神学校へ19
フラウズィーボルトは一見して近寄りがたい貴族の親玉みたいな印象だったし、実際に話してみても見た目通りだったから、この時の彼女の、異様ともとれる様子はよく覚えている。貴族とて赤い血が流れており、共通の時間を過ごせば情も湧くのかなとなにか感慨深かった。しかし、翌日にはすぐにいつもの王族貴族の装いとなっていたためがっかりしたような気持になった。彼女が持つ貴族としての矜持だったのかもしれないが、位の高い人間の心模様など、俺に分かるはずもなかった。
また、ハルトナーにおいてもそういった類の精神性を持ち合わせていてるのは彼の行動によって証明されているが、それが存分に示される一幕がこの頃に起きた。本格的な冬に入る前、受験に向けた最後の追い込み期間中の事である。
「みんなでお泊りをしませんかオリバー。しましょうよ。きっと楽しいですよ」
アデライデの一言にリンガ語で書いたレポートの読み直しを中断し彼女の目を見た。輝く美しい瞳が、冗談ではないという事を声なく物語っていて、俺は愕然とした。
「この時期そんな暇なんかないよ。勉強しなくっちゃあね」
事実そんな余裕はなかった。試験日まで幾許もない。できるだけ足掻いておきたいというのが人情。どれだけ時間があっても一向に充足する気配なく焦燥感が高まる毎日は、こうして談話をしているのも惜しいと思うくらいに俺を追い詰め、眠れない夜と頭痛に苦しめられていた。遊んでいる時間も余力もない。
「だったら、皆と一緒にやればいいじゃないですか。その方が分からないところも聞けますよ」
「集中できないし、分からない部分はズィーボルト様に聞いた方が早い。そもそも、勉強の成績で言えば、今は僕が一番高いじゃないか」
そう、俺は集落で一番の成績で、誰からも「秀才ロルフ」の名で呼ばれ通っていた。お調子者も悪たれも真面目な生徒も皆が皆、一様に俺という人間を取って捕まえては「やぁ秀才。君なら神学校へも行けるだろうさ」と言ってくるのだ。その俺を前にして「分からないところも聞けますよ」とは何たる傲り高ぶりだろうか。
「悪いけれど、一人じゃないと集中できないんだ。三人でやりなよ。その間、僕は勉強しているから」
「そんな冷たい事を言うのはおよしになって。ハルトナー様だって楽しんでいらっしゃったんですから。“いい思い出ができるね”って」
「なんだ、ハルトナーにはもう話したのかい」
「そうですよ。ヘンリエッタもやぶさかじゃなかったんですから」
最後に連絡を受けたのは俺らしかった。最初に声をかけてくれれば同調圧力もなく容易に断れたのに、どうにも間が悪かった。
「そいつはおかしいな。フロイラインズィーボルトは僕が参加しないと踏んでるんじゃないのか」
ヘンリエッタとの間にある溝を前面に押し出して説得を試みる。俺はまだこの時期、彼女に大きな苦手意識を持っていて、彼女の方でも俺に対してネガティブな印象を抱いていると考えていた。
「またそんな卑屈を仰る。ちゃんと伝えましたよ。“私とロルフ様とハルトナー様と貴女でお泊り会をしましょう”って」
「そしたらなんて?」
「“楽しそうね”ですって」
「それはやぶさかなんじゃないのだろうか」
「そんな事ないですよ。私がヘンリエッタと何年付き合ってると思っているのですか。彼女の事なら何でも分かりますよ。絶対参加します」
「そうかい。じゃあ、僕なしで是非楽しんでくれ。その方がきっと会話も弾む」
「オリバー。ずっと伝えようかどうか迷っていたのですが、貴方、情けないですよ。男の人がそんな風にしてちゃ駄目です」
「そうはいってもこればかりは生まれ持った性質だからね。今更どうしようもない」
「何を言ってるんですか。私達はまだまだ子供なんですよ。むしろ、これからどんどん変わっていくはずです」
「僕はこのままでいい」
「駄目です」
「駄目って事はないだろう」
「いいえ駄目です。卑屈で情けない人間が大成したためしなんてないんですから」
「そんな事はないよ。つい最近読んだ歴史書に……」
「オリバー」
「……」
「一日だけでいいの。みんなで一緒に泊まりましょう、ね? それが友達でしょう」
アデライデの両眼には屈折した光が停滞していた。女が持つ必殺の技を、彼女は用いてきたのだ。そこまでされてなお食い下がれる程、俺は強い心臓をもっていなかった。苦しくも、「分かったよ」と渋々声を絞り出し頷く。
「やったぁ! ありがとうオリバー! お礼に当日は私のお料理を食べさせてあげますね! 腕によりをかけて玉ねぎのケーキ(パイのような郷土料理である)を作りますから!」
「……期待しているよ」
男爵家の娘が料理などしていいのかと聞きそうになったが、伝え聞くザクセン家の教育方針を鑑みるとそこまで不自然ではなく、むしろ推奨しているのだろうと予想して口に出すのはやめておいた。玉ねぎのケーキはこの辺りでもよく食べられる品目なのだが、所謂家庭料理というやつで家庭ごとに千差万別の味付けがある。貴族のお嬢様がどういう趣を出してくるのか少しばかり興味が湧かないでもなく、楽しそうに笑うアデライデを見てお泊り会についてまんざらでもないという思考になっている事に気がついた。とっくに成人した男が子供連中に混じって林間学校さながらのイベントを楽しむなど、気色悪いだけだというのに。
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