神学校へ15

「いずれ、ヘンリエッタについてご理解いただけるかと。言葉や態度に棘があったり、近寄りがたいイメージがあるかもしれませんが、正確は公明正大で、裏表がないんです。それでいて、貴族と平民とで線引きはしていますけれど、寛容と慈愛をもっているんです」



 慈愛を持っている人間が俺の進学希望先に根回しをして落ちるような画策を企てたりするだろうかという疑問がまず浮かんだが、口に出す間もなく、次の台詞が飛んできた。



「ヘンリエッタはオリバー様に対して、打算的とか、名もない貴族のようだと言っていましたでしょう。覚えていらっしゃいますでしょうか」


「はい。覚えております」


「あれは、ヘンリエッタなりの心遣いなのですよ」


「心遣い……」


「はい。神学校では面接試験があるのですが、ここで重要視されているのが、素直さと志となっております。受験者が持つ個性を見ながら将来の目標を聞き、総合的に判断をするのでございます。この際に、当たり障りがないといいますか、判で押したような解答をすると減点となってしまうと聞き及んでおります。彼女はそれを伝えるべく、あえて憎まれ役を買って出たと私は思っております」



 試験に面接があるのは知っていたが、評価基準までは把握していなかった。もしこの時この話を聞いていなければ、俺はアデライデが言ったような、所謂模範解答で対応していたかもしれない。



「それなら、直接言っていただけたらよかったのに」


「豊かな土壌に種を蒔いても豊かな葡萄が育つとは限らない。時に、灼熱の太陽がなければ。というフィレンチの諺を存知でしょうか」


「申し訳ございません。存じ上げません」


「痛みや苦しみが人を育てるという意味でございます。ヘンリエッタは、オリバー様が豊かな葡萄となるために厳しい言葉を投げたのだと、私は信じております」


「そうですか……」



 アデライデの言葉はもっともらしい内容だったが、それでも俺は貴族に対しての偏見が抜けきらず、彼女とヘンリエッタを信じる事ができなかった。本人から聞いたとでも言ってくれれば俺も素直に「そうなんですか」と納得もしただろうが、なにせ全てが希望的観測であり推測である。その日初めて出会った人間の善良性に疑いを持つのは当然。言葉や行動になにかしらの思惑があると考えてしまうのは決して間違った判断ではないように思う。



「ヘンリエッタへの苦手意識は、解消されしょうでしょうか」


「そうですね……時間はかかりそうです。でも、アデライデさんの優しさと、ご意思は伝わりました。今後、ズィーボルト様への見方を変えてみようと思います」



 アデライデは俺の返答に和らいだ表情で「はい」と答えた。彼女にしてみても今回、ヘンリエッタの認識強要ではなく、あくまで色眼鏡を外す努力をしてほしいという目的であったろうから、俺から「偏見を捨てる努力をする」という旨の言葉が聞ければそれで満足だったのだろう。




「……それにしても」




 少しだけ沈黙があり、アデライデが再び口を開く。



「オリバー様、やはりまだ他人行儀なご様子でごいますね」


「親しき中にも礼儀ありでございますので」


「でも、ハルトナー様とは随分違うんですもの。気になってしまいます」


「ハルトナーは同性ですし、まぁ、竹馬の友でございますから」


「それでも、私は寂しく思います。だって、なんだか距離を感じてしまうんですもの。もっと楽しくお話しした方よろしくありませんか?」


「と申されましても……」



 アデライデはあえて砕けた口調で話を進めていた。余程、貴族と平民の隔たりをなくしたいのだろう。しかしどれだけ彼女が望もうと、長い社会構造の中で形成されたシステムを破壊するには、完成するまでに要した分だけ時間がかかるものであり、勇気のいるものである。小市民的な価値観を有する人間には、即ち、俺のような人間には、おいそれと行えるものではない(ハルトナーについては別である)。彼女に対して「やぁアデライデ。元気だね」と気安く挨拶をしようものならたちどころに集落の人間から改めるよう指摘が入るだろう。事によっては素行不良の烙印を押され推薦が取り消されるかもしれない。


 が、それでも彼女の細やかな要望を聞き届けないというのも良心が痛む。なにせ俺は、先述した様に小市民であるから、人の感情を蔑ろにしてしまうと凡夫万人が受けるような罪悪感が生まれ心が苛まれるのだ。できれば、そんな状況に自分を追い詰めたくはない。

 これを回避するために、俺は一計を案じる。



「分かりました。しかし、世間がそれを許さないと思います。なので、世間の目が届かないところに限り、私はアデライデさんに対して、私らしい姿をお見せいたします」


「世間の目が届かないところですか?」


「そうですね。例えば、こうして二人きりで話している時間など……」


「それは……魅力的なご提案でございますね!」



 アデライデに笑顔の花が咲いた。こんなにも可憐で愛らしい顔を見せるのかと、ドキリとした。



「なので、二人の時は普通に話すよ、アデライデ」


「はい。よろしくお願いいたします



 彼女との間に秘め事ができ、何か問題が起ってしまったらと、俺は気色の悪い考えを起こす。それは実年齢の差を容赦なく実感させ、倫理観と自己嫌悪の念を引き起こさせた。


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