この日だけ6

 もはや地位も名誉もいらなかったし金にもそこまでの執着はなかった。悠々自適な生活に老後の保障。ずっと夢想していたはずの安穏な人生プランは全て泡沫が如く消え失せていて、この日だけ、銃の普及の如何だけに熱量を注いでいたのだ。大袈裟ではなく、エニスに生まれた俺の使命である。それがようやく芽吹き、花を咲かすか咲かせないのかの瀬戸際でのこの騒動。長年求めていた実績と名声が最後の最後で枷になるというのはとんだ皮肉だ。

 ……本音をいえばほんの少し、二割程その後の栄達について打算を巡らせなくもなかったが、それは人の持つ、決して切り離せない欲望の一欠片である。それも込みで、極めて純粋に近い信念があったといえよう。ハルトナーの無念を晴らすという想いばかりが純粋に、俺を動かしていたのは事実なのだ。




「そんなものは栄誉の横奪だ! 許されるものか!」




 シュトームが俺のためにしきりに叫んでいたが、正直な話、横奪だろうがなんだろうがどうでもよかった。彼には申し訳ないが、俺の栄誉など金一封くらいで足りるものであるから、そこまで騒がれても逆に困る。また、激情の果てに俺の成果として発表されるよう根回しでもされたらもっと困る事態へと発展しかねず、内心落ち着かなかった。配備の遅延程度で済めばいいが、シュトームの首と共に歴史の彼方へ飛んでいき、銃そのものがなかった事になっては堪らない。




 どのような手段を用いてでも可及的速やかに実戦配備へと漕ぎ着けなければ。



 

 焦りと苛立ちの中で妙案が浮かばぬかと必死に考えるも何も思いつかない。何故か。焦りと苛立ちにより思考回路が阻害されているからだ。そして何も思いつかないと焦りと苛立ちが募り、ますます何も思いつかなくなっていく。ショート回路のようだ。

 精神面での安定を欠いた状態では正常な思考もできない。無限に繰り返されるシナプスの迷走が解決に結びつくわけもなく、考えながらも何も考えつかないまま俺は棒立っていた。視線は定まらず、巡る、巡る。巡って、戻る。マイナスの無限ループはイマジネーションやインスピレーションを悪化させるだけで何一つとして利点がない。俺だけでは解決は難しいと判断し、外部に解決の糸口がないかと意識を周囲に向ける。そして、はたと目に留まる人物。閃き。瞬間的にロジックが繋がるイメージが湧き上がっていく。



 そうだ、これしかない。


 

 確信。

 俺は目に留まった人物のもとに駆け寄った。我が師である万物の天才、ジィーボルトのもとに!




「よろしいでしょうか!」




 そして大きな声を出して周囲の気を引く。

 注視の的がシュトームから俺に変わった。刺さる視線が痛く、嫌な汗がじとりと肌着を張り付かせる。その感覚は過去、恥辱と同時に味わったお馴染みの不快感であり、条件反射で一時的にパニックを起こして脳機能の停止を招いたが、使命と勇気によって最短時間での復旧に成功。ただし、いつまた動かなくなるか予想もできないから、喋れるうちに、捲し立てるようにして話すべき事を話した。




「今回開発いたしました銃につきまして、一部認識の相違が生じているようですのでこの場で訂正いたします。皆様、私が主導となって製作したと思われているようですがそれは大きな誤解であり、正確には、こちらのジィーボルト先生の直接指揮の下に計画は進行してまいりました。銃のアイディアも制作も全てズィーボルト先生が主導でございまして、私はその助手として手伝わせていただいただけに過ぎません……と、いう事にするのはどうでしょうか。これなら、許可も得られるかと」




 早口で言い切ると、先程まで粒だった汗が一挙に流れ落ち大雨に打たれたように水浸しとなった。脂を含んだ、嫌な汗だった。




「何を言い出すのだ。貴殿は、自らの功績を他者に差し出すというのか」




 案の定シュトームが食い下がる。これは予見できていた事であるから、華麗に述べようと思った。「今はそれどころではございますまい」というドラマ仕立てのセリフから始まる俺の返答を。




「あ、いえ、あの、そういう事ではないのですが、今はそんな事で時間を使っている場合ではないといいますか……その、名誉なり褒賞なり、いただけるのであればいただきたいのですけれど、優先順位がございますので……正直な話、そういったものをいただきましても私自身まだまだ若輩者であって未熟な部分も多々りますので、そんな身で過ぎた栄誉をいただいても持て余しますというのが正直なところで……」




 テスト段階では完璧だったのに現場環境で動かしてみるとエラーを吐くというのはよくある事である。プログラムとは往々にして想定しない挙動をするものだ。人間もそれは一緒。シミュレーション通りかっこよく決めるつもりだった俺はよく聞かないと何を言っているのか分からない、非常に要点を得ない受け答えをし静寂なる空気を展開したのだが、その日に集まった人間は皆聡明であり、少しの時間があれば俺がどのような意味合いの言葉を吐きだしたのか理解いただけたのだった。




「確かに、ズィーボルト博士が開発したという事にすれば全て丸く収まります。フィレンチとの外交にも使えるでしょう」



 そんな事を言う技術局の男を睨み、シュトームが俺に再び問いかける。




「オリバー・ロルフ。貴殿はそれでいいのか。これまで積み重ねてきた努力も熱意も、全てが他者のものになるのだぞ」


「かまいません。私の望みは戦争の終結……人類の勝利……いえ、親友の無念を晴らす事です。銃はそのために作ったものです……先生も、それでよろしいでしょうか?」


「余計な仕事が増えるから断りたいのだが、まぁ、今回ばかりはいいだろう」


「……ありがとうございます」








 かくして後の歴史書には、“銃の開発はフィリップ・ズィーボルトと、その助手数名によって手掛けられた”と記載される事となる。銃は即座に認可され、エニスの人類は、平和の世を手に入れたのだ。



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