神学校へ30

 ハルトナーはアデライデから向けられる好意にまだ気づいていないようだった。これはハルトナーが朴念仁というのに加え、アデライデが上手く隠しているのである。自分よりも爵位が上の家系に生まれた男に色目を使ったなどと噂されたらザクセン家に汚名を被せかねない。アデライデは家のために燃え盛る恋を秘めたままにしていたのだ。健気ではないか。



「オリバーもお食べになって。せっかく作ったんですから」


「あぁ、いただくよ」



 あくまで平時の装いのアデライデに勧められるままに切り分けられた玉ねぎのケーキを口に運んだ。キッシュのようでもそもそとしているものの風味があって悪くはなく、持ってきたワインがよく進む。



「ロルフ。一人で一瓶空けるつもりかい? そんな暴挙は許されないぞ」


「この玉ねぎのケーキが進ませるんだ。文句ならアデライデに言ってくれ」


「この場合、製造者に責任は帰依しない。君は普段の学習で何を学んでいるんだ」


「法学的な観点ならば君の意見が正しい。ただ、僕は神学に基づく見解を述べているんだ。君から借りている最新の神学書にこう書いてあった。“人間に原罪があるのであればそれを作った神もまた罪深き存在である”とね」


「生憎だが、その本を書いた学者は先月首を刎ねられたよ。本来なら八つ裂きでもおかしくなかったのだけれど、これまでの功績が認められて斬首になったらしい」


「それは残酷な事だ。この無慈悲な世界に神は存在するのか。僕は疑問に思うよ」


「仮にも神学校へ行こうとする人間の言葉じゃないぞロルフ。それくらいにしておけ」


「それもそうだな。どうも自棄になっていけない。これも朝からフライホルツ先生に会ったせいだ」


「君は本当にフライホルツ先生が嫌いなんだな」


「そうさ。僕に勉強をやめろと言うんだよあの先生は。好きになれるはずがないだろう」


「それも君の身を案じての事だろう」


「ありがた迷惑だね。しかし、冷静になって考えてみると、“二度と関わるな”はまずかった。さすがに推薦を取り消されるかもしれん」


「オリバーったら、先生に向かってそんな酷い事を言ってしまわれたの?」



 アデライデは信じられないものを見るような目をしていた。彼女の中で教師に逆らうというのは不良行為に他ならず、野蛮に映ったのだったのだろう。



「僕にだって事情があるんだ。はっきりと言うけど、それだけの事を言われて仕方のない行いをしたんだあいつは。深夜に僕の家の周りを嗅ぎまわって、挙句に僕の部屋を覗き込んだんだぜ? 学校での悪行を咎められるのは腑に落ちるけれども、私生活についてとやかく命令される筋合いはない」




 この時の会話を思い出すと俺は反省をする。子供相手にくだをまいて情けない。間違った主張をしているとは思わないが、大人として話をするべきである。




「オリバーさん。少し言葉が過ぎますよ。仮にも恩師ですから弁えなさい。それと、殿方が女々しく文句を言うものではありませんよ」



 ヘンリエッタの真っ当な説教に思わず「はい」と頭を垂れる。前述の殊勝さは言うまでもなくこの一言があってこそ。彼女が持つ貴族としての気高さは本物であるから、俺も素直に自身の過ちを認められるのだ。改善されるかどうかは別にして。




「それにしても、ハルトナー様とオリバーは仲がよろしいんですね」



 ヘンリエッタから咎められて生まれた一と時の静寂を打ち壊したのはアデライデであった。



「もう何年もずっと一緒にいるからね。ロルフとは旧知の仲といっても過言ではないよ」


「貴族と平民という差はあるけれどね」


「君はたまに卑屈っぽい。そこは明確な欠点だよ。改善すべきだ」


「仰る通りだ。善処しよう。ところで、アデライデとズィーボルト様も仲がよろしいようだけれども、そちらも長いのかい?」


「いいえ。ヘンリエッタとは二年前に知り合ったの。歌のお稽古の時、同じ先生にみてもらっていたのだけれど、その時に」


「なるほど。ヘンリエッタに良い友人ができてよかったよ。僕はてっきり、孤立してしまうんじゃないかと思っていたからね」



 ハルトナーの軽口に、すかさずヘンリエッタが反応した。



「何故私がそうなるとお思いになったのです?」


「そりゃあ君、言葉遣いや態度が誤解を招くからさ。ロルフだって最初怖がっていたじゃないか」



 ヘンリエッタの冷たい視線が俺に向けられた。とんだとばっちりである。



「私は貴族らしくしているだけでございます。ハルトナー様は気品がなさ過ぎるのでは」


「僕は堅苦しいのは嫌いなんだ。それより。いつまでもそう余所余所しく呼ぶのはやめないか? 昔みたいに、ヘルミィと言ってくれよ」




 アデライデの神経がヘンリエッタに向けられた。表情は崩れていなかったが、身体に現れた微動と膠着が彼女の機微を物語っていた。




「いつのお話をしているんですかハルトナー様。私達はもうそんなに幼くないのです。お互いに立場や生き方もありましょう。人前で馴れ馴れしくするのは控えるべきです」


「そうはいっても昔からの友達じゃないか。僕は、君に忘れられたようで悲しいよ」



 この言葉によって平常を保たれていたアデライデの顔面に不安の色が見えた。ハルトナーは決して男女の意味合いを持たせたわけではないのだが、乙女であれば不安にもなろう。俺は空になっていたアデライデのカップに茶を入れてやった後、我関せずと何度目かのワインと玉ねぎのケーキのマリアージュを楽しむ準備を進めた。この手の問題は飲んで見物するに限るのだ。


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