惑星と巣穴9

「……」



 何と声をかけていいか分からなくなってしまった。まだ十年程度しか生きていないだろう目の前の子供が、細い体躯で自分以外を救おうとしているのを見て、適切な言葉が出てこなかったのだ。



「なんとか、身体の弱い人や、僕より小さい子だけでも早く助けていただけませんか。みんな、限界に近いんです。このままだと死んじゃうか、殺されてしまいます。お願いします。なんとか……」



 懇願する少年に対して「声を抑えろ」とは言えなかった。また、彼をこのままにしておく事もできなかった。毎日奴隷以下の扱いを受けながらこの少年は、自分よりも他者を救ってほしいと申し出ている。その強さと優しさと愚直さを前に、理屈を述べるのが難しく、恥ずべき事のように思えた。




「……分かった、なんとかしよう」




 ようやく出てきた言葉は、彼に対しての嘘であった。現状でできる事などあるはずがないのに、俺は「なんとかする」などと言ってしまった。




「ありがとうございます……! 今、僕より下の子達が大勢いるんです。前はもっといたのに、動けなくなったり、どこかへ連れていかれたりして……」


「分かっている。分かっているんだ全部。僕に任せておけ」


「お願いします……今までは他の人が食べ物を持ってきてくれたんですが、突然いなくなっちゃって……それで、僕は代わりをやっているんですけど、その人みたいにいっぱい持ってくる事ができなくって……」



「……その人は、いつ頃からいなくなったんだい?」


「二日前からです」


「そうか……」




 子供のいう食べ物を持ってきてくれた人というのは俺の身代わりとなって撃たれた老人に違いなかった。確証はなかったが、間違いないと断言できる。そうでなければ説明がつかない。人のために危険を冒せる人間は人のために死ねる人間だ。俺のために死んだあの老人はずっと、ネストの人間のために食料を持ち出し続けていたのだ。そしてその意志は、十年と少ししか生きていないような子供に引き継がれた。それは、いつか訪れる死を前提とした自己犠牲。誰かの死を容認しなければならない世界に伝播した呪縛である。

 俺は、こうして苦しんでいる人間が大勢いるのにどうして今すぐに救えないのかと自身の無力さを痛感した。もしこの世界にズィーボルトがいればきっと即効性のある解決策を講じていただろう。これまでやってきた勉強が何の役にも立たない悔しさと怒りがこみ上げ、項垂れる。しかし、目の前の子供が俺に弱音を吐かせる事を許さない。この子供に「救う」といった以上、俺はこの子供の希望でなければならないのだから。





「君は、どうやったら今の状態から抜け出せると思う?」


「……え?」


「毎日毎日、常に死に怯えながら過酷な環境で過ごしている今の状態を変えるには、どうしたらいいと思う?」


「……誰かが救ってくれるのを待ちます」


「それも一つの手だ。ネストを救いたいと思っている人間は沢山いる。時間さえ経てば、いつか、誰かが救ってくれるかもしれない。現に僕もそのために動いているんだからね。ただ、その間に君にもできる事がある」


「それは……なんでしょうか」


「勉強さ。学んで、知恵を付けてるんだ」


「勉強……勉強は、禁止されていて……」


「体系的な知識だけじゃない。君は今、倉庫に忍び込んできたんだが、それはどうやって学んだんだ?」


「裏に抜け穴があるんです。いつもは壁を作って隠しているんですけど、入る時はそれを外して……」


「そういった工夫をするのも勉強だよ。これから君は、色々な物をみて、考えていかなければならない。どうすれば人が死なずに済むのか、どうすれば苦しみを減らしていけるのか、それを考えていってほしい。僕や、僕のような人間が君達を救うまでね」


「……はい」




 弱音の代わりに毒にも薬にもならない、助言にもならない無意味な指針を子供相手に披露した。言っていて恥ずかしくなり、希薄な人間性と場当たり主義の愚劣さが自覚できて自己嫌悪が背筋を走って泡肌が立つ。実に、実に最低で惰弱な、薄情な人間の台詞だ。



 俺はいったい何を言っているんだ、どの立場で、どの目線でこんな馬鹿な戯言を偉そうに吐いているんだ。恥知らず。


 

 子供相手に話をする一方、頭の中では俺自身を否定する。なにもできないくせに、救う事などできないのに、学べだの工夫しろだのと。


 俺のこの発言は彼に救済を押し付けているのと同じである。

 ネストを救う覚悟をしたはずなのに、心の奥底では「無理かもしれない」というネガティブが居座っていた。だから俺はこの子供に、味方のふりをして“お前もネストの人間を守るんだ”といったような事を伝えてしまったのだ。なんと浅ましい!




「分かりました。僕も、勉強して工夫して、それで、人が死なないように頑張ります。だから……」


「あぁ。必ず君達を救う。救ってみせる。だから、もう少しだけ頑張っていてくれ」


「はい……!」




 少年の静かな、しかし強く、確かな返事は俺の心を大いに痛めつけた。罪悪感と贖罪の念は鋭く硬く、そして、攻撃的だった。



 



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