試験4

「ジィーボルト様は?」


「ヘンリエッタは他のお友達とお話ししてるのだけれど、疲れるからだから逃げてきちゃった」


「ふぅん」



 ヘンリエッタの方を見ると、見るからに高位な貴族の子供という出で立ちの連中がいた。



「あの人達、とってもお上品で、話していると息が苦しくなるのよ。口を開けば演劇だとか文学だとか舞踏会とか音楽だとか。嫌いじゃないのだけれど、そればっかりじゃ飽きちゃうのよね」


「野山を駆け回るよりはマシだろう。僕は是非とも文化的な教養を楽しみたいね」


「神学校に入ったら嫌でも触れる事になるから、きっと私の気持ちが分かると思うな」


「まだ入れるかどうか分からないけれどね」


「大丈夫。オリバーなら問題ないですよ」


「どうかな」


「だって、筆記試験は順調だったでしょう?」


「それは……」



 アデライデの言う通り筆記の方は完璧といってよかった。濃密な文章量であったが最終的に見直しをする時間まで確保できたのだからこれ以上の成果はない。自己採点の結果満点の可能性も見えてきており、予想以上のパフォーマンスを発揮できたのは事実である。筆記だけなら文句なしにトップか、それに次ぐ順位であると確信していた。ただしそれは筆記に限ればである。




「実技次第かな。俺は要領が悪いから、そこでいっきに落第候補に躍り出る事もあり得る」



 何度もいうが問題は実技である。いざ披露する時になって身体が動かなくなるなんて事になりかねない。


 迫りくる実技の時間にかき乱されながら、俺は小学五年生の夏を思い出していた。無理やり入門させられた中国拳法の演舞試験。幼年期組最年長という事で旗頭に選ばれたものの持ち前のノミの心臓により本番で盛大にやらかす。頭の中身が吹き飛び型をど忘れ。頓珍 漢な動きをしながらおかしなタイミングで声を出すなどして衆人環視のいい笑い物となる大失態を演じたのである。

 現実での俺の過去は失敗と羞恥ばかりだ。努力もせず目の前の快楽と堕落に溺れ続けた人間が何かを成し遂げるなどできるはずもない。


 それでいうと、かつてコアが言っていた通り異世界の方が完成度の高い人生を歩めているのではないか。落伍するままに身をやつし生きる甲斐も張り合いもなく、疲労や苦痛から逃れ続けたせいでより困難な毎日を送り、誰からも必要とされず愛されず、場当たり的な人間関係を結んでは孤独が強調され、一人で芯のない命を燃やしていくより余程真っ当だ。エニスを、異世界を拒否する理由がどこにある。


 かつて抱いていた帰還への希望は薄れつつあった。嫌いな上司や縁薄い同僚との繋がりなどどうでもいいではないかと思い始める。その逡巡は、神学校に合格すればますます強くなるだろう。

 脱出のための手段が返って居心地をよくしている事に気が付くと、銃の開発などではなくもっと世俗的で矮小な、極めて利己的な生き方をした方がいいかもしれないという考えが始まるようになった。例えばアデライデのつてを頼って貴族の女と結婚すれば生活はガラリと変わる。徴兵だの戦争だのといったものに怯えず、優雅な暮らしを満喫できるのだ。どちらが楽で手っ取り早いかは、考えるまでもなく……




「……なんにせよ終わってみないと分からないね。ズィーボルト様の……あぁ、当主様の方のコネでも使えればよかったんだけれど」


「あまり情けない事言わないでちょうだい。今までずっと頑張ってきたんでしょう。それに、貴方を教えていたのはルイーザさんとヘンリエッタなんだから、自信をもっていただかないと」


「そうだな。結果も大事だが、挑む姿勢も考えないとな。あまり考え過ぎず、やれるだけやってみるよ」




 アデライデが望むような返答をし、後は適当に雑談をしながらパンを食べた。「考え過ぎず」「やれるだけやる」便利な言葉だ。無責任で薄っぺらく、行き当たりばったりが正当化される聞き心地のいいフレーズ。アデライデがそうだというつもりはないが、余計な世話を焼いて助言したがる人間に返すととても喜ばれる。さっさと話を切り上げたいときに便利である。



「そういえばハルトナーから手紙を預かっていたんだった」



 他愛ないお話の中。試験ですっかり頭から抜けていた事を思い出した。



「え、私宛に?」


「うん。ズィーボルト様の屋敷に届いたんだけれど、その時君とズィーボルト様……あ、お嬢様の方が既にシュトルドガルドに帰省なさっていたから、試験の時に届けるよう頼まれたんだよ。宿に置いてあるから試験が終わった後にのだけれど、少し時間あるかい」


「もちろん! そうだ、今日、試験が終わったら一緒に夕ご飯を食べましょうよ! お父様とお母様にも紹介したいの! 新しいお友達だって」


「いや、それは遠慮しておくよ。一緒に来ている母親がレストランに行きたいと言っていてね」


「それなら、お母様もご一緒にどう?」


「……そうだな。本人に聞いてみて、是非にというのであればお願いするよ」


「うん! そうしてみて!」


「ところでズィーボルトお嬢様はご招待するのかい」


「ヘンリエッタはずっと他のお家にお呼ばれしていて、今夜も子爵様のお屋敷に行くんですって」


「貴族の付き合いも大変だな」


「ヘンリエッタはちゃんとしてますからね。あ、そろそろ戻るね。試験、頑張ろうね」


「あぁ……」




 ……大事な試験の最中だというのに、不要な心労がまた一つ増えてしまった。

 決してアデライデとその家族を嫌っていたわけではないが、一緒に食事というのは抵抗があった。面識がないし、練習ではない本物の貴族との晩餐に腰が引けるのはごく普通の庶民メンタルといえる。ただ庶民が故にアデライデの誘いを断るのも力が必要だったので咄嗟に母親の判断次第と返答したものの、あの母親役の事だから二つ返事で承諾し「ドレスでも買っちゃおうかしら」とお気楽な台詞を吐くような気がして仕方がなかった。


 貴族 粗相 

 マナー違反 死刑

 貴族の怒りに触れる どうなる


 雑念ばかりが広がり脳内でアンド検索を実行するもローカルフォルダ内では検知されなかった。対策なし。やらかしたらどうなるか、ズィーボルト夫人の講習中にどうして聞いておかなかったと過去を悔やむ。




「そろそろ実技審査を始めますので、準備してください」



 試験官の一声により教室が静まった。まとまらぬまま濁流の心持で挑む実技試験。不安、不安、不安……不安しか、当時の俺を表す言葉がない。唯一の希望といえば、仮にザクセン家一同と食事をする事となっても、面倒なヘンリエッタが同席しないという事であった。



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