神学校へ27

 酔う前に、飲み切る前にワインを仕舞い、足並み揃えてハルトナーと歩く。いつものように。

 エニスに生まれなおってから、俺はずっとハルトナーといた。憎まれ口を叩き合う事はあっても喧嘩をした事はなかった。その理由は俺が一歩退いた態度を取っていたからというのもあるが、ハルトナーも歳不相応に成熟していたし人格ができたから、互いに超えてはいけない一線を見極めて適切な距離感を保っていたからである。現実世界ではこういった人間関係の構築はできなかったから新鮮だったし、ハルトナー自身も気持ちのいい奴だったから、俺は勉強漬けの子供時代でも楽しいと感じる事ができた。実年齢の差による惨めさと負い目はあったけれど。



「……ロルフ」



 そんなハルトナーが俺の名前を呼んだのはズィーボルト邸に到着する少し前だった。しかし、呼んだだけで続きはない。僕が「どうした」と聞いても黙っている。



「なんだいハルトナー。はっきり言いなよ君らしくもない」


「……すまない。やはり後で話すよ」



 様子がおかしいのは明確だった。風邪でも引いたかと思ったが道中は平素のままだったし、ワインの飲みっぷりからして体調面での異変はないと判断できた。故に異常があるのは精神面であると想像するのは容易かったが、無理に聞き出すのは二人の間にある信頼関係に亀裂を走らせるかもしれないと考え俺は追求を断念。「そうかい」と答えて、こちらから冗談でうやむやにしてしまう事にした。



「まぁ君は少し悩んだ方がいい。いつも即断して妙な問題を起こすからね」


「そんな事はないさ。僕がいつ問題を起こしたんだい」


「いつもさ。君って奴は、短慮が過ぎるからね」



 そう。ハルトナーは短慮であり、もっと悩むべきだったのだ。少なくとも、出した結論を誰かに相談するくらいの事はするべきだった。

……そして俺も、もっと彼に対して普段から親身になっておけば、距離感や関係性などと大人の理屈を並べて当たり障りのない付き合いなどしなければ、親友と認め、ちゃんと話を聞いていればと、ずっと、ずっと後悔している。



「……そうかもしれない。そうだな。今後、胸に留めておこう」



 そう言って笑うハルトナーの顔は今でも覚えていて、俺の心の中に、長く刻まれている。








「あらごきげんよう。お待ちしておりましたよ」


「この度はお招き預かりまして光栄でございますズィーボルト様」


 ジィーボルト邸の離れを訪れて戸を叩くとヘンリエッタが現れて貴族風の挨拶を交わした。中に案内されると部屋は小さな家程度で思ったよりも狭いなと感じた。



「シュトルトガルドの本邸の方はもっと大きい造りなのですけれどね」



 そんな俺の感想を察したのかヘンリエッタは見栄を張った。嘘ではないのだろうがわざわざ言わなくてもいい事をひけらかすあたりに貴族の虚栄心が垣間見える。こういうところは実に子供っぽい。「是非一度拝見したいものです」と心にもない言葉を述べてもよかったが、例の読心によりいらぬ怒りをかうかもしれないので「左様でございますか」とだけ述べた。口は災いの元である。



「あ、ハルトナー様とロルフ様。いらっしゃっていたのですね」



 奥から出てきたのはアデライデだった。エプロン姿で、髪を後ろに結っていて新鮮だった。



「今お菓子を作っているんです。もう少しでできますので、しばらくお待ちいただけると」


「ありがとうございます。ザクセンさん。母より菓子を渡されましたので、もしよろしければご一緒に並べていただいてもよろしいでしょうか。庶民の味ですので、お口に合うかどうかは分かりかねますが」


「あら、ありがとうございます。丁度もう一品欲しいなと思っていたんです。ありがとうございます」


「いえ、そう言っていただけると幸いでございます」


「ところでオリバー。いつまでよそよそしい口調でお喋りになるの? いつもみたいに、普通にお話ししましょうよ」


「え……」



 俺はちらとヘンリエッタの方を見た。これまで男爵クラスの子女に対して対等な口を利いていたと知られたら不味いと考えたからである。



「……アデライデからいつも伺っていますよ。別に罪に問われるわけでもないのだから、普段通りにしたらよろしいんじゃありませんか?」


「あ、そうですか……」



 話はついているようで緊張の糸が少しほぐれた。助かったと思った。

ヘンリエッタはそれを見逃さず、俺に釘を刺す。



「けれど、私に対しては貴族として接するように。くれぐれもお友達感覚で軽口を使うなんて事はないようにお願いいたします」



 突き放すような口調であるが、彼女らしいといえば彼女らしく、俺は気にする事もないと機械的に「承知いたしました」と答えたのだが、ハルトナーが呆れたように口を挟んだ。



「ヘンリエッタ。君はどうしてそう差別をするかな。僕たちは同じ人間で同じ年じゃないか。もっと気楽にしなよ」


「お言葉ですけれどハルトナー様。私は私の価値観と考えがありますので、口出しはしないでいただけますか」



 価値観と考えといわれたらもはやどうしようもない。言っても無駄だと察したのか、ハルトナーは肩を落とした。



「……そういう人間だよな君は」


「分かっていらっしゃるのであればこれ以上の言葉は不要。さ、客人は客人らしく座って待っていてください。今、お茶をお持ちしますから」



 言うだけ言ってヘンリエッタは奥へと引っ込んでいった。俺はハルトナーの対面に座り、互いに目を合わせて渇いた笑いを浮かべた。


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