起業7
ここでワイターに「アンデックスはどうして会議に参加しているのですか」と聞いてしまいそうになったがぐっと堪えた。知っていても知らなかったとしても、当時の関係値では「知らない」としか返ってこなかったからだ。
チューコとは確かに友好的な関係を結んでいたし、俺個人においてもワイターと手を取り合っていたのだが、他社の思惑や裏の方針を語る程の信頼を築けてはいなかった。
他社情報を流すというのは他人の噂話などとは比較にならないほどリスキーである。事の真偽はどうでもいい。利害、権利、立場、情勢、その他数えきれない要因が複雑に絡み合い市場に変化を与えかねない。おいそれと共有するなど以ての外で、慎重に扱うべき内容なのである。そうした話がされる場合としては敵対的買収などの策謀を企てる時がもっとも多いから、下手に扱えばその企業に対して攻撃意思があると判断されてしまう。軽率な言動は慎むべきだ。俺は妙な勘ぐりをされぬようにしながら自然な形で会話を継続するために「ディディールのノウハウ教えてほしいなぁ」などと当たり障りない言葉を続け、談笑に入る。合間合間に差し込まれる重要な情報をキャッチしつつ、他の参加者が集まるのを待った。
「おぉ、お早いですね」
最初に入ってきたのはワイタ―が言った通り、アンデックスのヤーネルだった。スラックスとシャツにジャケットといういかにも“IT関連”な着こなしで登場した初老の男は、余裕のある笑みを浮かべていた。
「どうもヤーネルさん。前回はありがとうございました」
「前回? カフェで君のホットドッグ代を出した事かな?」
「はい」
「ワイタ―君。君は実に律儀で、そして察しのいい男だ。私はあの時、まさしくそのお礼が欲しくて金を出したんだよ。さすが、十年で上り詰めただけの事はあるね。僕のしてほしい事をずばりとしてくれるんだから」
「ありがとうございます。ただ、僕なんかより余程優秀な人間がここにいますよ」
ワイタ―はそう言って俺の背中を押した。「挨拶しろ」という意味である。
「はじめましてヤーネルさん。アシモフグループのピエタ・アシモフです」
「やぁ、君があのアシモフ君か。是非一度会いたいと思っていたんだ」
「恐縮です。私の方こそ、ヤーネルさんとお話ししたいと思っておりました」
「ありがとう。君のように才能があって若い人間にそう言ってもらえると、まだまだ現役だなという実感が持てるよ」
握手を交わして笑顔を向ける。ここだけ切り取ると非常に好印象を与えるような人物に映るが、先のワイタ―との会話から分かるように、ヤーネルは本質的に面倒くさい人間だ。誰かを揶揄ったりするのが好きで、皮肉もよく言う。付き合うにあたって苦労する人物である。
「アシモフ君。君は今、学生だったかな。ユニバーシティでは何を学んでいるんだい」
「はい。政治や歴史。国際関係論などを」
「政治? 歴史? 国際関係論? 経済ではなく」
「そうですね。経済や商売については、ワイタ―さんのように実践で良し悪しを証明してくれる方が近くにおりますので、わざわざ座学をする必要はないかなと」
「なるほど。しかしなぜ政治を? 将来政治家にでもなるつもりかい?」
「いえ、どうも私には政治センスはないようなので、知識だけでも入れておこうかと」
「自覚があるようで何よりだよ。君に政治センスがあったら、多分もっと早くこの定例会に呼ばれていただろうからね」
割って入ってきたワイタ―に俺は苦笑いを浮かべた。まったく彼の言う通りであった。俺がもう少し腹芸を使えていれば、ネストの開放も早期に行えていたかもしれない。
しかし、ヤーネルはワイタ―の言に反を述べる。
「いや、ワイタ―君。政治なんてのは知らない方がいいんだ。本質的に意味がない。商売にしたって生活にしたって、政治のせいで不要な手間暇が増えてしまっている。今もそうさ。昔から何も変わっていないんだ。アシモフ君も覚えておいた方がいいし、なんなら専攻を変えた方がいい。クリケットでもやっていた方がまだ世の中の役に立つよ」
ヤーネルから出た言葉は危険なものだった。政府が保有する施設内にて、政府主導で行われる会議の直前でこの発言。誰が聞いているか分かったものじゃない。ジョークといえども看過できない人間はいるだろうし、ジョークでなかったらそれはもう。政権批判だ。
「ヤーネルさんのお言葉ですので。心に留めておきます。ただ。私自身がまだその域まで達しておりませんので、要不要の判断が自分でつくようになるまではしっかり勉強したいと思います」
ひとまず。丸く収まるように当たり障りない返答をする。ヤーネルは「いずれ分かるさ」と落とし、相変わらずの微笑を浮かべた。政治の話はそれっきりで、後はアイスクリームやジュースの話になった。ヤーネルは甘党であると分かったから、アンデックスに来訪する機会があれば菓子折りでも持っていって親密度を上げようなどと邪な考えを巡らせていると、会議室の扉が開いた。
「どうも。皆さんお揃いで」
「あ、これはどうも。おはようございます」
一人の流入を皮切りに続々と社長連中がやって来た。誰も彼も一度は見た事のある顔で、揃ってみるとそうそうたる面子。俺はその一人一人に挨拶したのだが、都度、ワイタ―がクッションとなってくれて本当に助かった。助かったが、場違い感が凄まじく、いつになく緊張していて、マイサイクリンを飲んだ時と同じくらい嫌な汗が流れていた。
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