神学校へ16

 アデライデが帰った後、俺は父親役の人間から色々と聞かれた。



「どんな話をしていたんだ」


「失礼はなかったか」


「友達になれそうか」



 など、実に父親らしい疑問を投げてきて、まぁこれはよかったのだが、最後に「今度、大工仕事で困っていないか聞いておいてくれ」などとのたまい、さすがの俺も閉口したのだった。返答は「嫌だ」の一言である。



 翌日。ズィーボルト屋敷へ向かうと、既にズィーボルト夫人が準備をしていた。学科の方は一旦後回しにして、まずは知識もなにもないマナーについての講習を優先する運びである。



「それではオリバーさん。さっそくお稽古に入りますけれど、貴方はお作法についてどの程度理解していらっしゃるかしら」


「申し訳ございません。まったくといっていい程無知無理解でございます」



 正直に述べるとズィーボルト夫人は「結構」と相槌を打ち、俺に羊皮紙を手渡した。



「入試に向けて、貴方には三つのステップを踏んでいただきますので、それをまとめました。まずは基礎。これは知らなければお話にならない部分で、貴族の者なら六つまでには会得しております。続いて神学校で試されるマナーを。これも基礎ができていればおおよそ問題ないものとなっておりますので、貴方ぐらいの人間であれば誰しもできるものと思ってください。最後に、私達とアデライデさんに付き合っていただき、正しい所作が身についているか確認いたします。お勉強でいうところのテストのようなものでございますね」


「恐れ入ります。こちらは、フラウ(ジャマニにおいて夫人を呼称する際の言葉である)自らご記載いただいたものでしょうか」


「そうですが、なにか問題が?」


「いえ、お手間をかけていただきまして、大変恐縮だなと」


「そうお思いになるのであれば、無駄にしないようしっかりと励んでください。それではまずは基礎から始めます。渡した羊皮紙の最初に書いてある部分です。準備はいいですね。そもそもマナーとは……」




 始まったマナー講座。現実社会において、時折バラエティ番組で放送されるような内容を頭と身体に詰め込む。この期間で俺は、歩き方、挨拶の仕方、食器の使い方から茶の入れ方まで叩き込まれたわけだが、大人としてのメンタルが備わっていてよかった。なにしろ細かいのだ。歩く時の頭の角度や握手をする際の手の高さに力加減など、気にしなくてもいいのではないかという部分まで指図がある。あまりの厳しさに何度か泣きを入れようと思ったが、フラウ曰く、「最も美しく見せる事ができなければ貴方は落第する」との事だったため、無理やりに奮起して継続できたのだった。誇張なく、精神年齢が子供に戻っていたら堪えられなかったと断言する。

 中でも辛かったのは講座中に入るヘンリエッタの嘲笑である。俺が少しでも過ちを犯すと「あら、おままごとでもなさっているのかしら。私もまぜてくださいな」などと酷い嫌味を投げてくるのだ。子供からとはいえ、いや、子供だからこその不愉快さが身心を満たし、何度怒鳴ってやろうかと思ったか知れないが、そんな事をしてしまっては全てが水泡に帰し無駄死にしてしまう。恥と憎しみを己が糧とし、これも生き残るためと呑み込んだ、また、同時に、ズィーボルト家御一行が訪れた際に昼食に呼ばれなかったのはこのためかと納得した。何も知らぬままに食卓を囲ったら、きっと恥辱のあまりに落ち込み、勉学にも身が入らなかっただろう。それほどまでに、貴族のマナーは厳しく、また、ヘンリエッタの野次は精神を削るのである。







「悪い子じゃないの。前にも言ったけれど、貴方のためを思って……」


「“豊かな土壌に種を蒔いても豊かな葡萄が育つとは限らない。時に、灼熱の太陽がなければ”だろう。分かっているさ」



 ヘンリエッタにやられた日はアデライデが決まって慰めてくれるのだが、その気遣いに不満を隠せない自分が大人気なく感じた。

 彼女とは二人で話して以来、時折雑談をする関係となった。場所は決まって俺の部屋であり、その度に父親役の人間がうるさくしていて面倒だったが、次第にそれも慣れたし、正直なところ、それ以上に彼女と話す事に俺は喜びを覚えていた。無論、異性として見ていたわけでなく、あくまで新しい友人が増えという意味でである。



「実際、ズィーボルト様のおかげで知識が吸収できている部分はあるよ。次は絶対に失敗しないようにしようっていう気持ちになるからね……ただ、この話はよそう。疲れる……それにしても、本当に貴族は、子供の頃からあれだけのマナーを覚えるのかい?」


「そうですね。でも。ルイーザ様は少し厳しくなさっていますね」


「ふぅん。それは、やっぱり僕が平民だからかい」


「……」


「ごめん。嫌な言い方をしたね。いや、分かっているんだ。僕は貴族達の世界に飛び込むわけだから、そこいらにいる並の貴族程度では駄目なんだ。一流、あるいは超一流の作法ができて初めて、他の受験生と同じステージに立てる。だから、僕はフラウに感謝しているよ。わざわざ羊皮紙におまとめくださったしね」


  

 これは本心である。フラウズィーボルトは講座の際も嫌な顔一つせずしっかりと俺にマナーを仕込んでくれていた。ハルトナー家から何かした報酬があったからかもしれないが、俺としてはまさに恐悦で、得難い経験であった。



「よかった。そういえば、ルイーザ様も、それからヘンリエッタも褒めていらっしゃいましたよ。オリバーは本当に呑み込みが早いって」


「そうかい。でも、あまり調子に乗りたくはないから、それは君が吐いた気休めの嘘だって思っておくよ」


「まぁ、酷い」



 アデライデのわざとらしい怒り顔には愛嬌があり、ヘンリエッタと比較してしまった。俺は駄目な大人だ。




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