神学校へ29

 ハルトナーは目を輝かせて喜んだ。色々と言っていたけれどあまり聞いていなかった。ただ、「君はやはり僕の友人だよ」という言葉はよく覚えていて、酷く俺を悩ませる。真の友なら忠告の一つくらいしてやるべきだったと、ずっと、後悔している。




「お待たせいたしました。さぁ、召し上がってください」



 主義主張の発表が終わりハルトナーと他愛なく雑談していると、ヘンリエッタとアデライデが戻って来て卓を賑やかにした。玉ねぎのケーキと林檎のパイ。焼かれた小さなパンと幾つかのソース。それから名前は忘れたがフィナンシェのような菓子と果物のコンポートに茶とワイン。量が随分とあって、育ち盛りの子供でもこんなにも食べきれないのではないかと懸念が生まれると同時に一つ疑問が湧いた。




「ズィーボルト様。お伺いしたい事があるのですが、よろしいでしょうか」


「なんですかオリバーさん」


「ティータイムにおけるマナーはご教授いただいてないのですが、特に定められていないという認識でよろしいのでしょうか」


「良い質問ですねオリバーさん。仰る通り、ジャマニにはお茶をいただく際の明確なマナーはございません。同席する人間を不快にさせなければ良いとされています。また、ジャマニの他、私のお母様が生まれたフィレンチにおいても厳格な作法はないと聞いております。では全ての国がそうなのかというとそういうわけでもありません。例えばジャマニの西方にある連合王国では紅茶を飲む際細かな所作まで決まっており、これを遵守しなければならないそうです。というのも、連合王国では茶葉の輸入量が少なく高級品である事から、王族貴族の趣向品として普及したため、相応の格式を伴う茶会の習慣が形成されたという話です」


「そうなんですね。でも、ジャマニでも紅茶は高級品で、貴族の方しか窘めないのではないでしょうか」


「オリバーさん。貴方はこの集落から出てないから知らないのです。都会では、少なくともシュトルトガルドでは紅茶は一般に普及しています。確かに高価ではありますが庶民に手が届かない程ではありません。この先、交易がもっと盛んになれば誰もが当たり前に茶葉を買うようになるでしょうし、食堂で提供されるといった事もあるでしょうね」


「大変勉強になりました。それにしても、シュトルトガルドは随分と先進的な都市なんですね」


「ジャマニの五指に入るのだから当然です。もし神学校へ行かれる事になったら貴方も移り住むのですから、今のうちに学習しておいた方がいいですよ」


「ご忠告、大変恐縮でございます」



 ヘンリエッタの話通り、シュトルトガルドは代表的な近代都市であり庶民においても最先端の文化、文明の恩恵を受けて生活していた。戦争さえなければ俺も楽しめていたかもしれない。



「オリバーもヘンリエッタもお喋りはそれくらいにして、そろそろいただきましょう。私、お腹が空いちゃった」



 アデライデが皆に茶を入れながら話に割って入ってきた。立ち込める茶葉の香りが徹夜明けの脳に沁み、心地よく感じられた。



「アデライデ。言葉に品がないですよ」


「いいじゃない。今日くらいは気軽にいきましょう。あ、ハルトナー様は、上品な方がよろしいですか?」


「いや、僕は貴族的な振る舞いがあまり上手い方じゃないんだ」


「ならよかった! それでは、今日はあまり堅苦しくしないで楽しみましょう」



 アデライデの調子は良好過ぎるようで、普段にはない異様な快活さがあった。ヘンリエッタが溜息を漏らしたが、ハルトナーには言葉通り好評のようで、にこやかだった。



「そうだ。ハルトナー様はヤグルマギクがお好きですよね」


「そうだけれど、誰から聞いたんだい」


「オリバーから」


「なんだオリバ―。君はそんなお喋りな奴だったのか」


「花の好みくらい言ってもいいだろう。それとも知られたらまずいものだったかな」


「そうじゃないが……」


「私も好きなんです。ヤグルマギク。高貴な青が素敵ですよね」


「あらアデライデ。貴女、青色は好みじゃないのではなかったかしら」


「最近趣向が変わったの。青って、これまではなんだか寂しい色だなって思っていたんだけれど、よく見てみると優しさや奥深さを感じるようになって……」


「そうとも。特にヤグルマギクの青は高貴かつ芯の強い色で象徴的だ。これほど美しい青は他にないと思っているよ」


「大袈裟ですね。ハルトナー様はどうも必要以上にものを賞賛する癖があります」


「いいじゃないか。褒める時は大いに褒めた方がいい。それに、君だって青は好きだろう」


「貴方に私の趣向についてお話しした記憶はないのですが」


「だって君、なにかと青色の小物を持っていたじゃないか。白のハンカチをわざわざ染めさせたとルイーザさんからも聞いたよ」


「……」



 アデライデが無言でヘンリエッタの方を見た。「初めて聞いた」というような顔つきである。



「ハルトナー様。私、人に詮索されたり、自分の事を話されるのは好きじゃないんです」


「おっと、これは失礼。それにしてもこの玉ねぎのケーキは美味しいね。フロイラインザクセンが作ってくれたのでしょうか」


「あ、はい! 得意料理なんです!」


「そうなんですね。素晴らしい味付けです。これで一軒、店を持てますよ」


「まぁ、可笑しい」


「ハルトナー様。男爵家の娘が食堂をやるだなんて、前代未聞でございます」


「ジョークさ。けれど、本当に美味しいよ。ヘンリエッタも食べてみるといい」


「私は何度もいただいているので知っております」


「そうか。羨ましいな」


「こんなものでよろしければ、いつでもお作りいたしますよ、ハルトナー様」


「……それはありがたい。是非、また作ってほしいな」




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