神学校へ20

 林間学校ならば、実際に行事として参加した事がある。どこかの田舎の山奥にバスで運ばれ、クラス内で決められた班内の連中とカレーを作ったりキャンプファイヤーを取り囲んだり、やりたくもないトランプ遊びで盛り上がったふりなどをした。




「あぁ、また俺がドベだ。やってられないなぁ」


「君は顔に出るタイプだね」


「罰ゲームだよ。今度はシッペだからね」


「おいおいお手柔らかに頼むよ」




 トランプ遊びでわざと負けて罰ゲームを喰らうのは俺なりの処世術だった。道化を演じる以外、仲良くもない班の人間と打ち解ける手段をもっていなかった。もっと事実に即した説明をすると、人の顔色を窺って、どうすれば自分が嫌われないかという事ばかりを考えていた。俺は自身を貶めて他者から優越感を引き出し、無下に扱われないよう振る舞っていたのだ。ヘンリエッタに看破されたように。

 その癖の完治ができてない以上、どこかでまたヘンリエッタの叱責が入るかもしれない。お泊り会をするにあたり、俺はあえてそのように考え不安を深刻化していった。これもまた俺も癖の一つで、必ず失敗したりへまを打つだろうと想像するようにしていた。「お前如きが人と同じように楽しめるわけがないだろう」「必ず恥をかくから控えていろ」と、自分に言って聞かせるためだ。そうすると当日、自然に挙動が控えめになって、何事もなく時間が過ぎて、いつの間にか終わる。楽しみにしているものであればあるほど、こっぴどく酷い目に遭い、尊厳と自己が著しく損傷する妄想を行う。失態の予習をしていれば用心深くなり、自尊心が傷つく事は余程なくなるのだ。


 この儀式はお泊り会の前にも行っていて、アデライデがこさえた玉ねぎのケーキを囲みながら、三人から三者三様の罵倒嘲笑を受ける姿を描き「ほうら、やっぱりろくな結果にならないのだ」と頭の中で俯瞰した様に毒づいた。とっくの昔に成人を迎えた大人が子供三人相手に好き放題罵られるばかりではなくそれを甘んじて受け入れ、更に心中で「俺のような人間がこんな場所にいるのが悪い」と卑屈極まりない諦めの言葉を吐く。それが恥ずかしく、情けなく、心地よかった。自分はその程度であると思っていれば出る杭にはならず誰の目にも止まる事はない。俺は空気でいいのだ。誰にも嫌われないように透明になって、愛想笑いばかりを浮かべていれば、役目は終了。相手が子供であってもそれは変わらない。大人として成長していればもっと健全に考えられたかもしれないが、俺は不完全な大人として社会に出てしまったから、そんな自分は望むべきではなく、子供相手であっても、情けなくとも、自分を守るために、駄目な人間のまま生きていくしかないのだ。



「ロルフ。君には失望したよ」


「オリバー、貴方って最低」


「下衆な庶民ですこと」



 ハルトナーが、アデライデが、ヘンリエッタが、次々と俺を口汚く批判する場面が脳内に流れた。長年の経験から生々しく詳細に出力できたそのシーンは音も色も鮮明で、そういった事実があったかのように再現され、俺の心をざわつかせた。大人が年齢を偽装し子供と同じ目線で遊んでいるだけでさえ怖気が走るのに、言い負かされ打ちのめされ、反撃の意思もなくされるがままというのは露悪的であり背徳的だった。アデライデとヘンリエッタは美女の部類に入るから、特殊な性癖を持つ人間であれば至福の時間となり得るかもしれない。俺の場合は、ただただ屈辱で回復に時間を要するダメージを負うばかりである。けれど、やはり心の底ではお泊り会を楽しみにしており、ハルトナーとの会話やアデライデが作った玉ねぎのケーキを談笑しながら取り分けるシーンも、断片的ながら差し込まれるのであった。例の儀式と違って明度が低く、抽象的な映像となっていたのだが。





 そのお泊り会の具体的な日程を聞いたのはズィーボルト邸で基本教科の学習をしている時の事である。



「ごきげんようロルフ様。少しだけお時間よろしいかしら?」



 ひょっこり現れたアデライデは俺が広げていた本をわざわざ閉じて隣に座った。



「申し訳ございませんアデライデさん。ただいま勉強の最中でして、お待ちいただけると」


「すぐ済みます。駄目でしょうか」


「……」


 ズィーボルトに目配せをすると、「手短に」という意図が含まれた相槌が返ってきたためアデライデに向き直り「少しだけなら」と述べる。その「少し」も惜しい時期だというのにどうして邪魔をするのかという文句が言葉の裏に込められていたのは言うまでもない。



「お泊り会の日程が決まりました。明日の朝から、この屋敷の離れにある小屋で行う事になりました。ズィーボルト様が許可をくださったの。素敵でしょう」



 俺は再びズィーボルトに目をやったが、今度は視線さえ合わなかった。



「本当にやるんですね」


「当然です。以前ロルフ様にお伺いした際は参加するとの旨、確かに聞いておりますので、くれぐれも反故にするような事はないようにお願いいたしますね」


「……」


 

 酷い目に遭うシミュレーションはできていた。気持ちは当然、後ろ向きである。後はこのメンタリティを維持して、実際のお泊り会では借りてきた猫の如く大人しくしていればすべて完了する。ただ、僅かながらに期待もあった俺は、アデライデに向かって渋々頷く動作をしてみせて、再び本を広げた。その時に読んだ内容は、あまり覚えていない。



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