神学校へ28

「それにしても」



 いつまでもヘンリエッタを種に間を繋ぐわけにもいかない。ハルトナーに話題を提供し、もてなしが始まるまでの時間が愉快なものになるよう試みた。



「フロイラインズィーボルトはこの別邸が小さいなんて口振りだったけれども、僕の家くらいの広さはある。そのくせ家財も絢爛豪華このうえない。貴族様は住む世界が違うものだね」


「そう嫌味な事を言わないでくれよロルフ」



 迂闊であった。ハルトナーも貴族であるという事を失念していたのだ。喜楽ある小時間を提供しようとしたが完全に裏目。淀んだ空気がのしかかる。俺はハルトナーと諍いを起こしたいわけでもないし趣味の悪いジョークの言い合いをしたいわけでもない。軌道修正するために、いつもの軽薄な口調で表面的な収集を図る事にした。



「あぁすまない。君とはずっと一緒にいるから、どうも伯爵貴族の子供というのがしっくりこないんだ。良いのか悪いのかは置いておいて、実に庶民的だよ」


「……」



 気安さと皮肉によって小さな吐息を引き出すつもりだったが、ハルトナーは神妙な顔で俺の方を見てくる。これは地雷を踏んだかとも思ったがどうもそういう風ではなかった。



「どうしたんだ。やはり君、少し変だぞ」


「すまない。少し考え事をしていたんだ」


「何を考えているというのさ。これから出てく茶菓子の事かい?」


「……ロルフ。君は貴族と平民の間にある隔たりをどう思う?」


「どうと言われても……以前にも似たような事を聞かれた気がするが、僕からは何もいえないよ。好ましくない連中がいると、知識では知っているけど」



 事実、何も言えなかった。俺はこの時まだ貴族について文字と伝聞での情報しか持っておらず、その実態を把握していなかった。荘園貴族が貸し出している土地で農畜産を営んでいる町村は容赦なく絞り取られているらしかったが、俺の生まれた集落は僻地かつ土壌も豊かではなかったし、戦略的にも有用な地域とはいえなかったため、共有の財産として土地を有する事が認められおり、税はそれ程多くはなかった。俺以外の集落に住む人間も恐らく同じ認識だっただろう。だが、ハルトナーは違った。



「僕はね、やはり貴族と平民が平等に過ごせる世界が必要だと思うんだ。今の貴族優遇は間違っている。魔王軍との戦争でどこも困窮している中、一部の貴族たちは高みの見物を決め込み毎晩酒宴を催しているんだ。戦場に出ている兵だって平民出身の者ばかり。貴族の血筋は皆後方で身の安全を保障されている。この状況で奴らは、自分達は守られてしかるべきだと根拠もなく信じて疑っていないんだよ。貴族だから、特別だからと、特権意識に縋った支離滅裂な主張を繰り返す様は滑稽でもある。しかしその犠牲になっている市民は彼らを見て笑う事もできない。こんな理不尽な世界があるかい」



 ハルトナーの語気は強く、言葉の中には怒りが込められていた。言っている事は確かに正論だが感情に支配され過ぎていて危うさがある。若さ故なのか生まれついての激情なのかは定かではない。




「なるほど。そういう状況なのは分かる。しかし、君はどこでその情報を知ったんだい? もう長い間君は僕と一緒にこの集落で過ごしている。貴族の生活ぶりなんて、知る術はなかったんじゃないかな」


「手紙だよ。父と、アデライデに頼んでザクセン男爵とやり取りをしているんだ。そこで実際に起きている現実を教えてもらったんだ。戦地がどのようになっているのか、政治がどう機能しているのかね。君も後で読んでほしい。腐敗に染まったジャマニはもう駄目だ。誰かが新しく国を作り替えなければならない。かつてのフィレンチのように、革命が必要なんだ」



 過激な思想だった。しかし、十代の頃に一定数の人間が考える独善的でありきたりな内容でもあった。権力や政治を絶対悪として敵視し、自身の考える理想を蒙昧に語る若い人間というのは掃いて捨てる程いる。そして年を取るにつれその理想が如何に無力で陳腐なものであったかを知るのだ。多種多様かつ千差万別の人間社会で生きていく中で唯一の正義を掲げるなどおよそ不可能。それを強制するのは独善であり、実行されれば独裁となる。ハルトナーが言うように貴族の特権が罷り通るジャマニの社会構造は是正されるべきであるが、革命だの世直しだのといった暴力を伴う変化はパラダイムシフトとはならず、野蛮な動物的社会システムへの回帰を果たすだけに終わる。これは歴史が証明している事実である。


 そうとも。そのような暴力による国家転覆は歴史上で何度か行われているが悉く失敗している。そしてこのジャマニにおいてもそれが起きるかもしれない。現に、この頃貴族政治を打倒すべく結成された組織が幾つかあった。まかり間違えばクーデターも十分あり得たのだ。テロ組織が政治を行うなどゾッとしない話であるが、ハルトナーがその組織に参加すれば、これ以上ない旗頭となっただろう。伯爵家の息子が反体制側につくなどできすぎたドラマだ。煽動の効果は十分に期待できる。


 この時少しでもハルトナーの視野と見識が広がるよう諭すべきだったのかもしれない。“諭す”というと随分上からの物言いであるが、少なくとも情報と知識は有していたから、彼の精神的な成長に繋がるような助言はできただろう。けれども俺は、これまでと同様に、当たり障りのない対応をハルトナーに取ってしまったのだった。心地よい、友情を維持するために。




「君らしい考え方だね。なるほど、平等な世界か。実現は大変だろうけど、君ならできるんじゃないかな」


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