神学校へ31

「妙な事を仰らないでください。物心つく前の話などを持ち出されても困ります」


「君が困るというのであれば僕も困る。長年友だと思い続けてきた人間と久方ぶりに出会ってみたら妙に他人行儀で付き合いが悪い。こんな悲しい事があるか。僕は感情の行方を定められずにいるんだ。言っちゃ悪いが裏切られた気持ちだよ。君は酷い奴だ」


「そんな勝手を申されましても。一方通行なお気持ちをこんなところで伝えられてもどうする事もできません。それにハルトナー様、私にたいして、”昔から変わらないな“なんて仰っていたじゃありませんか」


「根本の性格は変わってないさ。けれどもね。僕と君は曲がりなりにも親睦を深めていたはずだ。お互いが知っている事も、お互いしか知らない事も数多ある。それも当然。僕と君は家の関係で幼年期に付き合える人間は限られていたからね。その中で築いた絆がもはや見られない! そんな馬鹿な事はあるか! あの時の僕らの記憶はどこへ行った!」


「存じ上げません」




 ハルトナーは酔っているような風だった。しかし彼が摂取したワインは道中に舐めた一口二口に加えて玉ねぎのケーキを食べる時の一杯くらい。正気を失うには量が足りない。即ち、酒の影響は多少あるかもしれないものの、正常ながらヘンリエッタに向かって感情を投げつけているという事になる。ハルトナーは確かに情熱を持つ男だったが、それにしたって熱がこもり過ぎているように思えた。



「……」



 二人のやり取りの隅、アデライデが黙って茶を飲みパンを齧っていた。情緒の迷走が挙動に現れており、パンにつけるはずのソースを紅茶に入れて飲んでいる。ロシアンティーに近い食法だが、チーズソースを用いるのは聞いた事がない。まったくもって奇天烈ナンセンスな組み合わせであり注意するかどうか悩んだが、男爵家子女に恥をかかせるわけにもいかないので黙っていた。俺にも、見て見ぬふりをする情は存在する。




「オリバーさん」



 ヘンリエッタの呼ぶ声。見物のつもりが巻き込まれ確定となった。



「なんでございましょうか」


「ハルトナー様が錯乱しておられますので、落ち着かせていただけませんか」


「そんな、馬じゃないですから。それに、恐れながらズィーボルト様が一緒になって昔を懐かしめば彼も満足するかと」


「そんな風に調子を合わせるだなんてできません。いいから、なんとかしてください。私はアデライデと少し席を外しますので、帰ってくるまでに治しておくように。もし私どもが戻ってくるまでこの様子だったら本日の懇親会は中止としますのでそのつもりで」


「はぁ……」



 ヘンリエッタは「いきましょう」とアデライデを連れて出ていった(チーズソース入りの紅茶は飲み干されていた)。残された俺はハルトナーのかかりを解除しなければならなかった。中止になる分には問題なかったが、アデライデたっての願いで催されたイベントをこのような形で幕引きとするのはさすがに忍びなく感じたものだから、不本意ながらにヘンリエッタの言いつけを守る事にした。



「ハルトナー。君、どうしたんだ。妙に感情が入っていたじゃないか」


「感情も入るよ。どうにも抑えられない」


「フロイラインズィーボルトの態度が昔と違うからかい?」


「そうとも。僕は彼女と会うのをずっと楽しみにしていたんだ。なのに、彼女はそうでもない。最初は久しぶりに会うから遠慮したり、ぎこちなさからくるものだと思っていたよ。けれど、ヘンリエッタはずっと同じように、昔知り合った内の一人といった風に隔たりを作って僕と距離をとっているような節があるんだ。昔はあんな風じゃなかった。言動や性格は変わらないけど、もっと精神的な距離が近かったんだよ」


「フロイラインだって年頃の女性じゃないか。そりゃ昔のようにはいかないよ」


「……君からそんな真っ当と思える女性論を聞くとは思わなかった」


「……」



 大きなお世話であったが自分でも納得してしまう部分があった。俺が「年頃の女性」などという言葉を使うなど、転生前では考えられなかった。何かの本などで見た台詞を思いがけずに吐いてしまったのだろうが、改めて考えると赤面するような文句である。




「なんでもいいがハルトナー。君は少し血迷っている。もう少し自分を客観的に見て自制した方がいい」




 毒にも薬にもならぬアドバイスだったが俺にはそれくらいしか用意できない。希薄な人間関係を築いてきた者の限界であるが、お出しできるだけまだいい方ではないか。単純な友情や付き合い方くらいであれば及ばずながらそれらしい言葉を放り出せよう。問題は、ハルトナーの悩みは俺が用意できる対策術の範囲を軽く超えていた事に尽きる。



「……君、以前に“恋の話などに花を咲かせたい”と言っていたけれど、覚えているかい?」


「え? あぁ。まぁ……」



 嫌な予感がした。否。嫌な予感しかしなかった。このタイミングで恋の話題などと抜かすという事はつまり……



「実はね。僕はヘンリエッタを愛しているんだ。彼女を思うと、彼女と話していると感情が昂って、自分じゃどうしようもできないんだよ。酷く、苦しいんだ」



 

 ハルトナーの独白を受け、俺は心の中でアデライデを想った。「君が愛でたい恋の花は咲く事もなく枯死するかもしれない」と。


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