神学校へ23
「それは努力です。寝る間も惜しむ程に精進しているのです。夜遊びをしていたわけでもないのに叱責を受けるなんて、到底承服できません」
「如何に励んでいるといっても身体を壊しかねない真似をしちゃ駄目だよオリバー。それに、人生は勉強よりも大切なものがある。それを知ってほしいんだ」
「運動も遊びもマナーも経験しておりますが」
「違う。それは神学校へ行くためにやっている事だろう。そうじゃないんだ。大切なものというのは損得や利害だけでは測れないんだよ。私はね。君にかけがえのない体験をしてほしいんだ。本当は子供のうちにしかできない事が沢山あるはずなんだからね」
「受験だって子供のうちにしかできない事ではないでしょうか」
「そうだね。だけど、私が指摘しているのは勉強そのものじゃない。朝から朝まで勉強をして、他を鑑みない生活が善くないと言っているんだよ。君の人生は今、若い時代に知識を詰め込むばかり。実際には空っぽさ。何も得ていないんだ。それでどうなるというんだ。世界は本に書かれているものばかりじゃないんだよ。君が大人になってからそれに気が付いても遅いんだから」
とんでもない欺瞞である。勉強などちっともやってこなかった俺が現実世界でどんな生活をしていたか教えてやりたかった。無知無学者は、人並みの生活を送るために人並み以上の苦労を強いられるのだ。それを分からんからこの教師は平気でこんな事を言う。苦なく生活してきた、甘ちゃんの考え方だ。俺に言わせればこの男の方が自身の考えに憑りつかれている。子供時代の自由という儚い幻想に異常な価値を見出している。老人が過去を懐かしむように!
「けれど先生。知識を得なくては分からない世界もあるのではないでしょうか。事実、普通に勉強をして、この集落の近くで工場員や役所勤めをしていたって限られた、ほんの僅かな部分しか見られません。世界を知るには勉強をする必要があります。知識を積み上げて教養を養わなければ、眼は曇ったままなのです。その意味で、神学校へ行くために人一倍努力する事は悪い事ではないと、僕は断言いたします」
「君のその思想こそ、視野に欠けた人間のそれじゃないかな。工場勤めや役所の人間だって広い世界を見ている人もいる」
「先生。それは悪魔の証明ですよ。それに考えてみてください。そんな一部の例外的な事象を比較対象としなければならないという事は即ち、統計的に先生の理論は誤っているという事になりませんか」
「そんなに長く勉強しなくちゃいけないのかな。私は先程も言ったように、勉学ばかりに傾倒しているのが善くないと思っているんだ。オリバー。君なら、普通に勉強さえしていれば神学校に合格できると考えているんだけれど」
「そんな風に楽観視して落第してしまったら元も子もありません。神学校にはこの辺り一帯の優秀な人間が受験をするんです。怠惰に使った時間だけ、遅れてしまいます。余裕なんてありません」
「それだよ。そんな風に追い込まれているのが善くない。そうやって精神を疲弊させて惨い最後を遂げた人間を、私は何人も見てきた。君にはそうなってほしくない」
勉強しなくてはどの道戦争によって惨い最後を迎える可能性が高いのだがそんな事をいってもエッケハルト・フライホルツは「考え過ぎだよ」の一言で片付けるだろう。こういう輩は往々にして戦争に反対するスタンスを取るくせに、自分やその周りが戦争に巻き込まれるわけがないという都合のいい確信をもっているのだ。戦火がすぐ近くに迫り、無視できない影響が出ていてもである。同じ夢想家であっても実際に戦地を訪れて危機感を持った分アデライデの意見の方が遙かに賛同できるというもの。理不尽を知らずに今日まで生きてきたエッケハルト・フライホルツは、不条理を知らない。
こういった手合いに道理を見せたところで不毛の一言。全てはエッケハルト・フライホルツの胸三寸で決まってしまうわけだから話し続けても疲れるだけだ。どうせ何を言っても「子供らしく」とか「得難い青春」とかで片付けられてしまう。黙らせるには方向性を変えなければならない。
「先生。僕には夢があるんです」
この際俺は、奴が望む「子供らしく」デマカセの夢を語って黙らせる策を取る事にした。如何にエッケハルト・フライホルツであっても、教え子から「夢のためなんです」と訴えられれば退かぬにしても多少の融通を利かせるだろうと思ったのだ。
「夢。夢とはなんだい」
「工学の勉強をして、多くの人を幸せにしたいのです。今、世界は魔王によって蹂躙され、科学も文化も営みも、全てが停滞してしまっています。そんな状況を打破し、人類にとって新しい光を輝かすために、僕は勉強をして神学校に入りたいと考えています。神学校では工学以外にも神話や哲学など、人の心の拠り所となる学問を収めて、苦しんでいる人たちを救いたいんです」
口から出まかせを吐く。俺が神学校へ行くのは俺のためで、他人の事など知った事ではない。
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