神学校へ12

「なぜ、そのようにお考えになられたのでございますか?」



 ヘンリエッタの口調は穏やかだったがその先端は鋭く、気を抜くと突き殺されかねない重圧があった。この強力な言葉の槍の一突きを躱して彼女の間合いへ踏み込むためには並の胆力では不可能。先にも述べたように俺は既に玉砕覚悟であったが、いざ決死となるとやはり臆する。緊張で喉が渇き、頭が溶けたバターのようになってまとまらず、切り返す事ができない。このまま「冗談でした」でヘラヘラと笑い、なかった事にできないかなと軟弱な発想が現れるも、ここは逃げられず、戦うしかない場面であると言い聞かせながら、俺は口をまごつかせた。肝心の言葉が中々出てこなかったが「えっと」とか、「うん」とか言ってとにかく間を持たせて舌が回るまでの時間稼ぎをし、ようやく発するべき内容をまとめたのだった。



「えっと、ズィーボルト様の、あの、態度や口調につきまして、高圧的に感じました。荘園で働く市民や農奴に鞭を振るう姿がさぞお似合いになるだろうと、失礼ながら想像した次第でございます」


「想像。想像でございますか。貴方は想像だけで、私の人間性もご存じないまま私の人格を作り上げたのですか?」



 当然やってくる反論。だが想定内だったし、一言喋ってしまって開き直る事ができた。俺はもう止まる事ができず、すいと次の言葉を並べていく。



「無論、私はズィーボルト様のお人柄を存じておりませんので、これは大変的外れな第一印象である可能性もございます。現に、ハルトナーも貴女様に対して“大変良いお方だ”と仰っておりましたから、自身の人を見る目が節穴であったらよいなと思っていた次第でございます。けれど、まだ僅かのお付き合いではございますが、お話しをさせていただくにつれてどんどんズィーボルト様に対して悪しき貴族然とした邪悪な雰囲気を感じ取らずにはいられませんでした。それはズィーボルト様のお言葉を聞けば聞く程、より深く、強くなっております」


「……」


「悪しき貴族。つまり、荘園で働く市民や農奴に鞭を振るう人種については、私の価値観で測りますと、糞と同等の、くだらない存在であると認識しております。あぁ、申し訳ございません。糞は些か下品でございました。排泄物と同様の、まったく忌々しい、世界の汚物と言い換えます。それで、ズィーボルト様がその、忌々しい世界の汚物である可能性を考えると、これはもう関わっていくうえで慎重にならざるを得ません。理由は進学校へと進学するためでございます。私は教えを乞う身であり、平民でございますから、もしズィーボルト様のご機嫌を損ね嫌われてしまったら、先程ズィーボルト様自身が申し上げた通り、私の神学校への進学を不可能にする事もあり得るなと思い、のらりくらりとした答弁をさせていただいた次第でございます。もしそれがお気に召さないようであれば、私は今後はっきりと、ズィーボルト様に対してご意見を述べさせていただきますが、そちら、問題ございませんでしょうか」


「……」



 恐怖はあったが、言ってやったという満足感に心晴れやかとなっている自分もいたし、現実世界でもクライアントにこれだけ文句をぶつけられていたらなと思った。そんな真似をすれば間違いなく担当を外されたうえ会社からはなんらかの処分を下されただろうが、生き死にがかかった世界で過ごしてみると、そんな事は大変些末であったと思う。


 とはいえそれは今だからこそ。この静かなる暴言は発言直後こそ爽快であったが、徐々に後悔の念が押し寄せてきたのだった。ストレスフルで八つ当たりした結果、親が大切にしていた食器が破損し、我に返って酷く落ち込んだという経験が俺にはあるのだが、その時の感情とまったく符合したのである。怒りに身を任せて取り返しのつかないものを破壊してしまったと血の気が引いたのだ。ここでいう大切なものとは、貴族とのパイプ。俺の人生設計に深く関わる部分であるから、そのショックは食器の比ではない。



「……」



 ヘンリエッタは黙っていた。これはまずいと、謝罪の言葉を口にする。



「あ、申し訳ございません。言葉が過ぎてしまいました」



 中々程度の低い謝意であった。語頭に「あ」とつくのも問題だし、「言葉が過ぎた」という表現もいただけない。これによって、「もっとオブラートに包むべきでした」と、大変馬鹿にした意味が付与されるためである。ヘンリエッタは裏表も忌憚もない意見を求めていたのだから、「言葉を選ぶべきだった」などと言ってしまってはとんでもない嫌味、皮肉として受け止められてしまう。口は災いの元という諺が浮かび、俺の後悔を加速させる。



「あ、あの、ズィーボルト様……」


「……」



 ヘンリエッタは口を開こうとしなかった。その一帯の空気は異様で、ハルトナーもアデライデも呑まれてしまって、動く事すらできないようだった。時折飛んでいく小鳥でさえ避けていく具合である。ヘンリエッタを除く三人が一同に「言ってしまった」という思いに包まれた修羅場。そのヘンリエッタが次に述べる言葉により今後の俺の人生が確定するわけである。彼女は何を言うのか、あるいは何も言わないのか。三人の注目が、乗馬服姿の少女に集まった。



「……ロルフさん」


「あ、はい」



 ついに口を開いたヘンリエッタ。矛先を向けられた俺の一声はうわずっていた。


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