エニス2

 思い出されるのはエニスに転生する直前であった。

 令和何年かの元旦。突如として現実世界から引きはがされたあの日。コアと初めて会ってしまった時の事を、俺は思い出したのである。



「ありがとうございます。貴方のおかげでエニスは救われました。現時点で、向こう三百年は滅亡する可能性は限りなく無に等しい状態です。大変助かりました」



 芽生えたのは殺意だった。俺が必死になってやってきた事に対して「大変助かりました」などと薄っぺらく言われ、人生を否定された気がしたのだ。




「お前と話す気はない。さっさと元に戻せ」


「そんなつれない事言わないでください。せっかく一つの世界が平和になったんですから、祝いましょうよ。シャンパン飲みますか?」


「……」




 その場で殴りかかれなかったのは社会的な教育を受けてきた弊害からであるが、エッケハルト・フライホルツみたく拳を突き立ててやればよかった。




「先ほども申し上げましたが」



 怒りによって言語機能を一時消失した俺に向け、コアはお構いなく喋り続ける。




「エニスは救われました。魔王軍は全滅。あぁ、この全滅というのは組織として体裁を保てなくなったという意味ではなく、文字通り全て死滅したという意味です」



「……皆殺しか。まぁ、人類が勝利した後、残党の捜索活動は徹底されていたからな」


「おや? 本当にそう思いますか? 技術が未発展でノウハウも蓄積できていない段階で、本当に逃げていった魔王軍の残党を全て発見して駆除できたと思っていますか?」


「違うというのか」


「えぇ。魔王軍の兵は遺伝子操作によって生まれたキメラや強化生物です。圧倒的な成長速度とパワーを持ちますが、その反動で寿命が短い。一年経たずして生命活動を停止いたします。なので、あの世界にはもう一体も存在しないのです」


「馬鹿な。エニスは中世レベルだぞ。そんな超高度な技術……」




 途中まで言いかけて俺はシュタインの屋敷で読んだ報告書についての記憶が蘇った。俺が転生するよりも昔に実験されていた、生命倫理などまるで無視した生物実験の結果が記された内容を。それを行ったのは……




「ヨハン・シュバルツという人物が過去に成長促進と遺伝子組み換えの実験に成功しております」


「……五百年前の錬金術師か」


「おや、ご存知でしたか。そうです。彼が製造した生物が、魔王軍として人類に牙を剥いていたというわけです。ヨハン・シュバルツ本人の命令によって」


「本人?」


「えぇ。彼は生きていたんですよ。五百年間、ずっと」


「待ってくれ」




 俺はあまりに突飛な内容に眩暈がした。異世界への転生というだけで既に受容できるかどうかギリギリのラインである。そこにきて遺伝子操作だの五百年前の人間が生きていただの。あまりに非科学的過ぎた。




「そんなデキの悪いテレビや漫画のような話があるのか? ヨハン・シュバルツはどうやって五百年生きてきたんだ」


「勿論オリジナルは既に死んでいます。生きていたのは彼の記憶です」


「記憶?」


「はい。シュバルツは死ぬ間際に記憶をコピーする技術を発明しました。脳に走る電気信号を他者の脳に送り込み、自我レベルで同期する事に成功していたのです。新しいデバイスに過去のデータを転送するように」


「……あり得ない」


「私もそう思いました。しかし実際にそうなっていたのです」


「それが本当だとして、どうしてヨハン・シュバルツは人類を滅ぼそうとしたんだ」


「そこは分かりません。彼に関するデータはこれまで取れていませんでした。実験の内容や成果も、彼が死んでから初めて取得できたのです」


「死んだのか?」


「はい。敗戦の色が濃くなってきたところで、人知れず自殺いたしました。そこでようやく、その存在と過去が判明したんです」


「……」



 新聞には主導者と見られる人物を確保したと記載され、処刑も行われていた。だがそれは民衆に終戦の意識をより明確に刻むためのフェイクだとズィーボルトから聞かされていた。実際には、誰がどうやって指揮していたのか、まるで判明していなかったのだ。




「なぜ、これまでデータが取れなかったんだ? 時代に見合わない技術と知識を持った人間だ。それを見逃していたなんて事はないだろう」


「仰る通り、そんな傑物がいる事を知っていたら間違いなく注視しておりました。彼の動向を追えていれば、もっと早く解決に動く事ができたでしょう」



 嘘は吐いていないようだった。だからこそ、余計に不可解であり不気味だった。ヨハン・シュバルツはどうして人類の滅亡を企んだのか。また、滅ぼした後に何を望んでいたのか。全てが謎であり。解明の余地もない。既に終わった事とはいえ、残された疑問があまりに深すぎる。




「奴の記憶がまた別の個体にコピーされたという事はないのか?」


「それは大丈夫です。今度こそ問題ございません。データの改竄や隠蔽の痕跡はなく、確認も完璧。漏れはありません」


「……隠蔽か」


「なにか?」


「いや……ヨハン・シュバルツのデータが取れなかった要因は分かっているのか」


「……残念ながら」


「そうか」



 

 管理者であるコアがヨハン・シュバルツの存在を検知できなかったというのは作為的なものを感じる。何者かがその存在を秘匿し、世界を滅ぼす手助けをしたのではないかという推察も成り立つ。しかし、それこそ動機はなんだろうか。誰が何のためにそんな真似をするのか。まったく俺には想像がつかなかった。


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