試験7
「はいその通りです」
と返答していいものかどうか。ここで手の平を返せば先程の発言はなんだったのかという話になる。相手によって物言いを変える二枚舌野郎と思われてはマイナスではないか。それともそうした立ち振る舞いを求められているのか。上手く話を合わせて相手が不快にならない対応が可能かどうか試されているのだとしたら、即時前言撤回をした方が正解な気がするも、明確な答えは出ない。
「……」
ずっと黙っているわけにもいかず、発言しなくてはまずかった。整合性を取るか相手の調子に合わせるかで、俺の人間性は大きく違った風に見られる。一度吐き出したら挽回はできない。どう言うべきか、いずれを選ぶべきか……
……答えは、答えは決まっていた。
「……貴方はお嫌いかもしれませんが、やはり私はズィーボルト様に感謝しております」
「本当かい。よく考えて発言した方がいいと思うが」
「現時点では心境、感情に変わりはありません。ただ、今後どうなるかは予想できませんので、もしズィーボルト様について悪評を植え付けられたいとお思いでしたら、入学後にお話を聞かせていただけると」
「なるほどね。君は、恩師の悪口を聞いても平気なのかい」
「意思と思想は自由ですし、それに、神学校で教鞭を振うような方が単純に私怨だけの批判をするとは思えません。倫理や道義などに反している理由を理知的にお話ししていただけると存じます。そういった内容であれば、多様な価値観を取り入れ世界観を広げるために十分な意味があると思います」
「なるほど……」
腕を卓に乗せ前のめりになった中年男を見て「どうだ」と言ってやりたかった。自分の意思は伝えつつ、相手の感情に配慮した返答。完璧ではないかもしれんがマストの要素を織り込んでいる。対外的に見て子供の俺がそんな発言をしたのだからこれはもう認めるしかない。
「面白いね君」
ほらみろ大正解と不動で勝鬨をあげる。無言のえいえいおーはモチベーションを高めマナー実技に挑むにあたって十分な気力を生んだ。弱気は吹き飛び挑戦の心が大きく開花。もはやミスなどあり得ない胸を張り、引け目なく中年男を直視する。来るなら来いの意気地あり。戦いに向けて一層の奮起が巻き起こる。
「君の為人は分かった。退室していいよ」
「……はい?」
梯子が外された。高まっていた意欲が急降下。腐ったキノコのように萎む。
「退室してもいいと言ったんだ。係の案内に従って移動したまえ」
「あの、マナー実技は……」
「もう終わったよ」
「あ、え?」
「後は体育だけだから、頑張りなさい」
「あの、ちょっと」
俺の疑問は「それではこちらへ」という案内役の声に掻き消され、半ば強制退去の形で廊下に出されるとそのまま運動場へ誘導された。先にいる人間は既に円盤投げと短距離走を行なっていて(短距離走は目盛のついた砂時計で速さを計測していた)、俺もそこに加わる事となった。よく分からないままマナー実技が終わり動転したままの計測となったものの、記録は良かったはずである。筆記程ではないにしろ上位に入った確信があった。しかし、マナー実技、マナー実技、そう、マナー実技だ。あの中年男の審査基準が分からない以上安堵できず、むしろ危機感と悔しさが先立ち怒りさえ覚える始末。あんな面接みたいな内容でなく、それこそテーブルマナーやダンスのエスコートでも見てくれたらきっと上手くできたのにと、「上手くできるだろうか」などといって不安がっていた人間とは思えない発想に振り回される。憤怒と消沈の狭間、不安定な情緒の中試験が終わった俺は、案内に従い校舎出入り口に戻ってきたのであった。
「オリバー」
アデライデだった。わざわざ校舎で待っていた様子だった。
「やぁアデライデ、どうだった試験は」
「まずまずかな。マナーは多分、満点だと思う」
「そうか、羨ましい」
「え、オリバー失敗しちゃったの?」
「それが分からないんだ。面接みたいな事をして、”はいお終い”って感じだったよ」
「そんな事ある?」
「あったから不安なんだよ。受けていたマナー講座も無駄だった。酷い話だ」
「無駄なんて事はないんじゃないかな」
「でも、実際試験に出されなかったしなぁ」
「今日だけが人生じゃないわオリバー。それに、担当された先生が、"この子には試験の必要がない"って思われたかもしれないし」
「都合がよすぎないかいそれは」
「大丈夫大丈夫。オリバーならきっとなんとかなるんですもの。楽しみに結果を待ちましょう」
「……そうだね」
他人事だからと好き勝手な事を言うな。
そう思ってしまう狭量さが俺にはあった。アデライデは俺を励まそうとしているのに、それを真っ直ぐに受け止められない。「だったらお前が助けてくれるのか」などと支離滅裂な不満の声が出そうになっていて、大変危うい状態だった。俺は他人に対してなんでもかんでも望んでしまう傾向にある。親兄弟でもない人間に他人が何をしてくれるのか、例え親兄弟であっても、身を切ってくれる人間はそういないように思う。人は孤独であり、手の届く範囲、手が出せる範囲で助け合っているのだ。決して欲張って、多くを期待してはいけない。
「それじゃあ一度宿に来てくれないか、手紙を渡すのと、母親に夕食の件について聞いてみるから」
「うん! 行きましょう!」
アデライデは楽しそうに笑った。その笑顔を恨まぬように、俺は自分を罵倒しながら歩いた。
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