを握った。感動の再会と和解である。しかし、資料の情報を自ら教えてしまったのは軽率だった。シュバルツの魅力はなにか危険だと、彼の硬い掌を感じながら思った。


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