惑星と巣穴4

 本当に狂ってしまえれば楽だったのだがそうもいかない。俺の精神力は存外強靭であり、思考は正常に恐怖を受け止めていた。ドラマで、大きな精神的ダメージを負った人間の理性が崩壊し笑い転げるといったシチュエーションを目にする事があるが、実際にそんな症状が出るものなのだろうかとくだらない事を考えられる程度には冷静だった。とてつもなく恐ろしく、焦ってもいるのに、どうしてだか馬鹿な想像が頭を過ぎるのはもはや病気の類であるような気さえする。だがその病気故に立ち直りも早く冷静となれた。抜けた腰もしっかりとはまり、立ち上がった俺は手を払った。付着した肉片と血がにびちゃりと音を立てて床に落ちるのは爽快さも伴っていて癖になりそうだった。とんでもなく不謹慎であり、死者への悼みも慈しみもない蛮行。

その行いが、俺に不幸を呼び寄せた。

 突如、ガラガラと音が鳴る。目を向けると、二筋の光が倉庫内を照らしていた。扉が開き、警備の人間が入ってきたのだ

 



「誰かいるのか?」




 倉庫内に声が反響し、心音が跳ね上がった。急いでその場に寝そべって死体のふりをしたが、ライトで照らされれば即座に密入国者だという事が分かるだろう。その後はどうなるか。惑星の人間という事で穏便に済ませされるか、それとも、この惨状を知ってしまったため、秘密裏に処理されるか。一応見つかった際の言い訳は考えていたが、後者の可能性を鑑みるとこの場で自ら出ていくのは躊躇われた。




「腹が減っているのなら食わせてやるぞ。それとも喉が渇いたか? 温かいスープを飲みたいのか? 特別にやるぞ? 大人しく出てこい」




 声が近付いてくる。非常にまずい状態。現状を打破する手段はなく、寝たふりをしてすっとぼけるしかないと後ろ向きな腹の括り方をした。その時である。




「申し訳ございません」



 

 しわがれた声が聞こえた。年老いた男の声だった。




「なんだぁジジイ。こんな時間に何をしていたんだぁ?」


「腹が減って……」


「そうか。腹が減ったか。よし。じゃあ、沢山食わせてやるよ」




 間を置かずして”バシュン”と音が鳴った。警備の人間が発砲したのだ、老人に向かって!




「今月これで三人目だな」


「餓死で死ぬか撃たれて死ぬか、お前ならどっちがいいよ」


「そんな死に方したねぇから家族を売ってこの地位についたんだよ」




 笑いながら警備は去っていった。扉は閉じられ、再び闇に包まれる。そして、ゴボゴボと血が溢れる音が空間を支配していた。

 俺は死体に混じりながら震えた。俺のせいで罪のない人間が一人殺されたという事実もそうだが、あの老人は俺をかばって死んだのではないかと思われたからだ。


 警備があのままライトを照らしていたら、最初に見つかるのは俺であった。だから、あの老人は自分から名乗りをあげて殺されたのだ。


 あの暗闇の中で老人が俺の姿を視認できたわけはないからあくまで想像に過ぎないものの、そんな気がしてならなかった。




 来るべきではなかったかもしれない。




 悪臭漂う死体の中で遅すぎる後悔。訪れなければ真実を知る事はなかったが、事実を知る役目は俺でなくてもよかったのではないかと冷静に考え始める。

 俺でなかったら、もっと賢く、安全かつ建設的な方法でネストの惨状を伝えられたのではないか。俺のような頭の悪い人間が正義感に駆られ動くべきではなかった。どうしてこんな真似をしてしまったのだろう。エニスの時だって、俺ではなく、俺以外の人間の力があってこその成功だった。それを勘違いして、自惚れていた。自分が正義の使者になれるかもしれないと思い違いをしていた。自身が気持ち良くなるために義憤に駆られているような思考をしてみせた。これは偽善である。そしてその偽善をより強固にするためハルトナーの面影を描いたのだ。前提として俺は人間として酷く低俗であったのに、それを忘れて馬鹿な行動をしてしまい、人の命を奪ってしまった。どう取り繕おうとも、言い訳の仕様がない罪過である。


 ネストへ行く前、俺は甘く見ていた。せいぜい食事が行き渡らなかったり強制労働があるくらいで、ここまで非人道的であるとは予想していなかった。ナチスドイツや民主カンプチアでどういった行いがあったか知っているはずなのに俺は、自身に酔っていて、事態の想定を疎かにしていたのだ。そして、人が死んでようやく目が覚めたのだ



 死体の中で考える。どうすべきか、何をすべきか。

 恐れは悲しみに変わっていた。俺のために人間が死んだ。俺にはどうする事もできなかった。俺は無力だった。俺はまた、人の死を止める事ができなかった。この死に対してどう報いればいい。どうすればあの人の死が無駄にならない。


 


 答えは初めから出ていた。当初の目的通り政治家になる事だ。ネストで起こっている事を正確に把握し、是正できる立場と発言力を持つ。それが俺にできる罪滅ぼしであり、課せられた義務であった。



 義務を遂行するためにはまず、ネストからの脱出を考えなくてはならない。



 改めて決意した俺は、なるべく多くの情報を手に入れ無事に脱出するにはどうすればいいのかと考えていた。


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