カウンセリング7

「ところでピエタ君。君は脳波チェックを受けた事があるかい?」


「いえ」



 

 ハリスの言葉にドキリとする。ただの確認なのか、俺の計画を見破って、敢えてそんな事を聞いてきたのか疑心暗鬼。せん妄状態でのプレッシャーは狂乱のヴィジョンとなり俺の正気を歪ませてくる。白かった床や壁には大量の虫が這いまわり、空調管理の音が得体の知れない化物のうめき声に聞こえた。だが俺はそれを幻覚だと認識していたからパニックに陥る事もなく静観を決め込む事ができた。自分の肌の下に虫が蠢いている感覚があっても「そんなわけはない」と信じる事で気にならなくなるのだ。とはいえ、ここまで強烈な幻覚作用があるとは聞いていなかったので驚きはあった。後で調べると、副作用は潜在的な不安や悩みに依存するとの記事を確認し、なるほどなと納得した。




「そうかい。じゃあ説明するよ。脳波チェックを行うと、君が持つ潜在意識を視覚として表示する事ができる。それで、嘘か本当かは勿論、喜怒哀楽や情緒。より細かな感情も計測できるというわけさ」


「原理は知っています。ただ、エビデンスとしてどれくらいの信用度があるんでしょうか? 昨年の論文に、脳研究の権威と呼べる学者から否定的な意見も出ていましたが」


「さすが、よく調べているね。ただあの論文は脳波パターンの画一的な判断に対する提言のようなもので、イレギュラーの事例を基に効果を論証しているって内容なんだよ。要は、事例以外にもイレギュラーが発生しているかもしれないから気を付けようねっていう警告だね」


「なるほど。じゃあ仮に僕がイレギュラーを発生させたら、どうなるんですか?」


「どうもなりはしないよ。あくまで検査の一環で行うだけだからね。心の問題は複雑だから色々な方法でアプローチを試みないと駄目なんだ。これはその内の一つというだけ。だから、ここで問題が出ても出なくても、判断基準の一つとしてカルテに載るだけだよ」


「なるほど……分かりました」


「それじゃあ、そろそろやろうか。あんまりもたもたしていると、君のお母さんに怒られちゃうからね」


「……」




 最後の部分だけそっと囁いたハリスは俺の頭に液体を塗って順にパッドを張り付けていき、卓にあるモニタの電源を点けた。表示されたのは脳波マッピングの確認映像。調べている時に観たデザインと同じである。



「よし、まずはテストするよ。今から質問するけど、君は黙っていればいいから。喋っちゃうと逆に分かりづらくなるから、返答しないように」


「……」


「そうそう。そんな感じ。準備はいいね? いくよ? 君の名前は、ピエタ・アシモフですか?」


「……」




 モニタに映し出されたマップが徐々に変化していく。ブルーだった画面に赤や黄色の波長が現れ、鮮やかな色彩を飾っていた。




「よし、問題ないね」


「……」




 問題ないというのは俺にとって問題があるという事なのだが、この時点においては俺の場合でも言葉通り問題はなかった。マイサイクリン服用時における脳波マッピングの誤認識については幻覚、錯覚作用が要因となっている。トラウマや隠し事について関連のある内容を質問されると、そこから不安に繋がり幻覚作用が働くのだが、その幻覚を起こした際の脳の動きがパターン分析できない波長を生み、正確な結果が測定されなくなるのだ。過去事例では被験者が異常を訴えたため明るみとなった。しかし、なにがあっても平素と変わらない素振りをしていれば怪しまれる事もない。ハリスが不審に思っても、イレギュラーで片付けられる問題である。深く追求される事はない。




「では、検査を始めていくよ。まず、今の調子はどう?」


「……」


「お、あんまりよくないみたいだね。何かあったのかい?」


「……」


「なにかあったんだ。何が良くないのかな? この検査が嫌なのかい?」


「……」


「うん? ……もう一度聞くね? この検査が嫌?」


「……」


「……へぇ、こんなパターンがあるんだ。なるほど。次、昨日はゆっくりできたかい?」


「おや……これもか……君は家のベッドでぐっすり眠れなかったかい?」


「……」


「……うぅん……ごめんね、もう一回テストさせてもらうね? 君の名前はピエタ・アシモフですか?」


「……」


「あれ? これもパターン変わったな……」




 ハリスが言うようにこの時の俺の脳波は異常だった。自分で分かるものではないのだが、そう断言できる。何故なら、検査の内容について聞かれた瞬間からまた幻覚が見え始め、俺の周りを地獄の景色に変えていたからだ。壁はシミやカビだらけとなり、影になっている部分がずっとこちらを見てきてクスクスと笑ってくる。ハリスの顔も母親役の人間の姿もところどころ穴が空いたりその穴がこちらを見てきたりと、前衛映像作品を彷彿とさせるようなグロテスクな世界に変わり果てていた。虚構と分かっていても、予断できない危険な幻視だった。また更に、最後の質問がより見える世界を変化させた。




「これじゃ駄目だな……まぁ、でも一応聞いておくか……ネストでの生活はどうでしたか?」


「……」




 見えるのは夥しい死体の山。その中に、ネストで俺の身代わりとなった老人がいて、こちらを睨んでいた。顔も見えなかったはずの、どうしてだが、俺にはそれが彼だと分かった。いや、そう思うように錯覚していた。



 恐れるのは、彼が出てきた事じゃない。彼の死が無駄になる事だ。



 俺はそう言い聞かせ、じっとしていた。溢れそうになる涙も叫びも悔しさも、ただ、耐えた。


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