自由のために19
レストランはコースとなっておりワインも既に選ばれていたが、ヤーネルは食前酒の他、前菜の際に出された一杯で唇を濡らしただけで、後は水だけだった。自動運転機能が付いていない車のドライバーであるシュバルツも当然飲めるはずがないので俺とユーリ二人で空ける事になったわけだが、コース前半で一本、後半で一本用意されたボトルを片付けるのは難儀だった。コースなので配分も早めである。味はよかったが、さすがに回った。
「アシモフさん、いける口ですね」
そういってユーリがウェイターを呼び酒を注がせるから一息つく暇もない。最後はデザートワインまで用意されており、強かに酔う。ショコラとフルーツを食べる頃にはレストランの明かりが激しく感じるようになって、神経の鈍化を自覚できた。
「アシモフ君大丈夫かい? 目が座っているけれど」
「大丈夫です。ただ、ちょっと今日帰るのは難しそうですね。ホテルでも取って、明日移動します」
「それでしたらこちらで手配いたしますよ。駅前にリバーホテルというのがあるんですが、中々良いサービスをしてくれます」
「ではそこの予約をお願いしてもよろいいでしょうか……あ、料金は現地で払いますので、部屋だけ取っていただけると」
「かしこまりました……グレードはどうなさいますか?」
「一番安いもので……」
「承知しました……はい、予約できました。デバイスに共有いたします」
「ありがとうございます……」
思わぬ出費。金が惜しいわけではなかったが、意に沿わない形での支払いは浪費のようで気持ちがよくない。「この金があればランチの質が上げられたな」と酔いながらしても無意味な後悔を引きずる。
「ユーリさん、頃合いですので、そろそろ。アシモフ君も酔いが回っているようですしね」
「そうですね。もうこんな時間だ。それではお送りいたします。シュバルツ君。車回してくれるかな」
「承知しました」
「ありがとう。入口前にきたらメッセージ送ってね」
「はい」
シュバルツが退席し姿が見えなくなるとしばらく沈黙が続いたが、思い出したようにユーリがまだ車に関する話を始めて俺とヤーネルは閉口してしまった。酒が回っているから歯止めが効かないようだったし、俺の方でも酔っている頭では何を言っているのか理解しきれなかった。ものの十分程度だったはずだが、随分長い間、そこに座っていたような気がする。興味のない酔っ払いの話を酔っぱらいながら聞くというのは苦痛なものだ。
「ユーリさん、メッセージあったんじゃないですか?」
テーブルに置かれたデバイスが光り(卓にデバイスを置くのはマナー違反である)受信があった事をヤーネルが指摘すると、前時代の車の歴史を語るユーリは「あ、早いですね」と残念そうにデバイスを眺めてから「行きましょうか」と席を立った。
あ、酔ったな。
椅子から離れる瞬間、足元が浮つく感覚があった。アンバニサルに生まれてからは主に接待などで酒を飲む機会が多くありアルコールに強くはなっていたが、飲酒による脳の機能不全や体調不良は歓迎できない。日本にいた頃は依存に近いレベルで週末深酒を繰り返していて、関節の痛み、胃の不調で一日寝ていても「やってしまったな」程度の落胆で済んでいたのに、責任と使命に追われるようになってからは二日酔いで一日を無駄にする事への後悔と焦燥は堪え難かった(アセトアルデヒドを強制分解したり排泄を早める薬はこの頃あったがこれは頭痛と吐き気を消すだけで倦怠感などは抜けない。暴飲による内臓と脳へのダメージを回復させるには食事とサプリにより身体機能を高めゆっくり休むしかないのだ)。店の入り口を出てから車に乗るまでの間、きっと俺の顔色は芳しくなかっただろう。
「それじゃあシュバルツ君。まずは駅へ行こう」
「承知いたしました」
ユーリがドアを開けてくれて乗り込むとすぐに発進した。車内での会話はない。またカーエンスーの語りがあるかと思い身構えていたのだが、さすがに疲れたのだろう。
「到着しまし」
駅。ロータリーの端に止められた車の扉を開ける。場所が場所だけにシュバルツは降りず、俺とヤーネルとユーリだけが外に出て、最後の挨拶を交わした。
「本日はお付き合いいただきありがとうございました。またいつでもいらっしゃってください」
「こちらこそありがとうございます。納期の件、よろしくお願いいたしますね」
「それはもちろん、はい。任せておいてください。しっかり調整いたします……アシモフさんも、本日はありがとうございました」
「ありがとうございます。よい経験ができました。今後とも是非よろしくお願いいたします」
社交を終え、俺とヤーネルは車を背にして歩き出す。温かい気候ではあるが、湿度が高い。何本も走っている巨大な河川のせいだろう。
「アシモフ君」
「あ、はい、なんでしょう」
「丁度そこにバーがあるんだ」
「あ、はい」
「一杯付き合ってくれないかい」
「あ、飲まれるんですね」
「酒は好きだよ」
「なら、どうしてレストランで飲まなかったんですか?」
「商売相手とは酒を飲まないようにしているんだ。何があるか分からないからね」
どうやらヤーネルにとって、俺はビジネスだけの関係ではないようだった。それは素直に嬉しかったのだが、入った店で出された上等なウィスキー酔いを更に加速させ、ホテルに着く頃には意識が混濁としていた。
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