この日だけ1

 正午、風がピタリと止み、ジワジワと夏の訪れを感じさせる時節であった。


 銃も、その資料も整い、軍部の人間に説明する場も設けられた。後は実行するだけ、実行する人間が無難に、堅実に処理をすればいいだけであったが、その人間に不安があった。即ち、俺のプレゼンテーション能力に疑問符が付くのである。

 覚悟も決まり勇気も未だ沸点にあって、やってやるぞという気概こそあれど、やれるかどうかは別問題。事へ挑むにあたり前のめりの精神性は重要ではあるが、事の完遂にあたってはそれだけでは不足。成すには成すだけの力がいる。俺にその力があるのかと問われれば、間違いなくない。人前に立って巧みな話術を披露し聴衆を惹きつける術など持っていなかった。一応ロールプレイングを行いはしたものの付け焼き刃がどこまで役に立つかは不明。予想では砂上の楼閣が如く心許なく崩れ去ってしまうという手応えだった。また、他にもう一つ絶対的な不安があって、これは俺の能力以上に成功不成功へと直結する事柄だったが、具体的な対策は思いつかなかった。


 不安を残したまま、解決策がないままに迎えた当日。シュトルドガルドの役所にある会議室で、夏日と緊張により粒出る汗が肌を伝う。俺はシュトーム将軍とやらの為人を恐れ、権力を恐れていた。着慣れない式事用の学校制服が苦しい。




「うぅん、いつ見ても素晴らしいデザイン。なぁに、心配するなよロルフ君。この表紙に描かれたロゴマークを見れば、誰だって企画に飛びつくさ」


「そうかいそれはよかった」




 フィッシャーによるいつも通りの自画自賛を聞き流し目の前の資料をめくる。何度も読み返して暗記もしているがいざとなれば頭の中から消え失せてしまうため記憶はアテにしない。フロー通り、ゆっくり丁寧に文字を追うのがコツ。トチっても傷を最小限に抑えられる。会社員時代、幾度も失敗を繰り返しながら会得したスキルだ。




「親友。君ね、頼むからちゃんとしてくれたまえよ。僕の将来がかかっているのだからね」


「不安なら変わってもかまわないよ」


「冗談を言わないでくれ。僕には荷が重いね」



 フィッシャーと同じくハイスラーもいつも通りに茶々をいれる。二人とも緊張感の欠片もなく、俺一人だけ浮いているようだった。なお、ズィーボルトとシュタインは後ほどシュトーム将軍と共にやってくる予定であった。そこにはハルトナー伯爵もおり、ザクセン男爵も戦地報告のために同伴するとの話を聞いていた。友人の親連中が揃いも揃って顔を出していて、改めて大層な人間と付き合っていたのだなと実感し、もし失敗したら彼らの進退に影響があるのではないかという余計な心配が追加され更に汗が滲んだ。水が足りず、用意された果物で喉を潤しながら待っていると、乾いた足音が幾つも聞こえてきた。


 あぁ、とうとうこの時が来たのか。


 また喉が渇く。よくない兆候。口内の硬直が感じ取れる。犬歯を舌でなぞり唾液の分泌を促すも効果は薄い。緊張が一度でも心身に影響を及ぼせばしばらくの間はリカバー不能である。幾度となく味わった絶望の直前。お偉方の前で盛大にやらかしたあの日の辛酸。クライアントの溜息、上司の青ざめた顔……



 ギィと両開きの扉が開き、人が入ってくる。護衛に続いて煌びやかな勲章をつけた中年間近の人間が一人……間違いなく、彼がシュトーム将軍であった(順にハルトナー伯爵、シュタイン、ズィーボルト、ザクセン男爵が入ってきた)。歳の頃三十手前、軍部のトップを張るにはまだまだ若い、若すぎる頃合い。確かに戦時中だが、如何に武勲を立てようともこれほどまでの出世は不可能。いったいどんな手を使ったのかと見ていると、視線が合ってしまった。美しい氷の色をした瞳は俺一を瞬にして釘付けにし、一瞬起立が遅れた。




「随分と若い方がいらっしゃるようだが……ズィーボルト博士。彼らが貴殿の言っていた新兵器の開発陣かな?」




 全員を座らせてから、シュトームが愉快そうにそう言った。



「左様でございます閣下。いずれも一角の才のある者ばかりでございます」


「なるほど。貴殿ほどの人間がいうのだ。余程優秀なのだろう」




 シュトームは俺達三人を見据えて少しばかり口角を上げた。涼し気な微笑に黄金の髪が揺れ、本当に彼は軍人なのだろうかと疑うほどであった。



「私はアダラード・シュトーム。順に、君達の名を聞かせてもらおうか」



 こういう場合、発起人である俺が最初に名乗るのが常である。口はまだ乾いていて舌も硬い。頭の中はあれこれと無用な考えを巡らせて勝手に疲労している。まともに喋れる状況ではなかったが、喋らなくてはいけなかった。勇気を出すために、アデライデの涙を、ヘンリエッタとの約束を、ハルトナーの事を思いだす。



 ここだけ。ここだけでいい。他はもうどうでもいい。この瞬間だけ、俺は変わらなければならない。



 胸に勇気が湧いてきた。俺は起立して方々を見渡し、息を吸って、名乗った。



「お初にお目にかかります。私、オリバー・ロルフと申します。この度は閣下、並びに軍関係者の方の貴重なお時間を頂戴し、大変恐縮ではございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」



 心臓が異常な音を立てていた。また、更に高鳴る挙動を見せていた。しかしそれでも、俺に逃げる選択肢はなかったし、あったとしても選びはしない。この日だけは、前に進むと決めたのだから。



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