自由のために20

 水を飲もう……



 なんとか受付を済ませた俺は部屋にあるウェルカムドリンクの中から水を手に取ってグラスに注ぎ、無理やり体内へ流し込んでいった。酒と食事で胃袋は満たされていたが、血中アルコールを薄めるためには水を飲まなければならない。会食から二時間。既に身体の端々まで酒分が行き渡っているからまさに焼け石に水。だとしても、やらないよりはやった方がいいのだ。




 少しずつ、時間をかけて飲もう……




 夜はまだ浅かった。日は跨いでいない。睡眠よりも水分摂取に時間を当てた方が良いと判断しソファに腰を据える。水はボトル二本。これを消化してから眠る算段。




 紅茶でも飲むか……




 アンバニサルで標準規格となったドリンクタブレットを棚から取り出しカップに入れてお湯に注ぐと即席の紅茶ができあがった。原理的には濃縮還元と同じである。味はティーパックと変わらない程度で特別な感動はないが、特にこだわりもないので問題ない。無音のまま座っているのも物悲しく感じたため、無造作にテレビをつける。




 地上波番組……ろくなものがやってないな……何故テレビ文化は廃れないのだろう……




 退屈な放送内容を眺めながら言葉なく愚痴るという無益の究極。昔、残業終わりにコンビニで酒を買って帰りワンルームのマンションで同じような真似をしていた。陶酔するにしても最悪な部類に入る。一チャンネルから順番にザッピングを繰り返してまた一に戻り溜息。ドラマの再放送、トークショー、低予算の映画、海外のアニメ作品(弊社の作品は高い金を払ってコア層をターゲットにできる枠を保持しているためこの時間帯には放送されない)など、愚にもつかない内容ばかり。消去法で選んだのは賢し気な人間が好みそうなスタンダップコメディ。政府批判に下ネタに差別。くだらないダーティージョークに白けながら紅茶と水を交互に飲んでいると意識が多少整理されてきたのでシャワーを浴びルームサービスでフルーツを頼んだ。ホテル料金の割高価格。これも浪費だ。ついでに水を三本頼んだら「有料ですがよろしいですか」ときたものだ。幾らだと聞いたら市販の三倍。どんな水かと思えばウェルカムドリンクと同じラベルである。あまりの暴挙にドアを叩いたオーダーテイカーへ「これ、ウェルカムドリンクで同じですよね。高いですけど、価格あっていますか」と文句を言うと「適正価格です」とのたまう。フルーツも温く鮮度が悪い。今思い返しても腹立たしい。


 収まらない怒りのまま追加された水を一本消化し、今度はコーヒーを作った。これもタブレットである。味は粉末のインスタントと遜色ない。泥水よりマシといったところだ。もしやこのタブレットも有料なのだろうかとルームサービスメニューを見ると案の定である。カフェで一服するのと変わらない強気な設定に思わず失笑。これがまかり通るならボロい商売だなと蔑む。後に知った事だが、無料にすると大量に要求する馬鹿者が現れるためその対策らしい。普通に頼んだ場合は「サービスです」といって無料でいただけるそうだ。自分の卑しさ、さもしさを痛感したが、同時に水だってそのシステムでいいだろうと憤慨。日本生まれ特有の感覚だろうか。納得がいかない。



 水の追加ボトルを二本消化するとさすがに意識も明瞭になってきた。時間は深夜二時。そろそろ眠ろうかと思うものの、目が覚めてしまっていた。どうでもいい時にやってくるくせに受け入れる姿勢を示すと近寄ってこない。睡魔というのは女のような奴だ。




 ベッドに入って目を瞑るか……いや、それもなんだか気が進まないな……とはいえ、やる事もない……仕事を……いや、目は冴えているが身体は怠い。頭も回ってないから今は着手しない方がいいな……しかし、この時間は……



 


 グルグルとめぐる思案。どうしよう、なにをやろう、まとまらない考え、流れ続けるコメディ番組。




 ……仕方ないな。




 考えた結果、酒を飲む事にした。

 体内の酒を抜くためにあの手この手を尽くしていたというのにこれでは本末転倒である。しかし他にやる事もない。長く続く夜を素面で過ごすというのも残酷な話だ。これはもう、今日明日は人生からなかった時間であると開き直り腹を据えて飲むしかないと決断。なんと非合理かつ滅裂な選択だろう。しかもこの時の俺は、“過剰な飲酒による不調を過剰な水分補給で戻して相殺されたわけだから、今から飲むのはもはや宵の口だろう”というまったく頭の悪い理論を展開していたのだった。内臓や脳へのダメージを懸念していた正常さはもうなくなっている。しかしルームサービスのメニューにある酒を見て「この金額は出せない」という倹約家、あるいは守銭奴、貧乏根性による冷静な判断はできたため、二十四時間稼働しているショップへ片道十分かけて出かけ物色。ついでに屋台で軽く一杯ひっかけ(フィッシュアンドチップスの屋台が出ていた)、なんだかんだで一時間が経過。もはや朝に近い時間に、本当に酒盛りなど初めていいのだろうかと我に返りそうになるも、「まぁいいだろう」と珍しく楽天的な気持ちで一人ごち、部屋へ戻ったのだが、異変に気が付く。




 ……誰かいる。




 そう思った瞬間、背後から物音が聞こえた。




 武器を持っていたらまずいな……よし……!




 俺は確認するよりも早く、買ってきた酒瓶と肴を足元に捨てて斜め前にあるベッドに飛び込んだ。




「うわ」




 声が聞こえた。侵入者が瓶に足を取られて転倒したのだ。




「誰だ!」




 叫びながらベッドにあるライトのスイッチを突けると、瞬く間に部屋中が明るくなって全体を照らした。倒れている人間の手にはナイフ、判断を誤っていれば殺されていたかもしれないとゾッとしたのだが、それ以上に驚いた事があった。招かれざる客の正体である。




「君は……!」




 床に倒れ込んでいるのは男だった。

 俺は彼を知っていた。

 ネストに忍び込んだ際に会話を交わし、ネオラブルで技術責任者を務める人間。そう、彼の名は……




「シュバルツ……!」




 ポール・シュバルツ。異世界の魔王と、同じ名を持つ男である。


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