エニス3

「お前は以前、幾つも世界を管理していると言っていたな」


「はい」


「お前意外にも管理者はいるのか?」


「それはもう。世界は数えきれない程ございますので」


「管理している目的は?」


「恒久的な幸福の追求です」


「恒久的な幸福?」


「そうです。全ての世界は不幸に満ちているのです。例えばあなたが住んでいた二十一世紀の地球、日本では貧困格差が加速していますが、それを面白がってメディアが取り上げ、扇動者が感情論を振りかざし不平不満を発信し、共感という愚にもつかない主観で個人が各々の不平不満をまるで社会問題のように語りつくすわけですよ。その結果垂れ流される情報を鵜呑みにして“自分達は不幸だ”と思い込んでいるマス層が多くいるのです。食うに困らない金を得られる仕事があって、雨風を凌げる家があって布団がある。温かいお湯の出るシャワーに下水道も整備されている。これほど恵まれた国だというのにその恩恵を忘れ、自分達は得られる権利を奪われているとのたまうわけです。本来、生活を豊かにするために築き上げられてきた情報技術によって不幸になってしまっている。この問題における要因は果たして何でしょうか。人間のレベルが情報技術の発展に追い付いていないのか。それとも情報技術というものが人間の幸福度に直結しないのか。考えられる事は多くあります。そういった事象を検証し、人々が生涯どうやったら永遠に幸福になれるのかを、私共は考えていえるというわけです」


「それで?」


「は?」


「もし恒久的な幸福が実現できたとしたらどうするんだ」


「それは勿論、全世界がその幸福を享受できるようにしていきますよ」


「……」




 くだらない。

 そう言いかけたが、言葉に詰まった。

 控えめに考えても最低な発想である。幸不幸は人間の意思や価値観に依存するものである。人生の尺度だ。それを考慮せず、幸福を強制するというのは人の自由意思を無にする。あらゆる観点から見ても邪悪といって差し支えのない所業であって、俺には受け入れられない理念だった。

だが一度幸福になってしまえば自由意思など不要なのではないか。自由や倫理など人間が作り出した概念に過ぎないのだから、優先されるべきは生物として求められる生き心地なのかもしれない。そう思うと俺は、コアに対して「くだらない」と吐き出す事ができなかったのだ。なにより……




「あなたは先程”元に戻せ“と仰っていましたが、元とはどこの事を差していましたか? 日本ですか? それともジャマニですか?」




 コアの問いは、俺が自身に対して抱いていた疑問と同じだった。あの時俺はどちらに戻せと言ったのか。言い換えれば、どちらに居た方が幸福なのかという選択に迷っていたのだ。日本にいた頃、俺は決して幸福な毎日を送っているわけではなく、奴の例え話を持ち出すなら情報を鵜呑みにしているマス層に属していて不幸だった。不幸だと思い込んでいた。

 一方でジャマニではコアの手によって、幸福を感じてしまっていた。

友達もできた。努力の末エリート学校に入学し、薄給多忙の中であっても旨を張って誇れる組織の一員となった。ハルトナーの死という大きな喪失はあったものの、それも含めて、どちらの人生が濃密で魅力があったかははっきりとしている。


それでも俺は日本に帰りたいのか。あの無色透明で、何物にもなれずに息をしているだけの人生に……




「まぁどちらだったにしろ、あなたにいなくなってもらうわけにはいきません。なにせ滅亡に瀕している世界はまだ残っている。それを救っていただけなければ、あなたに自由をお返しする事はできないのです」


「勝手な事を言うな。俺の人生をなんだと思っているんだ!」


「そうですね。貴方は自由を重んじ、権利の侵害に対して非常に強い憤りを感じる。エニスでの行動データやパターンを拝見いたしましたが、そんな傾向が見られました。確かにこの状況は貴方にとって許容し難いものでしょう。ご自身で何も選択できない立場に強いストレスを感じていらっしゃると思います」


「分かっているのであれば……」


「貴方の望む世界での永住をお約束しましょう」


「なんだと?」


「もし私の担当している世界全てで滅亡を回避していただけましたら、それまで貴方が過ごした、これから過ごされる世界、どこでも好きな場所で生活できるように手配いたします。新たに転生してもよし。貴方として戻るもよし。好きな条件で顕現できるようにいたします。いかがでしょうか?」




 この条件に心が動いたのは事実である。日本にいた時は不幸であったと認識する事によって、拒絶の意思が揺らいだのだ。




「……お前が担当している世界は、後どれだけある」


「エニスを除き六つ。六つの世界を救ってください」


「その間の時間経過はどうなる。仮に一つの世界を十年で救ったとして、それが六回続くわけだ。日本かジャマニに戻ったとして、いきなりに老人として生活する羽目になるんじゃないのか?」


「姿形はそのままで移動できるようにいたします。それと、生活に必要なもの……日本やジャマニなら一生遊んで暮らせる資金もつけましょう。ただ、世界の時間経過はご容赦ください」


「ならば断る。金のために生きているわけじゃない」




 ジャマニで左団扇の生活を望んでいた人間の台詞ではないと思ったが、これは本音だった。ジャマニに戻ったとしても、ヘンリエッタやアデライデがいない世界に意味などない。また孤独を繰り返すなど真っ平だ。




 しかし、コアはそんな俺の心情など汲み取る気もないようだった。




「まぁそう言わずに。まだまだ救う世界はあるのですから、じっくり考えてから結論を出してください。それじゃあ」


「あ、待て! 俺は……」




 言葉の途中で光に包まれ思わず瞼を閉じる。そして、次に目を開くと白衣を着た知らない女がいて、知らない言葉で話しかけてくるのだった。

 こうして俺はまた転生してしまったのだ。生活拠点を宇宙に移した人類が生きる世界。アンバニサルに。

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