艦の中で1
痛みによって目が覚めた。
洗われたであろう肌には潤いと張りが戻り、汚れていた衣服は着替えさせられている。果汁と腐液の混じった臭いは遠く何処かへと消え、全体重を預けられる、弾力性のあるベッドに俺は寝かせられていたのだった。
脱したか。
五体満足でネストから脱出できた事にまずは安堵。しかし、気は抜けない。僅かに感じる推進力とシャトル特有の擬似重力により、今いる場所が軍用艦であると断定。今後尋問、聴取があるのは確定的だった。
何を見た。
何を聞いた。
何をしていた。
何を感じた。
軍人から問われるであろうネストでの行動。どう答えるかは前述の通り知らぬ存ぜぬで通す。ただ、ネストを彷徨っていたという事にする他ないが、それでまかり通るのかは疑問だった。事は機密。子供相手とはいえ生半可なものではない事が予想される。暴力はないにしろ、推定有罪の理念に則ったリードテクニックにより厳しく縛り上げられるだろう。スペシャリストが手練手管をもってして俺を丸裸にしようとしてくるとなると、それを乗り切るのは容易ではない。
また、記憶を可視化される可能性もある。この世界、見たまま聞いたまま思ったままを映画のように出力する技術こそ未だないが、脳波や体内に流れる電気信号によって認知能力をマップで分類できるようにはなっている。無論これは専用の機器が必要とはなり、そんなものが補給艦に完備されているわけがなく、尋問のみに終わるだろうが、帰星後はそうもいかない。しばらくは治療の名の下、俺の記憶を徹底的に洗うはずだ。その対策を、しておかなければならない。
まだまだ予断を許さぬ状況。死を怯える時間は継続。改めて、尋問時のシミュレーションが必要であったが、その前に……
俺は布団に潜ってから口に手を入れ、奥歯に引っかかっている糸を手繰った。糸は食道へと伸びており、先端にはネストで手に入れたメモリーが括り付けられている。搬送の前後で身体検査されてもいいように、体内に隠しておいたのだ(糸は服から抽出し利用した)。
透視、探知機検査されるかもしれないとは思ったが脳波マップ用の器材同様、補給艦にそこまで精度の高い機器は積んでいないと踏んでの蛮勇である。また、吐き出してしまったり糸が外れて嚥下する可能性もあったが、無事だった。これについては運がよかった。憶測と想定に基づいたリスキーな行動であったが結果良ければ全てよしである。
ただ一点。早急に処理しなくてはならない事象があった。それは先程まで喉奥にしまっていたメモリーをどうするかである。この後俺は取り調べを受ける事が確定的となっていたわけだが、さすがに異物がある状態で喋る事はできない。故に新たな場所へメモリーを隠さなくてはならなかったわけだが、候補がなかった。部屋の中は生真面目な兵隊が隅から隅まで清掃するだろうから発見されかねない。トイレへいきダクト裏に置くという手もあるが、警戒されていた場合は足を踏み入れたところ全て捜索されるからこれも除外。艦内全て、同じ理由で却下である。だからといってポケットや掌に格納しておくなど論外で、中々に持て余していたのだった。
……
……本当は一箇所だけ適当な所が……所というか、部位なのだが、ない事はなく。実はかなり初期の段階で思いついていて、最終的にはここしかないかなと覚悟を決めてはいたが、いざその時となると戸惑いが生まれるのだった。
……
本当にそこしかないのだろうか。他に見落としている場所は、見逃している部分はないのかと記憶を辿り知恵を絞るも、悲しい事に、考えれば考えるだけ、他に手立てはないという結論だけが強調される。
致し方なしか……いやしかし、他にも手は……うぅん……
ベッドの中でまごついていると、酸素濃度が低下し、身体にも熱がこもってきた。いい加減に外へ出たいが、依然メモリーが手に収まっている。やるかやらざるか、覚悟が決まらず、時が過ぎる。
そんな頃合いである。部屋の扉が開く音が聞こえ、靴の底からコツコツと、俺が潜っているベッドにむかって歩いてくる気配を感じた。
誰だ……まずい、メモリーを……いやしかし……いや、いやいや、躊躇している場合ではない……
走る緊張。万事急須であり背に腹はかえられない状況。由々しき事態の中で行う苦肉の策ではあったが、もはや決行するしかなかった。
俺は手にしたメモリーを最後の手段として用意していた隠し穴へと捩じ込んむ。初めてとなる痛みにより涙腺が刺激され、目元が濡れた。屈辱の涙であった。
「起きたかい」
優しい男の声に呼応し、俺はベッドの中から顔を出した。
「おや、目が充血しているね。なにかあったのかな?」
「あ、痛くて……」
「あぁそうか。君は重症だったからね。そりゃ痛いか。しかし、痛いというのはいい事だよ君。まだ生きてるって事なんだからね」
メモリーの位置を確認しながら、注意深く目の前の人間を眺める。激しく笑うその男からは、異常者の気質が漂っていた。
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